HONDA GB250clubman(1983年式?)

gb250




 


<紹介と乗った理由>
ボクが免許を取った15年前、自宅にあった唯一の中型バイク。その数年前、父親が友人から
比較的安価で入手したらしい。
父親は買った当初数回乗っただけで、車庫の中で惰眠を貪っていた所を半ば強引に搾取。
別に、乗りたくて乗ったわけではないので、最初はシングル特有の味とか、そんなもん、
全く分からなかったです。
ハンドルも、GB250特有の一文字で、一般的には好き嫌いが別れるところでしょう。
これも、そんなもん、て感じで特に気にもせず。
今乗ると、かなりスリムで、怖さすら感じます。擦りぬけにはかなり良いです。
個体そのものは、前オーナーがかなりの好き物だったらしく、純正オプションがフル装備。
前後フェンダ、チェンカバー、ライトスティはアルミ。小さなタンクバック、タンクに貼る
ニーグリップラバー、シングルシート。そしてかわいいメーターバイザー。
カタログに出てるOPで手元になかったのは、サイドカバーに貼ってあるのと同じ意匠の
ステッカーだけでした^^;
で、ミラーはナポレックスのバーエンド、社外の摩擦式ステダンも装着されてました。
全体的に、1型のこのGBは名前とは裏腹にBMWに似ていて、バーエンドミラー
なんかつけて、ニーグリップラバー貼ったりすると、まんま、です。
前オーナーは本物のBMW持ってましたから、多分、洒落でやったのでしょうが、今思うと、
ボクが乗ってるとかなり恥ずかしいコンプレックス仕様だったのかもしれません。
とは言え、そんな事当時のボクが知る由もなく、他人に指摘されたこともなかったので、
単純にフルオプションで、擦りぬけしにくいミラーだなあ、位にしか思いませんでした。
因みに塗色は銀色。走行は当時で約4000キロ程。
ミラーは、後に通常の位置に変更。バーエンドは振動が凄くて視認性がないことに
対する対策。


<帰郷と下宿>
ボクが二輪の免許を取ったのは夏で、その冬には、下宿先の名古屋で乗ろうと、一月の東名をひた走って
戻った時は、寒さと風に煽られて、富士川や、大井川の橋の上は本当に恐ろしかったことを
覚えてます。
実は、冬装備は殆ど無く、グローブすら量販店で購入した僅か2000円くらいの無名品。
(その後、ウィンターグローブ購入後は春秋用に重宝しました。その程度の防寒性能です。)
レザーブーツも、ライダージャケットもなく、スキー靴下二枚履きで後はひたすら厚着の
モコモコ星人で、コンバースのハイカットを履いて走りきりました。
若かったなあ(笑)
しかも、小型シングルらしく、低速トルクは少なく、回転で勝負する設定。
故にギア比は低めで、高速では8000回転位で巡航。レッドが10000回転くらいなのに、
勘弁して欲しかったです。そのくせ、振動は一丁前に厳しく、手が痒くなる以上に、麻痺して
クラッチやブレーキレバーが握りにくかったのも怖い思い出です。
多分、バーエンドの錘を外してミラーに付け換えてあったのもその理由の一つでは
あったのでしょう。
いずれにせよ、高速を長距離移動するのは不得手な部類だ、というのは試す前から分かっては
いたので、自業自得でしたが^^;

