今年も母校の大学祭の時期がやってきた。今年のカレンダーでは23日が木曜日で祝日、間の24日が平日で、25日26日が土日である。これは間を埋めてめぐめぐするしかないという事で、休暇をねじ込むことに成功した。ついでに25日に学祭にも顔を出せるというものだ。
23日の午前中の飛行機で岡山入りし、迎えに来てくれた後輩2人にジョイフルに連れ込まれてコーヒータイム。
本当にジョイフルが好きなお二人だ。今回は新岡山港に向かう産業道路沿いにできた平井店だった。最近岡山にもジョイフル旋風が吹き荒れているようで、あちこちに新店が開店している。安いわ飲み物の50円券をくれるわで、若者を中心に割と流行っているようだ。この後実家まで送ってもらって、二人は学祭の準備に出かけていった。昼食を実家で食べ、車を拝借して出発する。今回の目的地、
東の川簡易郵便局は流石に岡山からは遠く、当日の朝出発では流石に辛いので、前日に近くまで行って宿泊という事にした。14時に今岡君の家まで行って合流し、国道2号をノコノコ東へ。もうじき無料開放される龍野太子バイパス、姫路バイパスを通り、第二神明、阪神高速、西名阪を通って香芝インターで降りた。今日のお宿は橿原市にある「あすかロードYH」だ。日も暮れて地元道をうねうね行って、近鉄の大和八木駅までやって来た。YHはここから細〜い道を行って、普通の住宅街の中にあった。民家を改造した感じのYHで、外見も普通の民家と変わらない。最近出来たYHだけあって中は大変綺麗だった。夕食は頼んでいなかったので外で食べ、談話室で歓談してから寝た。

迫郵便局
斜面にせり出すように
町の中心機能が揃っている。
お隣は商工会館
明けて24日。私の誕生日だ。朝食もそこそこにYHを出発。もうこの時期だと朝は寒い。国道169号を南へ進むが、通勤の車が多いためかノロノロ運転が続く。まさかこんなに混んでいるとは思ってなかったが、芦原峠を越えて吉野町へ入ると順調に走るようになった。沿道には
畑屋簡易郵便局、
檜垣本簡易郵便局が見えた。この辺りはやたらと簡易局が多く、また今度巡りたい所だ。吉野川まで出てきて、川を遡るように東へ進む。昨日からずっと走り続けてきた車にエサを与え、我々人間のエサも買い込む。これから奥へ進むので、コンビニなんぞあるのもこの辺りまでだ。やがて右手に
吉野宮滝郵便局が見えた。最初はここから始めようかと思っていたのだが、残しておいても後日巡るときの効率低下にはならないため飛ばすことにした。
一見民家みたいな感じの特定局だったが、後日今日がこの局舎での最終営業日だった事を知った。近くに新局舎は見当たらなかったが、移転したそうだ。車は長いトンネルを抜けて、いよいよ吉野川が作る山深い渓谷へと進む。川上村へと入って今日最初の訪問局である
大滝郵便局に到着した。時刻は8時50分くらい。いつもながらいい時間に到着するのはいいのだが、一休みするヒマもない。局舎の写真を撮っていると9時になり、本日の1局目を完了。ここから大台ヶ原を目指して南下していく。局を出るとすぐに大滝ダムの工事現場となり、道路はダムの堰堤の高さまでどんどん上っていく。眼下には荒れ果てた地面が広がる。山の郵便局を巡っているとしばしば目にする光景だ。

柏木郵便局
ここは細い旧道沿いで駐車
も大変だ。局舎は2階建てで
かなり立派だ。
やがて前方に、田舎の山中には似つかわしく無い整然とした家並みが見えてきた。ここは大滝ダムで水没する村の中心部が、谷底から移転してきた集落だ。道の脇に村役場から商工会議所、銀行、そしてお目当ての
迫郵便局が、一列に整然と建ち並んでいた。山奥の村には違和感のある佇まいだ。ここは村の中心にある局だが村の名前を冠していなかった。貯金と局舎写真撮影をして、再び整備された国道を南下する。ダムのために大金が投じられているらしく、深い山の中にも関わらず2車線の整備された道が続く。同じ山道でも、一つ山を隔てた十津川村を縦断する国道は、1.5車線の狭い道だ。
やはり岡山の奥津の例にもあるように、山村に道路が整備されるきっかけにはダムが絡んでいる場合が多いようだ。しばらくほぼ無人地帯を通り、柏木の集落へ。ここは国道の裏道に
柏木郵便局があった。細い道の脇にあり、これが昔の国道だと思われる。今岡君が局舎の入り口に掛けられた古い看板を見つけたが、何て書いてあったのか忘れてしまった。ここで川上村の全3局が終わり、更に山奥へと足を延ばす。大迫ダムの堰堤を過ぎると、いよいよ山は深くなり、快適だった道も細くなってきた。不意に前方に信号が現れたので何かと思ったら、道が細いので交互通行になっていた。工事などで交互通行なのはよく見かけるが、常時交互通行は珍しい。やがて大台ヶ原へと向かう道が分岐し、国道は新伯母峰トンネルへ吸い込まれる。長いがかなり昔に作られたトンネルらしく、狭い。トンネルを抜けるといよいよ
東の川簡易郵便局のある上北山村へと入った。

