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長尾日記



昔の写真集。
アルバムを作る趣味はないのだが、やってみると面白かった。
自転車とわたしの歴史。編集中。
(自己治癒のつもり)



2007年11月30日(金曜日)
今日は苦しかった。昨日の昼から既に死体状態だったが 今朝なんとか辿り付き、椅子の上にずるけて座って モニターに向かうのが精一杯だった。
アサヌマさんからケータイメールで
「今日はおとなしいじゃん。くずれた積み木みたいになってない?」
と言われた。
・・・。新横浜からカメラ監視されているのだろうか。

イシダさんも同じだ。お互い顔見合わせて
「今日は・・・だめだよね」
「だめですね・・・7日目ってのは、ダメでしたね。」

今日もトクナガさんは午後から這うように出てきた。
黙々と机に向かい、咳き込む彼の痛々しい姿に、満面の笑みで
「大丈夫ですか?背中さすってあげましょうか!」と言う加藤。
もう笑うしかないトクナガさん。
ははははは。

夜にシムラ君、、いや、僕より上級職だから「さん」と呼ぼう。 シムラさんが来たので、頼んだ書類を見せてもらい、レビューして、 今日は早々帰った。
いや、帰るつもりだったがマサガネさんから飲みに行こうと 誘われた。たぶん、今日は開発工程完了なのでひといきつこう、 というつもりなのだろう。
とりあえビールと、焼酎ストレート5までは今、記憶にある。
11時すぎに店を出る。
茅場町から九段下へ出て、半蔵門線に乗る。
しばらくして、目の前で座っていたひとが降りた。
空いた座席に座る.加藤。。。。


気がつくと、青葉台だった。
青葉台?
青葉台。
・・・どこ?それ?


・・・・来月は、1センチぐらい幸せな月になるといいなぁ。



2007年11月29日(木曜日)
さすがに先週土曜から連続6日目の昼夜間連続攻撃ともなると、気力の底から 力が沸かない状態である。
トクナガ少尉は、生きていた。かろうじて。でも野戦病院 行ったほうがよい状態であった。喉を痛めて、血が出るらしい。 声がかすれていた。
かく言う自分も青息吐息であり、食後はムクロのように 動けなくなった。兵站部へ行きアスピリンならぬ、 リポビタン8NEWを買う。さすがに250円も するだけあって効いた気にする。明日は、ゼナか。

7日目である明日を乗り越えれば、2日間の休暇だ。 2ヶ月ぶりだろうか。2日間の休みは。
これで「寝る」「食う」以外の行為ができるな。

今日の夕方からの軍作戦会議は中止になった。助かる。 今夜のイシダ准尉、、もうすぐ少尉か?、との会議も 明日へ延期になった。
今日は、早めに後退して陣地に戻ったほうがよいかもしれない。 来週平日1日休めと准尉から命令があった。
可能かどうか分からないが、そうしたい。




2007年11月27日(火曜日)
ばんりーのー波涛をーのりーこえーてー!
うーみーゆかーばー 水漬く屍ぇぇぇぇ!

今日も加藤のゆけゆけしねしねテーマ曲。
でも、午後から頭痛がして、若いのを8時に帰して
僕も9時に帰った。
久しぶりにWBSの小谷さんを見た気がする。



・・・・
トクナガさん、今日も来ない。
死んだかな?





2007年11月25日(日曜日)その3
戦争は峠を越えた。
左翼の支柱となったフカイ伍長は、左翼の戦線を収めたのち、 左翼線の敵残党狩りはエリートのシムラ准尉に任せて、 右翼を支えるオキナカ一等兵の救援に回った。 まったく大活躍である。
右翼線は思いのほか敵の勢力が強大であって、ひとりで 防戦していたオキナカ一等兵は実は危機的状況だった。 気がつかなかった僕は、フカイ伍長の配置換えを上官から 打診され、即対応。今日で右翼もなんとかなった。
左翼線の防御はシムラ准尉には適当にやらせて、 周囲の地歩を自分が固めた。意外とこれが難作業で、 すっかり自分が主力になってしまった。 でももはや闘って敵を撃つと言う、戦略どころじゃない 佳境だったので、そのまま突進してしまった。
今日の戦闘で敵はほぼ全面的に後退し、局地的に散発的な 戦闘があるのみだ。
来週1週間でこの戦闘も第一段階が終結する。 来月からの第二戦略はまだ見えないが、今までより すこしは好転するだろう。
好転しなければ、もう身が持たないのだが。


