その後は、更にいろいろのことで会うことも多く密接な関係を保っているが彼は岡山県ビルマ会の世話をよくしており、後に私もその会員となり関係行事に参加している。
特に、慰霊訪問団の一員として、私が二回ビルマへ行く機会に恵まれたのも、彼の勧めによるところが大きい。今だに、彼は「あの時は苦しかった、生きて帰れるとは思わなかった。小田、お前はメガネを糸で括り耳にかけていたが、痩せこけていたぞ。お互いに運があったのだなあ」と語り合った。
その内田君も平成七年二月永遠の旅に出てしまった。彼が健在ならば、私が今書いているこの原稿作成を支援してくれただろうに。今は心よりご冥福をお祈りするばかりである。みんな老いてきて、学友も戦友も次第に旅立ち寂しくなり、時は容赦なく過ぎてゆく。
◆うわさ
誰からともなくうわさが流れてきた。敵の飛行機からビラがまかれ、それには「日本が降伏した。戦いは終わったのだ」「日本軍は兵器を捨てて降伏してこい」「アイサレンダー
アイサレンダー(降参の意味)と言って、手を挙げて来い」「戦っても無駄だ」と書いてあるとのことだが、誰も信じなかった。
しかし、嘘だと決めつける情報も根拠もない。ビルマ方面軍司令部とか策軍司令部とか、師団司令部等の友軍側の正確なルートによる情報は全然入ってこない。当時師団司令部にある通信機は既に使用不能になっており、それにこれら司令部も聯隊も分散しており統一性を欠いでいた。伝令の兵士が直接徒歩によって連絡するしか手段がなく、連絡に何日もかかる状況であった。
情報といえば、信じたくない敵のこのビラしかないのだ。嘘かも知れない?敵側の「日本が負けた」というこのビラは英印軍の謀略(ぼうりゃく)かも知れない。でも敵は、ここ数日攻撃をしてこなくなっている。飛行機は飛んでくるが撃って来ない。不思議だが、負けたということは信じられなかったし信じたくなかった。それは八月二十二、三日の頃である。
◆さまざまな戦い
敵の飛行機が射撃して来ないので、昼間の行動ができるようになった。遮蔽物の少ない丘陵地帯を進むと、道端の屍が目につく。
手榴弾を抱いて自決したばかりなのか、腹がポッカリと吹き飛び、真っ赤な血が流れ出ている。
夜間の行軍なら幾ら死体があっても見えないが、生々しく見えすぎる。
また、地雷にやられて二人が道の真ん中で折り重なり死んでいる。死体がまだ新しい。蝿が二、三匹来ているだけでまだ屍臭(ししゅう)も気にならないぐらいである。屍の傍らを避けるようにして通る。このように、所々に地雷が仕掛けられているが、退却してくる日本軍を殺傷するために、現地人が仕掛けたとするならば、その地雷はどこから入手したのか不思議である。だが、現実我々は被害を被っている。
山の谷間に行き奇麗な水を汲もうと近寄ると水を汲んでいる者がいる。動かないのでよく見ると、その姿勢のままで息絶えている。そうなるとそこで水を汲む気になれない。幅十メートルぐらいの浅い小川を歩いて渡っていると、そこにもうつぶせに倒れた屍がある。どこの部隊の兵士なのか分からないが、このように点々と屍に出会う。ペグー山系に比べると、やや少ないが、ここにも幽気が漂っている。
今までに数えられない程の死骸を見てきており神経も麻痺しているはずだが、可哀相にと思うと同時に、臭く見苦しい姿には目をそむけ、自分だけはあんな姿になりたくないと思った。戦争はこんな場面を数知れず作っているのである。
小休止になりシラミ取りをしていると、どうも股の間が痒(かゆ)く痛みを感じる。よく見るときん玉の近くにもう一つの玉があり、大きく紫色をしている。ヒイルが喰い付いて思う存分血を吸い、膨(は)れあがっているのだ。取ろうとしても固く喰いついてなかなか取れない。やっと引きちぎってみると、大きなヒイルだ。私は痩せ衰え血液も少なくなっており一滴でも惜しいのに、こんな吸血鬼に血を吸い取られているのだ。この憎いやつは木の枝におり、動物や人間が下を通ると、上から落ちてきて衣服に止まり、やがて体に喰らいつき皮膚から血を吸うのだ。気持ちが悪いぐらい大型で凄いヒイルがいるものだ。
次はダニだ。いつの間にか顔や耳などに喰らいついている。戦友が顔をこちらに向け、この辺がおかしいので見てくれと言う。よく見ると目尻にポッリとほくろのようなものが少し盛り上がって黒く見える。ダニだ、ちょっと摘もうとしても、摘めない。爪を立ててやっと引きちぎった。
潰すと赤い血を一杯吸うていた。所かまわず、ダニがさばりつき血を吸う。山の中には物凄い数のダニがいるようだ。
次はサソリだ。青黒い大きな奴を何回か見た。また小さな茶色をしたのも見たが、刺されたことはなく、刺されて困った話も私は聞いたことがなかった。
次は蛇だ。首を持ち上げたコブラを一度見たことがあるが、それは一回だけ。滴るような緑色をした五十センチぐらいの蛇を見た。それは灌木に登っていたが、美しいだけに気持ちが悪く忘れられない。猛毒を持つ蛇だということだ。
アラカン山脈シンゴンダインで二十頭の猿の群れに会った。その時自分一人だったので気持ちが悪かった。野性の象の群れを見たと誰かが言っていた。このようにいろいろの生きものに出会ったが、大した被害は聞かなかった。前に書いた虎についての被害と恐ろしさだけは格別だった。