ボクと縁あったクルマたち |
免許取得以前~国産車編~ |
セドリック230 |
最初に我が家に来た自家用車。当時では最高級グレードGL
だったとか。学校に上がる前には下取りにだしたそうです。記憶は殆どありません。
現物は、地味なシルバ−でした。
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ホンダS800チェ−ン |
何故、我が家にあったのか未だに不明。父親が友人から譲って
もらったらしいのですが。気が付いたら、我が家に時々ありました。
普段は、会社に置いてあったようです。塗色は黄色。多分、塗り替えたのでしょう。後年、純正の黄色を
みたところ、かなり記憶より薄かったです。ステアはウッド。故にチェン駆動だったものと推測されます。
シフトノブはサニーのウッドでした。間違いなく。幌はなく、純正のHTを被せてありました。
その屋根に登ってジャンプすると、車内の友達は頭が錆びだらけになるのがおもしろかったです。
助手席に鍵穴がなかったり、インパネの方向指示機灯が左右に別れてなかったり、側溝に落ちた弟を拾って
後ろの幌置き場に乗せて連れ帰ったり、ローラースルーをホンダに買いにいったり(赤でした)、
シフトブーツが破けてたりと、そんな下らないことばかり憶えてます。
ボクが小学校にあがって間もなく、X1/9を購入した父親は、不調だった(らしい)これを
別の知り合いに譲ったようです。しかし、すぐ、中古車屋に転売され、そこが近所だったことも
あり、暫く展示されていたのを憶えています。
ボクが中学生になってからも、ごく稀にエスハチをみかけました。信号が青に変ると、自転車に跨ったボクを
追い越して行ってしまいます。それを目で追いかけ、耳であの心地よい響きを聞くと、涙が出そうになりました。
そう、あのエクゾーストノートは、ボクを一気に幼稚園児の心に戻してしまうのでした。実に懐かしく、他のどの車
とも違う、四輪では絶対聞けない音でした。今でも、イベント等でみかけて、あの音を耳にすると、
たまらない気持になってしまったりします。^^;
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ホンダZ空冷 |
母親が免許を取得して、最初に購入したクルマ。当時の地元のディーラーの
所長の奥様が乗っていらしたのを譲って頂いたようです。空冷のキャブ車のオートマ。スペアタイヤの
ためにわざわざ開閉口を設けてある後部の眺めや、立型のドアハンドルなど、ヘンテコなディティール
だけは憶えています。母親が、出前を頼んだうどんを待ち切れずに、自分で引き取りに行き、後部の
トレイに載せて、帰宅途中、後車鏡に映るうどんに気をとられ、側溝へ落輪。車内はうどん臭に満ち溢れ、
その匂いは、取れませんでした。ボクが幼稚園児だった頃です。
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ホンダシビック(SB-1) |
Zが、うどん臭でどうにも乗れなくなってしまい、次に来たのが茶色のシビック。
スターレンジのある、ホンダ言うところの”ホンダマチック”車でした。多分、オーバーライダーとかついてない
大人しいバージョンで、”GL”だったはずです。雨の日に、幼稚園に送ってもらったりした記憶があります。
なぜか、運転席の前だけワイパーが故障していたはず。リンクがもげてたのでしょうか。今では信じられない
故障です。黒いビニールレザーのシートが印象に残ってます。現在も我が家に存在するサバンナワゴンを購入する
ため、ドナドナされて行きました。
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プレジデント |
セドリック230を父の弟に貸したところ、事故で廃車にされてしまい、何を血迷ったか、
次に来たのは、プレジデントでした。どういうわけか、新車でおろしたらしく、そのボディは
ぴかぴかの黒でした。三角窓を含めて、全ての窓が電動。コラムのAT。横長の速度計。重たいドア。
大きなトランク。当時はなんとも思いませんでしたが、当時の我が家は一体、どういうことになっていたのでしょう。
今でも当時の事は、全くわけがわかりません。
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セドリック430ワゴン |
プレジデントを下取りにして、次に来たのがセドリックワゴン。
サードシートがあるベンコラの8人乗り。家族で旅行にも行ったりして、ちょっと懐かしい思いでがあります。
写真のクルマが現物そのもので、唯一現存する写真です。