2007年11月25日(日曜日)その2
0時に帰宅し、松本清張「点と線」の録画を観る。
昭和。
僕はまだ40歳にならないけど、昭和と聞くと、切なくなる。

昭和があった。
戦争があった。
大正バブルがあって、
明治があって、
維新があって、
日本の今は、おおきな流れの行き着いた先なんだ。

封建制が終わって120年ぐらいで、平成になり、 日本はどこかマンガのようにきれいになった。 話す中身、人の過ごし方、みんな変わった。

なにか忘れている、きれいで美しいそこに、空虚を感じる。 そのきっかけが、僕には「昭和」という映像だ。

僕の恩師である、大学院のときの先生、戸田先生は とある講義で、僕に「社会が溶けている」と言った。
どうするかはキミらの世代だと、珍しく言った。

もう他界されたが、きっと戦前生まれの方には、 今の平成プラスティックは、きっと砂漠だったのかも しれない。
もっと話すべきだった。
仕事の合間にガッコウに遊びに行くべきだったな。 他の先生の顰蹙を買っても。
忙しいのは良くない。
忙しいのは、ちっとも良くない。
人生の損失である。
愚の骨頂である。
貧しさと惨めの象徴である。



2007年11月25日(日曜日)
配車にまつわる件について。

高橋君の件について加藤が「言わずに思ったこと」

最初の書き込み「同僚追加は無理でしょうか」
配車が全部決まったあとにこの話題。
「あちゃー。。。こまったちゃんが、さらにこまったちゃんを増やしたな。」
「うーん、、、、放置?スルー?」
しばらくして追川さんから愛のムチが
「僕もやっぱり言わないとだめかなぁ。追川さんみたいに駄目だと思ったことを ちゃんと伝えないと、彼らの教育にならないかなぁ。。。ってか、相変わらず ストレートだけど言うこというんだなぁ。そういうオトナ、日本には減ったよなぁ。。。」
もうしばらくして、高橋君の再度書き込み

「同僚と輪行します」

うーん、、、テストだとすると、0点?

自分が余計な動きをすると回りが困ったりすることもあるってのを、 なかなか分からないかな。大勢のなかで自分の貢献と迷惑を、すこしは 意識しないと「一人前」とは言えず、「大きいおこちゃま」になっちゃう なぁ。そういえばもう一人大きいおこちゃまがいたなぁ。。。某O氏。
あ、いまさら匿名もなにか。オダさんだけど。

さらに追川さんから書き込み。
こりゃ、ほんとに追川さんばかり気苦労して、みんな楽してるようなもんだよ。 いかんなー。。。いかんなー。。。

と言って、高橋君が人付き合いをすこしづつ感じとってもらえるように なるしかないのかなぁ。。。こまったなぁ。。追川さんグレないと良いけど。。


ってことである。
言う、言わないのちがいだけなのである。ならば言う人のほうが立派。
そういうことである。

加藤の戦略は、ソフトに対応して引き寄せて、いうべきことを「たまに」言う。
「言うことはきっちり言う」があって初めて両立する、どちらかというと 僕はセーフティーネットみたいなおまけなのである。




2007年11月24日(土曜日)
金はいらん。自由をくれ。








2007年11月23日(金曜日)その2
仕事をやめたくなるきっかけというのは、ほとんど人間関係だ。

社会人2年目で、9月末からずっと週休1日だけで 一緒に辛抱してくれている沖中君を心配する僕に、 「ちょっとワガママだから、あまり配慮しなくていいよ」 というイシダさん。さすがにこの会社の体質を考えさせられた。 かく言う加藤も評価はむろん低い。

睡眠時間さえ削って何ヶ月もやっているのは、 きっと自分たちだけがわるいのに違いない。
あとで発言を否定していたが、この件は覚えておこう。

http://hoshinofpeye.seesaa.net/article/50607488.html




閑ネタ
閑ネタ2



サブプライムの馬鹿ヤロー!!!!!
あめりかのくそやろーごまかしやろーしんじまえー
またちゅうごくあめりかと戦争してやるぞー



ばんりーのーはっとおーおー! のりこーえーてー!!!

