軍隊では皆んな褌(ふんどし)だがその頃私はその褌も汚れてしまい、予備も無くスットコで軍袴(ぐんこ)(ズボン)をはいているだけであり、それも垢だらけになり、時には便もくっついて汚れに汚れた物であった。その軍袴は雨や水に濡れて腐り、それを火に当てて乾かすのだから、焦げて痛み破れ始めており、裏の縫い目にはシラミが一杯鈴なりに着いておりギラギラ光っていたが、そんな服で体を包んでいた。このように下痢はしていたが悪性のものではなく助かった。
またマラリヤらしい熱が出たり、引いたりしていたがこの頃は、特別激しい悪性のものではなく、かろうじて持ちこたえていた。タンガップでかかったような激しいものだったなら、死の道へ直行していただろうが、いつもすれすれに死の淵(ふち)を通り抜け不思議に助かった。
重い荷物はだいぶ処分していたが、痩せ衰えた肩に背嚢が食い込む。だが小銃だけは持っていた。手が神経痛になり疼(うず)き、麻痺してしまい両腕とも水平より上に挙がらなくなってしまった。もちろん腕の力も無くなり、だらりとぶらさがっている状態である。横目で自分の肩を見るとポキポキと、骨が突き立っているようであった。裸になって自分の胸のあたりを注意して見る暇も余力もないが、どうも肋骨が筋になっており痩せているようだ。そう感じると、心も傷つき弱く弱くなってくるようだ。
だが、自分の命を保ち体を運び、皆に遅れないように歩かなければならない、それが精一杯で自分の体を点検する余裕も、気力も、無いのである。
戦友をよく見ると、頭髪と髭(ひげ)が長く伸び放題で顔は土色で垢に汚れており、それも相当な汚れかたである。若い勇士の顔ではない。顔を洗う暇も元気もないのだ。自分自身の顔は見えないが、同じように汚く痛んでいるはずで、もし自分の顔を鏡に写して見えたとしたら、びっくりしてしまったことだろう。毎日雨に濡れ川を渡り、すぐそこに水が沢山ありながら、皮肉なことに顔を洗うゆとりがなく、ただ生きるために必死なのである。
もちろん水浴するような暇と体力は既に無く、もう二ヵ月も三ヵ月も着たままで体中垢だらけである。先日ピュー河を裸で渡ったが、それは渡るために裸になっただけで、顔や体を洗ったり点検することはしなかった。そのような心の余裕と体力は既になかった。
裸足で砂・む・け・の足をかばいながら歩く。足を傷つけてはいけない。傷つけて化膿でもすれば命取りになる。幸いビルマはきめの細かい土の所が多く、小石や割れた石がなく助かった。昼は足元が見えるが、暗闇の中を裸足で歩くのは、並み大抵の苦労ではなかった。
この頃のことであるが私にとり悲しいことが起きた。前に述べたように、私の班長は寺本班長で、ビルマに到着してから半年程で他の聯隊に転属(てんぞく)になり、その後戦死された。次に戸部兵長が班長をしていたが、この方も敵の陣地攻撃の時戦死され、その後、玉古兵長が班長代理をしていた。
私はこれらの方に終始気に入られ可愛がって頂いていた。入隊以来、上下関係や戦友関係で辛いと思ったことはなく、特に玉古兵長には「小田よ」「小田よ」と言って大事にしてもらっていたのに、ある時急に「馬鹿野郎!」「小田お前はこの頃、何をやらせても動作が遅く、ハキハキしない。隣の班の白髪上等兵等よくやっているではないか、シャンとせい、早くやらんか」と大きな声で叱られた。白髪上等兵は私と同期である。
当時、叱られるのは当然なのだ。悲しいが思うように動けない。今まで信頼してもらっていた先輩上司の信頼を失ったことは、大変悲しく辛い。人間は信頼が最も大切なのに。しかし、残念だが体がどうにも動かない。彼に叱られたことは私には大きなショックで非常に悲しいことであった。
後になってみれば、この頃玉古兵長自身も疲労しており、思うように何事もできず焦っていたのだろう、無理からぬことである。私はこうして気合いを入れられ奮起して頑張った。それが結果的には命を繋ぐ助けとなり、すべてについて彼に有難く感謝している。
体調と言えば生命には直接関係ない軽易な事だが、転進作戦に入る前のタンガップにいた時のことである。ビ・ル・マ・か・い・せ・ん・という風土病の皮膚病にかかり、全身、特に手足一杯にできものができて苦しんだ。親指で押さえたぐらいの大きさだが、無数にできた。片腕に十個ぐらい、片足に十個ぐらい、なぜか顔と頭それに胴体部分には出なかった。痒(かゆ)いこと、痛いこと、できものだから膿(うみ)が出て汚い。数が多いし所構わずだから、包帯の仕様もない。
それらは手の指や足の甲や、男性のシンボルの先端にまで出来、誠に始末が悪い。痒く痛く汁が出てくる。男性ならばおよそどんな様子か想像できるだろうが、深刻で笑いどころではない。石川軍医に見てもらい、薬をもらって約二ヵ月苦しみやっと治った。五十二年経過した今もその痕跡が太股当たりに、薄く残っている。私は幸い戦争による負傷は無いが、このビルマか・い・せ・ん・の痕が当時の戦線の証拠と言えようか。

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