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ダットサントラック4WD ダブルキャブ |
これは、納車の日の天気まで覚えてます。白いダットサン。茶色のビニールレザーの
内装で、凄く安っぽかった記憶があります。エルスターの白い8スポークとBFグッドリッチのATタイヤで武装して、
数年乗った筈です。初期のZ18エンジン(但しシングルプラグ)で結構軽快な走りでした。オフに行くと、
ちょっと意気地がなく、4Hは使えないような特性でした。結構好きでしたが、シャリオを購入する時、知り合いに
譲ったようです。
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シャリオ4WD MT |
これも、納車の日の様子まで覚えてます。変なブルーと銀色。濃いグレーのモケット
内装で、フロントシートはランタボと同じもので、当時としては凄いサイドサポートでした。
購入したのは地元のディーラーからですが、担当したH氏(現在も在籍)が、発注ミスをしでかし、
折角マイチェンしたのを待って契約したのに、納車されたのは旧型。^^;
タイヤサイズとライトウオッシャが異なる程度だったので、同等品以上のサービス品を頂いて、和解となりました。
後に聞いたところ、一般ユーザにLPGのデボネアを納車しそうになったりしたこともあったとかで、
面白い方でした。現在も、友人がそのディーラーに勤務してる都合、たまに見かけますが、気さくないい人です。
クルマは、後のブルーバード購入の際、下取りに出しました。
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スバルサンバー |
まともなクルマを運転したのは、確か会社のサンバートラック。クラッチとブレーキの
調和が難しくて、動かすのがやっとでした。
当時会社にあったサンバ−は、低床式という珍しい型で、リアエンジンのスバルでしかなし得ない
形状でした。軽トラにも四駆が必須になった今では、ペラシャが通せないあの形状は成立しないでしょう。
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ホンダ シティ |
その後、ホンダのシティも乗った事があります。乗ったというより、
エンジンをかけた程度といってよいでしょうか。当時のマッドネスの宣伝が印象的でした。
後年、実際に1ヵ月ほど友人の車両を借りた事がありましたが、兎に角軽く、言い換えれば
安っぽいクルマで、気軽に乗れたクルマでした。
ボクが買うなら、とカタログで選んだのは、”E”というグレードで、車内の至るところに樹脂一体成形
の小物入れが装備されたグレードだったからなんです。そんなに小物入れあっても、
ゴミだらけになってしまうだろうに、なぜなんだろか。
実際には街で見掛けるシティは圧倒的に”R”でしたが、それも、ターボ1が出ると
あっという間に駆逐されました。そんなにみんなハイパワー好きだったのでしょうか。
それにしても、シティ、あれほど走ってたのに、どこいったんでしょ?
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日産ローレル トヨタスターレット |
免許を取りに行った時、教習車として供されたのが、ローレルC32。
絶壁インパネと酷評されたあれです。5速フロアで2.8のディーゼル。当然ナンバーは8でしたが、
その頃導入されたATの教習車は、助手席の補助ブレーキのない5ナンバーだったんです。
教官、よく怖くなかったな、と感心する事しきりです。
で、2段階終了間際で、どうしても見極めが貰えず。原因は半クラができなかったからで
した。半クラ使うとクルマの寿命が縮む、ってもう、スクランブルカーマガジンの読みすぎ、だっちゅうの(笑)
父親に相談したら、工事中で行き止まりの道へ連れていかれ、会社にあったスターレットのバン(EP71)で
その特訓です。こいつは、非線形のスロットルリンケージだった
(要するに、スロットルの初期レスポンスを軽快に見せかけてた)ために、とにかくアクセルが敏感で、
えらく半クラに苦労しました。ロケットスタートは得意だったのですが、じわりと発進、というのが凄く難題で、
半日くらい半べそでやったのを覚えてます。
クルマそのものは後年、よく仕事でのりました。最も安い仕様だった故、ブレーキブースターがオプション(!)
扱いだったくらいですから、考えられる全ての豪華装備が省かれていました。
その分非常に軽快で、燃費も良く、面白いクルマでした。
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