◆重機関銃(じゅうきかんじゅう)を収容(しゅうよう)に行くが
その時中隊長から、「伊多(いだ)軍曹と小田、長代(ながしろ)、米田(よねだ)の兵隊三名は、三日前マンダレー街道を横断した際、所在不明になった兵士と重機関銃を助け収容(しゅうよう)してこい」との命令を受けた。「必死の覚悟で捜(さが)し助けてこい」と念を押された。大変なことである。
重機が取りはぐれたのは三日も前のことであり、夜々(よるよる)歩いて来たので道は分からない。分かるのはここより西の方角ということだけである。しかし中隊長にしてみれば、師団司令部から預かった大事な重機関銃を無くしたとなると、幾ら状況が悪いといっても責任を感じることは当然で、この「収容命令」となったのである。丸山班長以下五、六名が取り残されているので、助けてこなければならない。考えてみると、丸山班長以下全員が責任感強く、重機関銃を運ぶために中隊についてこれなくなってしまったのである。それほど重機は重かったのである。
伊多(いだ)軍曹は大変困難なことと思ったが、返す言葉もなく命じられたとおり「行ってきます、ただ今出発します」と答えた。伊多軍曹は三人の兵隊に対し、「我々は生きて中隊に追及できないと思う。ここに一握り砂糖がある。お前達よく味わっておけ」と言って砂糖を少しずつ分けてくれた。この砂糖は昨日か一昨日部落で、せしめたのだろうが貴重品である。
私も決死の覚悟をした。西の方角に向かって出発、とにかく西の方へ草原を歩いた。ある地点で小休止をしたところ、一度休んでしまうと体の自由がきかなくなり、草むらの中に寝込んでしまった。目を覚ますと真昼になっており、太陽が上から照りつける。背丈程の草むらの中だが、日陰が無いので、暑くてたまらない。敵の飛行機が三機飛来してきた。私達は見つからないかと心配したが飛行機は、上空を飛んで旋回(せんかい)し向こうに見える部落を攻撃した。間もなく火の手が上がった。雨期の間でも今日はよく晴れた日で、空には雲一つなく、西には先日まで我々が苦闘した痛恨(つうこん)のペグー山脈が見え、東は果てしなくペグー平地が続き、遥か遠くにシャン高原が見える。
夕方になり目指す西の方向に歩きはじめたが、日が暮れ方向も定まらず、道も分からないので田んぼの中の民家に入り休んだ。飯盒で飯を炊き食べ、弱った体を休めるため眠った。野宿と違い幾ら粗末な家でも、家の中は有難い。それに薪は家の一部を壊せばすぐに間に合うので簡単に炊事ができた。濡れた衣服も乾かすことができて助かった。
翌日も、当てのないことだが、とにかくマンダレー街道の方向を目指し四人で歩いた。雨期の最中だからどこも水びたしで腰を下ろして休む所がない。それに私は下痢をしているので、余計に苦しい。
その時、前方に小さな部落があり、そのとっかかりに寺院があり、その端に二階建てのハウスが目についた。そこに行って休もうと畔道(あぜみち)を伝って進んで行き、もう後五十メートルぐらいまで近づいた時、そのハウスから「パン」「パン」「パン」と突然銃撃してきた。田んぼの水面に弾が当たり水しぶきを上げた。思いもかけないことでびっくりした。
四人の前後左右に弾丸が飛んできた。三丁ぐらいの小銃で狙い射ってくる。とっさに水田の中に身を伏せた。広い水田の真っ只中(ただなか)で遮蔽物は何もない。
我々四人の姿は相手から丸見えだ。いつまでも伏せしている訳には行かない。お互は、めいめい勝手に立ち上がり田んぼの中を走って逃げた。走るといっても水田の中は走れるものではない。
それに敵から真っすぐ逃げたのでは照準(しょうじゅん)にされるので、ジグザグに逃げては伏せ、伏せては逃げ、息の続く限り走った。我々を敵弾が追ってきて水面に「パッ」「パッ」「パッ」と飛沫(しぶき)を上げた。
水面に伏せたり、ジグザグに逃げたりして、敵から四百メートル程離れ一息ついた。幸い誰にも弾が当たらなかった。だが全身水浸しで泥だらけである。背嚢の中まで濡れていた。敵といっても、現地人だろうから、鉄砲の扱い方が上手でなく、我々をもっと引きつけておいてから射ってきていたら、誰かがやられていただろう。彼等も怖かったので早い内から撃ってきたので私達は助かったのだ。ここでも泥んこになりながらも、紙一重スレスレで命拾いをしたのだ。
次の日も天気だったので夕方まで灌木の茂みに体を隠して休んだ。夜になり方向が分からないので、あばら小屋を見付け潜(もぐ)り込んだ。
昼間は敵に見つかるので行動しにくいし、夜は道が全然分からない。疲れ切っているので行動が緩慢で体が動かない。重機収容の任務を帯びているが如何(いかん)ともしがたい。悶々(もんもん)の内に二日三日四日が過ぎて行く。師団司令部や私達の一中隊はシッタン河へ向かって前進しただろう。そんなことを思うと、早く中隊へ追い付かないとシッタン平野に取り残されてしまうことになる。この平野は敵の勢力下にあり動くことも容易ではないのだ。
重機関銃はどうしても見つからない。仕方なく中隊へ追いつくことにした。シッタン平野に下りてからは、米にありつけ塩やガピー等も徴発(ちょうはつ)することができたので、体力も少し回復しつつあった。しかし私は玄米を食べて以来下痢(げり)が続き、一日に幾度も排便するので体調が良いとは言えなかった。焚火の後の炭を下痢止めと思いガシガシと噛んで食べた。

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