自分が持っていた機関銃の弾薬を他の兵隊に渡した。持ち物は自決用の手榴弾と飯盒と水筒、空に近い背嚢だけである。それに肌身離さず持っているお守りである。私は「自分はもう歩けないのでここで休むから置いて行ってくれ」と八木兵長に言った。八木兵長は「休んだらついてこいよ。いずれ俺達も、夕方になり今日の目的地に着けば休むのだから」「ついてくるんだぞ、あきらめてはいかんぞ」「あきらめてはいかんぞ」と力を込めて言った。
しかし、誰もがこれで終わりだと思い、私も最後の別離だと覚悟をした。藤井中尉から特に叱られはしなかった。みんな私を残して行ってしまった。
私は道端にへたばったままで動けない。高熱のため目も眩(くら)みそうで、精根尽き果てしゃがみ込んでしまった。
みんな行ってしまったし、誰も後からこの道を来る兵士がいないことは決まっている。孤独であり、ただ一人自分だけなのである。
すべてを諦(あきら)めねばならないのだ。意識のある間に、するべきことをしておかないといけない。意識が朦朧(もうろう)としてしまえば、自決する決断もできなくなり、のたれ死してしまう。それではいけない。今自決をすることだ。『自決だ』手榴弾を腰から外した。目の前が黒い帳(とばり)に覆われるような感じだ。これで自分もビルマの土になるのだ。両親の顔が目に浮かぶ。「お父さん、お母さん、長い間大変お世話になりここまで育てて頂き、恵まれた日々、楽しい人生を過ごさせて頂き有難うございました。先に行くことになりますがお許し下さい。兵隊として立派に今日まで尽くしてきましたからご安心下さい」
幼い日のことから、青野ヵ原行きの汽車の中で最後の別れをした時のことが思い出され、何とも言えない気持がした。「妹よ、兄は御国のために命を捧げるが、お前は元気で両親に孝行をしてくれ、俺の分までも」と心で言った。
学生時代の親友内田富士雄君、情緒豊かな君に学ぶことも多かった。俺はビルマに散って行く、青春の日々を懐かしみつつ。
会社の上司や、先輩の方々が、東京駅で送って下さった時の歓呼の声が思い出され震える。
米沢の西澤とよ子さんからの、懐かしく心をときめかし、勇気づけられた便り、「米沢のさくらんぼが小田さんのお帰りを待っています」の一節が思い出された。あれ程祈ってくれているのに、もう内地へ帰ることはできなくなり、今自分はこの世を去ろうとしている。可憐な彼女の姿が目蓋に浮かぶ。「さらばだ、今生の別れだ」悲痛な覚悟。手榴弾の安全栓を抜いた。
先端の突起を固い所に打ち着けて発火を確認し、敵陣を目がけて投げると四秒後に爆発するのだ。本来は敵を損傷させる兵器で、なかなかの威力を発揮するものだが、それが今は自決するために、確実に死ねる方法として使用されており、腹に手榴弾を抱いて死んだ姿を数限りなく見てきた。
いざ突起(とっき)を打ちつけようとすると、固い地面がない。雨に濡れた柔らかい道だけである。近くに何か固い石でもないかと探したが、無い。
十メートルほど離れた所に大きい木の幹があるが、弱りきった体はそこまで動いて行けない。打ちつける所がなく困った。
困ったなあー、と思うと一気に緊張が弛(ゆる)んで力なく横にころんだ。高熱で朦朧(もうろう)とした体は、すぐに眠ってしまったようである。
冷たい雨に打たれ、ふと気がつくと、「まだ生きているではないか!」「自分は生きているのだ!」の実感。二、三時間眠ったのだろうか、大粒の雨が頬を濡らしている。自決しなかったのだ、手榴弾をそこに置いたままである。高熱が下がったのだろうか、頭も痛くない。
しばらく茫然(ぼうぜん)としていたが、いくぶん疲労が回復しているようだ。不思議だがまだ若い体だから、眠っている間に少し元気になったのだろうか。こんどのマラリヤは悪性でなかったから熱が下がったのか?それとも、体が免疫になったのでこの程度ですんだのか知れないが、とにかく歩けそうだ。
前に行った斥候の一団に追いついてみようと心が動いた。抜いていた手榴弾の安全栓を元に差し込みきっちりと締めた。立ち上がり歩き始めた。
あれだけ高熱で弱っていたのに歩けるではないか。奇跡だろうと何であろうと歩けるのだ。ぼつぼつ歩いた。山道を十人が歩いているので、柔かい土の上に足跡が残っており、道を間違えず容易に後を追うことができた。その間どこにも家はなく人にも出会わず、あえぐように黙々として細い山道を歩いた。
三時間ばかり歩いた頃日が暮れだした。次第に薄暗くなり道が分りにくくなってきた。「ああ、駄目か、追いつけない」一人で野宿すると、この地方では虎が少ないが出てくるかも知れない。
ガックリと力を落とし再び自決をすることを思い・・・・寂しさと、迫りくる闇の恐怖を感じ、道も見えにくいのでもう歩くのを諦めようかと思っていた。その時、忽然(こうぜん)と目の前に柱が二本、鳥居のように立っているではないか。