今月の給料は、 先月の残業代でボーナス級だった。来月もまたボーナスとボーナス級か。 オルカにハイエースに、次はパソコンでも買うか?

まいにちタクシー帰宅も飽きたし、
ってか、失業者になっちゃおうかな。





http://www.youtube.com/watch?v=oacbHQ5cPOE&feature=related

[同期の桜]
貴様と俺とは同期の桜同じ兵学校の庭に咲く 
咲いた花なら散るのは覚悟 
見事散りましょ国の為

貴様と俺とは同期の桜同じ兵学校の庭に咲く
血肉分けたる仲ではないが 
何故か気が合うて別れられぬ 

貴様と俺とは同期の桜同じ航空隊の庭に咲く
仰いだ夕焼け南の空に 
今だかえらね一番機 

貴様と俺とは同期の桜同じ航空隊の庭に咲く
あれほど誓ったその日も待たず 
何故に散ったか死んだのか 

貴様と俺とは同期の桜離れ離れに散ろうとも
花の都の靖国神社 
春の梢に咲いて会おう








2007年11月23日(金曜日)
日本の不景気は、みえないところで少しづつ病魔が消えつつあった。 すっかり身体がおとろえて気弱で神経質で意固地になった日本にも、 わずかづつやさしい暖かい風が、ふきはじめそうな芽吹きが 僕には見えた。
・・・

また自転車に乗れるぐらい不景気になるか、あるいはもっと 「誰も選ばない地獄」の仕事になるか、
そんな明日だろうか。




ついでに余計なことを言おう。
僕がハイエースを買ってBossに「乗ってね」と言うのは、 オダさんがいつ事故るかわからないからだ。

Bossがオダさんのクルマにのるのは、チーム移動に クルマが足りないのと、キケンを他人に負わせないからだ。
誰かがそれに乗るのを望んでないから、自分で乗っちゃう。
いちおう楽だしタダだし。。。。
・・・たぶん。たぶんね。(1週間以内にこれは消そう。








6時に目覚ましが鳴る。辛い。
6時15分ぐらいに起きる。眠い。
朝ご飯を食べて、支度し、50分ぐらいに出る。
電車に揺られて8時20分に着く。
地獄の始まりだ。

23時になると帰る算段をする。
最低でも24時までには現場を出る。
電車に揺られる。溝の口からタクシーに乗る。
1時過ぎに着き、風呂に入る。
2時ごろ寝る。
以上繰り返し。

金曜日は、3時ごろまで起きている
。 精神的に寝られないからだ。
ついに精神的欲求と身体のバランスが崩壊して、ようやく布団に入る。
朝はいつものクセで6時過ぎに目覚める。
土曜を実感して、また寝る。
10時前後に朝ご飯を食べる。
テレビを呆けて見る。今週なにがあったのだ?
すぐにお昼になる。
昼ご飯を食べて、風林火山の再放送を見る。
満腹になって、昼寝する。
気がつくと夕方だ。
朝からずっと寝間着のまま。そのまま晩ご飯を食べる。
テレビをみてるうちに、夜9時を過ぎる。
風呂に入って寝る。明日も出勤だ。

いったいどれだけこの生活を続けているだろう?
いつのまに冬になったのだ?
ついこの前が小川村だったような気がする。
そういや沖縄は終わったのか。
みんな生きているか?


