十二貫野用水は、加賀藩の命を受けた椎名道三が天保十年
(1839)着工、わずか15か月間で約21kmの用水路を完成させた。
道三は標高250mの十二貫野台地に水を引くためと水量確保のため、
尾ノ沼・宇奈月谷・分銅谷に取入口を設けたほか、多くの
谷川の水を水源にした。
尾ノ沼谷・中山間21kmの険しい山中を、標高差は100mもない
緩い勾配で通水したこと、また、栗寺地内に分水する第一分水が
途中の谷を横断するため「伏越の理」(ふせごしのり=逆サイフォン)
を利用した「龍ノ口用水」などは道三の優れた土木技術を示すものと
して有名である。
尾ノ沼谷は、僧ケ谷(1,855.4m)を源とし長さ4.9km、流域面積6.7
Kuの渓谷で、黒部川には標高230mの地点で合流している。黒部川
沿岸の断崖地形と十二貫野台地の標高の関係から、黒部川からの
取水不可能を知った道三は、尾ノ沼谷の標高346.8mの地点を水源に
定め、そこから約21kmの断崖絶壁を縫って、標高250mの中山地内に
導水した。その測量技術は、絶妙と言わざるをえない。また、尾ノ
沼谷は積雪が4.0〜5.0mあり水量が減少する7月上旬〜8月上旬まで
残雪があるため、安定した用水供給の源としても重要な役割を
果たしている。
[現地案内板より転記]
宇奈月ダム湖畔にある「とちの湯」(富山県下新川郡宇奈月町字大尾6215)の裏手の山に
尾ノ沼谷十二貫野用水取水口があるということで訪問してきました。
十二貫野は、黒部市の南方一帯に連なる丘陵地帯です。江戸時代、飢饉にみまわれたこの
地区で新田開発が計画され、当時の卓越した土木技師、椎名道三によって用水が引かれました。
宇奈月町及び黒部市の240haをかんがいしています。上記案内文のように、道三はこの地区が
黒部川沿岸にありながら、本流の河床が低いため、河床より127mも高い尾ノ沼谷の渓流に
水源を求め、サイホンの原理を利用し、石管で導水するなど、当時としては非常に高度な
技術をもって施工しています。
「とちの湯」で地元の方に話を伺ったところ、現在はほとんどが暗渠化されて当時の用水を
見れるところはないようです。
写真中央のやや右の石積み部分が取水口です。
尾ノ沼谷の渓流です。この辺りも改良工事が進められていました。私が訪問した翌日の新聞に、
この工事現場でカモシカが岩に挟まって動けなくなってたという記事が。前日に工事中の岩の上を
上って取水口を探していた私メは(◎o◎)ドキッ。