<太いタイヤ>
高速では、苦い思い出がもう一つあります。
帰郷する際に、ある名古屋のバイクやでリアタイヤの交換を頼みました。
かなり磨り減っていて、距離(約500キロ)をこなすには心配だったからです。
無論、馴染みのショップ、というのではなく、(土地勘なくて、知らなかった)
殆ど飛び込みに近い状態での依頼でした。
GB純正のサイズは110/90-18ですが、そのサイズの在庫はなかったので、120/90-18
とワンサイズ太くせざるをえませんでした。時間が無かったので、手配を待つゆとり
はありませんでした。
今なら、他のバイクやを当たるところなのでしょうが、そんな知恵と度胸(内弁慶なの^^;)
が無かった故に、そのサイズで妥協した、というのがホントのとろです。
ショップに持ち込んで、コーヒーなんぞを啜って、待ってると、ハイ、出来上がり。
見ると、スイングアームとのクリアランスがほんの数ミリ。ボール紙が入るか、入んないか、
ってそのくらいキツキツです。一抹の不安は有りましたが、プロがやったのだから大丈夫だろうと、
解釈して、納得しました。
その翌日、実家に向けて帰郷です。タイヤを見ても未だヒゲもついてるくらいで皮剥き、
なんて全然です。ま、高速で馴らせばいいか、なんて思って、あんまりバンクしないように
ゆっくり行く事にしました。
名古屋から、東名をひた走って、東へ約100キロ。ウナギで有名な
浜名湖のSAで大休止です。寒いから、とにかく、缶コーヒー、トイレ近い、缶コーヒー、
トイレ近い、....繰り返しなんで、浜名湖で、まとめて休憩したんですね。
で、件のリアタイヤふと見たら、くっきり、トレッドに深い擦り傷が刻まれてるんです。
回転方向に1本。太さ、約5ミリ、深さ、約3ミリ。
カーカスコードに迄は達していなさそうでしたが、摩擦熱で想定外の事象が起こると、
バイク初心者故、どうなるかはまったく分かりません。
それでも、一抹の願いを込めて、センスタ掛けて、タイヤ回すと、ズー、とかいってます。
軽く、サッ、サッ、くらいなら恐る恐る出発したのでしょうが、
明らかに、タイヤがスイングアームと競ってるんです。しかも、チェンはかなりキツキツ。
これ以上チェンを張ると怖いのですが、そうも言ってられないので、車載工具でチェンの
張りなおしを敢行です。
因みに、それまでもチェン張りはやってました。ええ、自転車で。(笑)しかも自己流。
でも、やるしかないのです。帰郷しなけりゃならないのですから。
分かっているのは、その経験と、チェンケースに書いてあるたわみ量指示だけ。
センスタ払って張る、とか、負荷かけて張る、とか全く知りませんでした。
だって自転車はリジッドだし^^;
通りすがりのオバちゃんが興味深そうに(ウソ、冬にバイク乗ってるバカを構いたいだけ(笑))
覗きこむと、ブツブツいって同情を乞いましたが無駄でした。
そんなオバちゃんに、今やってる作業の理由と意味を話しても絶対理解できないのですから。
今でも、そのタイヤはついてます。溝も浅くなりましたが、残ってますよ(笑)
そのショップはその時一度だけの付き合いになってしまいましたがね。

<セル>
大学3年の夏に北海道に行く事を友人と決め、その前に少し整備しようと、そこらでカストなんちゃら、
つうオイルを買ってきて、昔のパリーグみたいな名前の部品やでフィルターも買ってきて、
オイル交換なんぞをしておくことにしました。
その前に、青い表紙のサービスマニュアル、つうのをしこんでましたから、要領だけは
分かったつもりで、ちょっと離れた大きな分譲墓地へと向かいました。
下宿の前は、結構な人通りだったし、なによりボクのアパートの部屋は二階で通路のドンつきだったので、
手を洗うにしても、道具を持ってくるにしても、面倒なんですね。
しかも、その間、誰かにイタズラとされたらイヤだし。
つうことで、水があって、静かで、日除けになるあずまやがある大きな墓地はボク的には
整備の穴場だったんです。四輪では入れないようなとこでも、2輪なら、ま、大きな声じゃ
言えないけど、入れたし。
よく晴れた7月の平日の午前中、なんて、よほど信仰心がないと普通、墓参り、こないですもん。
お寺があるわけじゃないから、監視する人はいないし。夕方、警備会社が門を施錠するまでは、
ほぼしたい放題でした。限度はあったけどね(笑)
で、作業開始。SMによれば、クランクケースの下部にオイルストレーナ、つう網があって、
オイルフィルターに行く前に大きなゴミはそこでキャッチすることになってる、という一文が。
右のクランクカバーを外すと、簡単にアクセスできるような感じだったので、そこも
オイルを抜くのだからついでに掃除しょ、って思って、オイル抜いて、カバーを外しました。
そこにはへんてこな紙も貼ってあったので、ああ、オイル漏れ止め紙なんだろうな、って
思って、恐る恐る外しました。ええ、少し傷つけちゃいましたけどね。
ストレーナは全くゴミ付着なぞなく、ボロ雑巾で拭って、再セット。
カバーも元通りに付けて、オイル交換、フィルターもOK、と。なんだ、簡単じゃん、
といい調子で完了。古オイルは新聞いれたポリ袋を二重にしてそこのクズカゴヘ投入。
本来、枯れた花とか、干からびた饅頭なんかを捨てるであろうクズカゴなんだろうけどな。
ま、いいや。
で、メット被って、エンジン始動。”ギャリリーン、ストストスト”
ん、変な音してエンジンかかったな?ま、いいか。
翌日からは、もう、セルボタン、10回押して、セルが噛むのが1回。後は全部、
”ギャリ”で終わり。それでも、直せるようなショップ、分からないし、全く
かからないわけじゃないから、騙し騙し乗りました。