2007年11月17日(土曜日)その3
さいきん辛そうな東芝軍のトクナガ少尉が聞く。
「カトウさん、そんなに頑張ってて、来週からもしかして、余裕を狙ってるとか?」
答えに窮する自分。
「え?なんで?カトウさん、そんな満面の笑み浮かべて、、、」

「トクナガさん。そんなこと、あると思ってるんですか。いまさら。 なにを聞いてるんです。これからも僕ら、ずーっとこんな(地獄)ですよ。」

さいきん彼らも厳しさが半端じゃないようだ。
厳しい順番が交代になったのか心配したのだろうか。
そんな心配無用なのに。

早朝から深夜まで、土曜以外は来る日も来る日も欠かすことなく 働きつづける我々に、彼らはひそかに驚嘆しているらしい。 さいきんトクナガ少尉の直部下であるヨシダさんに、 「タフですねぇ。」とよく言われる。 きっとそのときも僕は満面の笑みなのだろう。

なぜ、我知らず笑顔になるのか。
それは、ヒミツである。



(深夜自席に戻ってみると、先に帰ったトクナガさんからの差し入れのおせんべいがあった。)



2007年11月17日(土曜日)その2
戦局はわずかに好転した。
敵軍団の完全根絶という、少数隊の短期決戦では不可能なマサガネ大佐の 主張してきた軍事目標から、敵部隊の一掃と将来の反撃に備えた柵の構築 という、現実路線となった。
援軍であるエリートのシムラ曹長は体が弱いのか週2日も闘えず、 口は立派だが結果が伴わない。 一方さほど大きな期待をしてなかったフカイ伍長はこの5日間、じつに 八面六臂の大活躍で、右翼線でオキナカ一等兵が守勢になっている状態 では、なんとも心強かった。
そもそも抜刀突撃の攻撃ならば自分の得意である。増援の彼らを激励して 共に切り込みを繰り返すなど、なんどやっても辛くは無いのだ。今まで 延々苦しんできた、 遠い未来と遠大な敵への作戦につぐ作戦、しかも情報も無い、斥候も居ない、 自らで強行偵察を行いつつ作戦立案作業の繰り返しのような負担範囲の無限な 無間地獄に比べれば、銃剣を振るい突貫するほうが何倍も楽である。
左翼線が活発になることによって、攻められる一方だった我らの守勢も、 部分的に攻勢へ転じることができるようになった。
いまだ地獄の底だが、明日のない戦いではなくなってきた。



http://www.youtube.com/watch?v=6Ds5ZX5UXh4





2007年11月17日(土曜日)
日本の首相はアーリントン墓地に行く。だれも批難しない。
夏に靖国神社に行く。国内外挙げて大騒ぎ。
へんな国だな。
やっぱり僕はウヨクなのかな。
仕事で死んだら、どっかで祀ってくれるのかな?
祀ってもらって、半世紀間、けなされるのかな?




2007年11月11日(土曜日)その3
木曜に医者に行き、以来胃潰瘍に効く薬を飲んでいる。 夜半に腹痛が背中までいったのでヤバイと思ったが 血液検査の結果は問題なかった。 その後は薬と暖房のおかげで無事である。


今日、Wikipediaでタイガーマスクを調べて思い出した。
タイガーマスク の最終回は、梶原一騎原作の常で死んじゃうのでなく、 虎の穴の総帥レスラーの度重なる反則技に痛めつけられてボロボロになり、 最後は顔面攻撃を避けるために覆面を脱ぐ。正体がばれてしまった伊達直人は、 過去自分が虎の穴で鍛えられた反則技を繰り返して総帥に襲い掛かり、 彼を圧倒して倒す。
リング上で高らかに笑い、周囲を唖然とさせる元タイガーマスク。
最後は一人国外へ旅立っていくのである。。。

そうだ、思い出した。。






2007年11月11日(土曜日)その2
昨日の話。
同一戦地である東芝軍のトクナガ少尉が珍しく、仲間もなく、
ひとりうずくまっていた。
「トクナガさん頑張れ」と励ましたら、
「カトウさんには言われたくない。なにせあんたは
 最も激闘のうえ戦地まで自転車で来ちゃうアホだから」
と苦しそうに笑っていた。
ははははは。

