2003年2月mei01

水神様の公園(すいじんさまのこうえん)

伏木の取水元池の水神様

高岡市伏木東一宮

 
 「現地の看板」及び1996年に発行された「たかおか散策」には、 概略次のように記されています。 『もののふの 八十乙女らが くみまがう 寺井のうえの かたかごの花  (おおぜいの乙女たちが入り乱れて水を汲む 寺の井のほとりの  かたくりの花よ)・・・・・  寺井というのはお寺の井戸、万葉集のこの歌にあるように、 河岸段丘に沿うこのあたりの崖下は、昔から湧き水が多く、 土地の人たちはそれを飲み水や農業用水として使ってきました。 そして、泉のほとりには水神様をまつり、聖地として 大切にしてきたのです。やがて、水道の施設がひろまり、湧き水に たよらなくてもいいようになると井戸は埋められ、「水神」と 刻まれた石碑だけがあちこちに放置されるようになったのです。 今、お堂にまつられている先手観音、不動明王、地蔵菩薩の 三体の石仏も、長くこのあたりの崖っぷちに放置されていたのだ そうです。昭和十四年、信心深いこのあたりの人たちによってお堂が建てられ、 野ざらしの仏たちは、お堂にまつられることになりました。 それから五十年たった平成元年、お堂は改築され、野の神・野の仏を囲む この水神公園が造られたのです。』
 また、2001年発行の「高岡水道物語」には、次のように記されています。 『伏木地区では、いつの頃からか「取り水」といって簡易水道が 使用されてきました。伏木地区は、台地と低地からなりますが、 台地上では深さ15m以上の井戸を掘らねばならず、一方低地では、 元来が沼地であったため水質が極端に悪かったからです。 台地上では高段の崖下の湧き水を、また低地では下段の崖下の 湧き水を水源として、竹樋で水を各家々へ引いていたのです。 元池となる崖下泉のほとりに建てられた水神の石碑は、 「取り水」が完全に姿を消した今日でも、なお所々で 見ることができます。』

  伏木小学校近く、伏木神社に向かって左側の傾斜地の一角にある公園です。 水はないんだけど(^^;)紹介です。水は昔から大切だったんですね。 越中国府が置かれていた伏木地区の水神信仰がしのばれます。


水神様の公園1  右が水神様、左が観音様や不動様です。後方に見えるのは伏木神社の木立です。【2003年2月撮影】



水神様の公園2  「水神」と刻まれた石碑がまつられています。【2003年2月撮影】




水神様の公園3  観音様や不動様と思われる石仏がまつられています。【2003年2月撮影】




水神様の公園4  伏木小学校の6年生の子供たちが建てた看板です。 その昔、大伴家持がこのあたりの泉のほとりで詠んだ カタカゴの花の歌が記され、乙女も描かれています。 【2003年2月撮影】




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