北海道行きのフェリーは新潟からにしたんで、一度実家に帰郷してから行く事にしました。
けど、どうしてもセルの件が気になるんで、地元の馴染みのショップ(そのバイクを新車から
面倒見てるトコ)に持ってくと、セルの修理しなきゃダメだという診断。
右クランクカバーに有る筈のベアリングが失われていて、故にセルが暴れて、ピニオンが
キレイになめてる、という。金額的には大した事はないが、部品の手配が間に合うかどうか
が問題で、ダメなら、道中ずっと押し掛けも覚悟しなさい、との弁。
フェリーは予約してあるし、それに併せて名古屋の友人と北海道で待ち合わせてあるので、
キャンセルは難しい。困った事態だ。4日後には出発の朝を迎えてしまうというのに。
最悪の事態も考えたけど、何もしないで待ってるのも切ないので、部品の手配が間に合わない時は、
手をつけないで返して下さい、とタワケな事をお願いして、バイクを預けて来ました。
”部品来たから、今からやるね”って、電話来たのが、出発前日の昼過ぎ。
夕方には引き取ってきて、めでたし、めでたし。
あの時はホントに、お世話になりました。内藤さん。

<その時行き会った友人達>
写真は、その時の北海道で知り合った友人達と、意気投合して、秋に長野の平湯温泉に出かけた時の
一コマ。左から、VT250の山ちゃん、GB250のボク、フロントだけちょっと出てる
ZZ-R400のもっちゃん。2日目には、今や一般車乗り入れ禁止な乗鞍スカイラインにも登りました。
高度が高すぎて、エンジンが吹けなくなってしまったのは驚きでした。

実は、この彼らとの出会いもドラマチックなものでした。
セルを直したGBは、翌朝、快調に始動して、一路新潟へと北進します。
全通して数年(まだ対面通行だった)の長い県境のトンネルを抜けて、
ここが最寄りの出口直前のPA、つうところで、最後の休憩をとることに
しました。時期が時期だけに、きっと同じような満載の荷を積んだバイクが
何台もいるに違いない、と勝手に期待してたら、無情にも、古い、VTが1台。
しかも、大胆にもPA内の緑地にテントを張ってるじゃあありませんか。
話し掛けると、やはり、彼も北海道行きを企ててるライダーでした。
しかし、アプローチが異なり、彼は、ずっと日本海側を陸路北上して青函フェリーで
上陸するとのこと。
ま、あの広い北海道で行き会うことはないだろうな、と思いつつも、
では、現地でまた、会いましょう、とお決まりのセリフで別れました。
相模ナンバーでカウルなしのVT250F黒、なぜかラジオ用のアンテナ付き、
これだけが印象に残って、ボクは、数時間後、船上の人になりました。
北海道をバイクで旅した事があれば、きっと経験あるでしょうが、同じ宿から
出発すると、同宿だった人と同じ目的地で行き会う事がよくあります。
一周を目指すと、概ね1日の走行距離が同じくらいですから、それは
さして驚くほどの事はないのです。

ですが、上陸日も、方法も、地点も違うのに、紋別で再開した時は本当に
驚きました。何たる偶然!
ボクは、名古屋の友人とT字路で信号待ちをしていました。左折するつもりで。
そしたら、目の前を黒いアンテナ付きのカウルレスVTが右に走って行きました。
ボクも、はっとして、直ぐにマーカーを右に点灯し直して、即、追跡開始です。
幸い、信号も直ぐ変り、じきに追いつきました。
VTの山ちゃんも、ボクのGBのメーターバイザーを見てすぐに思い出してくれました。
突然、知らないバイクと話し出した名古屋の友人も多少面食らってましたが、
事情を知れば、直ぐ打ち解けました。
VTの山ちゃんも、現地で2人の仲間と意気投合し、同行してましたが、
そんなわけで、一気に5人に増えたメンバーで昼食のカニ料理を食べました。
その後、数日を一緒に過ごしました。凄く素晴らしい仲間ができて、
楽しいキャンプもできました。いい思い出です。

<現在>
そんな彼らとも最近はすっかりご無沙汰で、今では年賀状だけのつきあいに
なってしまいつつあります。
みんな、結婚して所帯を持つと、なかなかバイクにのる時間がとれないようで、
苦労は察してあまりあるところです。
そんな思い出の詰ったGB250ですが、現在、走行は20000キロほど。
翌年にGB400を購入してしまったので、ここ10年位は全く動いていません。
とりあえずどうこうする気はないのですが、所有するのが父親ですから、ボク
がどうこう言える立場でもないので、そのまま寝かしてあります。
      
                                        2003/1/3記
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