彼らとはよく兵糧のやり取りをして慰めあう仲であり、 軍を超えて友好関係にあるのは、それだけこの戦場の 恐ろしさを物語っているのである。


2007年11月11日(土曜日)
昨日、本国の戦友、マエダ准尉から来た電報。
---------------------------------------------------------------------
> ping skatou

Request Death Out
Request Death Out
Request Death Out


だめだこりゃ。
---------------------------------------------------------------------

カトウの返信。
---------------------------------------------------------------------
ページを表示できません

検索中の技術者は現在、死亡しています。身体的な問題が発生しているか、
アライブ状態でない可能性があります。

次のことを試してください。
 ・アライブバーにアライブアドレスを入力した場合は、アライブアドレスを
  正しく入力したかどうかを確認してください。
 ・「ほかのやつは生きてるか」ボタンをクリックするか、後でやりなおして
   ください。

HTTP 404 技術者未検出
Alive Explorer


---------------------------------------------------------------------

(大声で)♪万里のー波涛をー、のりこーえーてー!



2007年11月10日(金曜日)
今日は思わぬ援軍があった。

今日も轟く砲声。 爆音。至近弾が俺の頭上をギリギリかすめる。荒れ狂う突風。壊れた身体には爆風だけで腹が千切れそうだ。
黙々と塹壕を掘り陣形を修正するが、こんなことどれほど意味があるというのだろう。二度また敵の総攻撃がくれば山も谷もなくなってしまうはずなのに。

コバヤシ上等兵が後方から歩いてきて言う。
「西側の谷で敵を待ち伏せ出来るとこの前申し上げましたが、東側のみで西側は出来ませんでした。」
「なぜだ。お前には東の谷でなく西側でも待ち伏せ可能か、何度も聞いて、お前は何度も出来ると言ったな。」
「はい。」
「いつから出来なくなったのだ」
「先月からです」
「先週大丈夫ですとお前は言ったな。」
「はい、マサガネ大佐が先月非戦闘地域にと言ってました」
「。。。お前はその場の命令をいつもやっつけ仕事で片付けるだけで何も考えない他人任せだから、大事な2つの情報が結びつかないのだ。」
「はい」
「一体何度目だ?お前のやることなすこと、意味がないどころじゃなく、現場を間違った方向に誘導して危機にさせているのだぞ。」
「はい」
「きさまを送り出した傭兵隊長に責めを負って貰うから、覚悟しろよ」

オキナカ一等兵はたった一人で右翼を守って支えている。彼もカトウ同様真っ赤な血まみれ満身創痍だ。
いい歳して高給取りのコバヤシ上等兵は後方勤務も任すのが危うい。こんな貧しいやつとこの戦場では、破綻がくるのは当たり前だな。

一人黙々と塹壕を掘る。
昼過ぎに野戦電話が鳴る。フカイ伍長からだ。
昨日はアサヌマ戦車長とフカイ伍長、ヒライ伍長、本国エリートのシムラ曹長が応援に来てくれていたばかりだった。 今日は何事かとオキナカ一等兵から電話を受け取る。なに、フカイ伍長は午前で自分の持ち場の戦場を片付け、午後から 今日もこちらに援軍で来るというのか。
。。。助かる。。。
日曜カトウが一人で戦うつもりだった箇所を、彼がまるで自分がやるべきもののように始めたではないか。 ふだんは何事もめんどくさそうな彼が、である。
22時まで共に存分に戦い、彼は帰っていった。
彼を見直した。
ありがとう。




2007年11月7日(水曜日)その4
明日の明日

配役:
 本郷猛:かとー
 立花籐兵衛:イシダ准尉 (小林昭二に似てるかも。。)
 滝和也:アサヌマ戦車長
 少年ライダー隊:オキナカ1等兵
 セミミンガー:ヒライ伍長

滝って知ってる?
本郷猛の危機をたびたび救う、
彼の友人で改造人間じゃない普通の人。




2007年11月7日(水曜日)その3

あすの日記。

ゆけゆけしねしねのテーマ














2007年11月7日(水曜日)その2
今日は戦死しました。
峠が見えて、息絶えました。
墓入りして親を安心させました。

明日また地獄に生まれます。
戦車長も来てくれるし、なんとかなるでしょう。
なーむ。


♪あーのーひーとーは、あのひとーはー
♪わーたーしー だけのじーじかー




ありし日のアサヌマ戦車長とカトウ降下突撃兵




にてる



2007年11月7日(水曜日)
テレビに出た夢を見た。
なぜか相武紗季が僕のファンだそうだ。
ほぇ?
相武紗季っていえば、ジャイアントコーンの子じゃないか!
加藤の記憶はどういうつながりになっているのだろう。

♪あーのーひーとーは、あのひとーはー
♪わーたーしー だけのじゅーじかー




テレ朝「特捜最前線」=特命捜査課
テレ朝「相棒」=特命係

関係あるのかな。。。

なぬ、特捜最前線しらない?
知らない人は当ページの年齢コード違反ですよ。うふふふ。

今日はちっと身体が壊れたので半休全休である。


2007年11月6日(火曜日)
http://www.youtube.com/watch?v=Ye9Kc7Jn1OY
(うた:最年少のマヒナスターズ田渕純)

私だけの十字架
作詞:尾中美千絵 作曲:木下忠司 歌:チリアーノ

風が吹けば港に
船は帰り来るけど
若い愛を交わした
笑顔、二度と見えない
あの人は あの人は
丘の白い十字架

星の揺れる港を
二人見てたあの日よ
肩に受けた口づけ
愛の形見消せない
あの人は あの人は
私だけの十字架

陽ざし揺れる港を
船は離れてゆくけど
愛の祈り交わした
声は二度と聞けない
あの人は あの人は
風と語る十字架
風と語る十字架



2007年11月4日(日曜日)
えりかーさいこー!
今日もやってくれました。オリンピック銅メダル相手に、クイック・ブロック決めて 相手を翻弄。おかげで動きやすくなった高橋や、さらに決めやすくなった栗原がびしびし。 2セット先取されて1セット返して、第4セットは超もりあがって、イケル、と思ったら 高橋が珍しくブレーキ。。。。
ま、きっと批難が集まるだろうけど、ま、しょうがないさ。そういうこともあるさ。 高橋は研究されつくしているのだから、つい気合が空回りして一本調子になったら 付け入れられるのは、しょうがないさ。

大山カナが復活した。一部分復活?
まだ腰痛だかヘルニアが悪いらしいが、でも、存在感ある!いいー!
大山・栗原・荒木のでかい・強い3名がそろい、万能なゴムマリMyサオリンと、 若手パワー炸裂の日は近いのだ。
杉山は前よりも、身体を絞ったのだろうか?なんだか陸上選手っぽい、、、そうか、 走りこみをかなりやったのだろうか?気迫がある。
リベロ佐野は安定している。実に安定している。あんだけ地味な仕事で目立たず、 悪いところが見えないのは、完璧にこなしてるのだ。
竹下も将来の後継ぎを考えつつこれから望むのだろうな。でも今はとっても外せないな。 これに代わるセッターはいないからなぁ。。。

それにしても、荒木のクイック・ブロックはパワフルだ。
おもわずセルビア選手らが、自分たちのブロック陣形にあたふた悩んでいた。 その隙を狙って栗原が、サオリンがびし・どかっ!
それに応対しようとすると、こんどは荒木えりかがバンっ!と叩き込む。 いやー、今日は負けたけど、中身あったよ。
昨日の韓国戦第4セットの後半で荒木が急に力強く打ち込めるようになり 「ついに、ついに」と思ったけど、今日みたらそれはまぐれじゃなかった!

荒木が機能すれば、イタリヤや中国も、、、と思ったが、銅メダルセルビアを 一時は撃破しそうな勢いだった。いや、あの第4セットの7点差で、あの圧倒的な ひろってねばってねばって打ち込むバレーがもうちょっと続けば、4セットも 5セットももぎ取って、セルビアの体力をぼろぼろにすることができたかもしれない。

おしいけど、でもいいものを観た。
いやー、たのしかったなー。

ちなみに今日は職場へ自転車で行った。
やっぱこれだね。爽快だね。

でも、、、坂がまったく登れない、脚が重い、息が苦しい、100メートルない坂が辛いなんて、 オーベストのみんなにはヒミツなのでアール。


2007年11月3日(土曜日)その5
えりか〜!さいこー!

今日の全日本女子バレーは、さいこーに面白かった。
観てる僕が気合入りまくり。いけーうてーひろえー!
柳本監督によると、今が最強だそうだ。さもありなん。
竹下・高橋のベテランが堅く支えて、
栗原、木村の若手ががんがん打って、
佐野が拾って、荒木と杉山でセンター、移動、ブロック。。。
いちばんまだ「皮がむけてない」感のあった荒木が、今日はよかった!
今日の韓国戦第四セットの荒木は、すげー強かった。
センターが攻めて守って、すると栗原とか木村がずっと動きやすくなる。
これでまだ大山カナが出てないのだから、じつに頼もしいぃ。

んー、やってくれましたね、えりかちゃん。
荒木が今日みたいにやってくれれば、イタリヤや中国にだって、おくれは とらないはずだ!

明日は強豪、銅メダルのセルビアだそうだ。
ここで真価が問われるわけだな。
辛い戦いにちがいないが、「ゆけゆけしねしね」である。

おんなのこに「ゆけゆけしねしね」は駄目か。。ははは。
そいつは僕のテーマにしておこう。




2007年11月3日(土曜日)その4
オーベストに戻れる日はいつだろう?
もう脚はすっかり細くなってしまった。
僕はそんなに仕事好きじゃないのになぁ。
またハァハァ坂を登りたい。
ん?いつもどこでも、同じことやってんのかな?
ははははは。






2007年11月3日(土曜日)その3
今週の地獄は、さらに厳しい戦局だった。
月曜は寝ることもままならず、火曜も深夜まで、ひとりひたすら闘った。
水曜さすがに顔に出て、周囲を心配させた。
オキナカ一等兵も、よくその持ち場を一人で持ちこたえてくれる。
すまぬ。
あの彼でさえ、もう一杯な状態だ。表情で分かる。
コバヤシ上等兵はあいかわらず割り箸ていどの役で、まるで支えにならないが 後方で雑務ぐらい勤めてもらおう。
本国から1人、エリートのシムラ曹長が派遣されたが、週2日だけだと?
たしかに技能と知恵はあるが、キレイな仕事を守っている。恐れが見える。
この僕の血の池に誘うには、頼れない。

僕には片翼を守るオッキーが心の支えだ。
そして遠方でも支援してくれるアサヌマ戦車長がいれば、
まだまだ持ちこたえることができる。



今日は休日。ライダーでも聴いて、風林火山の再放送観て、 からだを休めよう。


2007年11月3日(土曜日)その2

宇宙戦艦ヤマトのオープニング。
これ はオープニングのロングバージョンで、2番の歌詞あり。

「さらば地球よ愛する人よ」「期待の人が、俺たちならば・・・」


真赤なスカーフテレビ版は、TouTubeから削除されたらしい。
あの赤土の地球を、毎週土曜のエンディングで聞いて育って、
今見ると、切ない地球だなぁと、改めて思う。




2007年11月3日(土曜日)
オーベスト・正式チームソング


配役:
如月ハニー:おおたにさん
団兵衛おじさん:もりかわさん
青児さん:わださん
順平くん:ケンジー(そのまんまじゃん!)





2007年11月2日(金曜日)
金曜夜、ぎゃー!





2007年11月1日(木曜日)

だいごー

正義のパンチをぶちかませ

かならーず帰るからー

一人でも守る





日本の証券のITの将来のいくぶんかは、なんとかする。