上北山西原郵便局
局自体が川にせり出して
建っている。時が止まった
ような雰囲気がとても気に
入った。
坂を駆け下りると右手に天川村へと抜ける「行者還林道」が分かれていった。林道と名が付くだけあって「これがそうなの?」という位の道だ。冬季閉鎖というのも頷ける。天川には大峰山があり、そこへの行者が通った道だ。更に進むと「西原」という看板があり、それに従って脇道へと入る。あまり民家もない谷間の集落で、お目当ての
上北山西原郵便局も道路から川にせり出して建っていた。どうみても特定局に見合うだけの人がいる集落ではない。しかし局周辺の穏やかな雰囲気と川のせせらぎ、山の緑などが溶け合っており、とても気に入った。ここ大台ヶ原や尾鷲近辺は日本で一番雨の降る一帯だが、今日は快晴で山の色がとても映えていた。局員さんは一人しかおられなかったが他にはお客もおらず、すんなり処理して下さった。めずらしく洗剤のお土産付きだった。局を辞して国道に戻り、更に南下していく。やがて上北山村の中心街へと入り、非常に久しぶりの信号機に出会った。
上北山郵便局はこの信号を右へ入り、一本裏の道沿いにあった。局員さんが花壇に水をあげていたところに車を横付けしてしまった。お邪魔してすみません。ここでちょっと道路情報を収集。次はいよいよ
東の川簡易郵便局なのだが、普通に国道を行く道の他にここから峠を越えて行く短絡路があるのだ。ザンギリ峠とかいうらしく、私の手元の地図には載っていないが今岡君が事前に調査していた。が、局員さんによるとここから
東の川簡易郵便局までは50分くらいで、そのザンギリ峠を越えても10分も変わらないらしい。その代わりザンギリ峠は倒木や土砂崩れが頻発しており、通れない事が多いらしい。結局リスクを考えると普通に行った方が良いよいう結論になった。

上北山郵便局
ここも脇道沿いに佇む。
オフライン預け入れ後の
再入力操作をここでお願い
する人もおり、局員さんも慣
れておられるそうだ。
さて次はいよいよお目当ての
東の川簡易郵便局だ。ここは知る人ぞ知る有名な簡易局で、全国でも極めて稀なオフライン取扱がまだ残っている局だ。しかしそれ以上に凄いのは周囲の人口だろう。なんとここは局員さん以外誰も住んでいないのだ。また厳密に言えば局員さんも週末は尾鷲の自宅へと戻るため、人口0であると言っても良い。では何故そんな所に郵便局があるのか・・・。それは後で語るとして、まずはそこへ至るまでの道のりを。
上北山郵便局を出ると池原貯水池沿いの道となる。当然ながら集落は水没しており、無人の山道が延々と続く。貯水池には釣りを楽しむ人達がボートを浮かべていた。やがて一旦下北山村へと入り、池原ダムの巨大な堰堤を渡る。遙か下に上池原の集落が見え、オーバーかも知れないが100mくらいの落差はあったと感じた。堰堤の袂にはドライブインみたいな建物があり、ここから遙か
東の川簡易郵便局への道が延びる。一応尾鷲まで抜ける国道425号線なのだが、とてもそうは思えない道だ。気を付けないと道には穴が開いており、こんな所で立ち往生はごめんだ。1車線でブラインドカーブの山道が延々と続いていく。殆ど対向車は来ないが、油断しているのでたまに来るのでちょっとびっくりする。沿線はまったくの無人地帯で、この奥に郵便局があるのが信じられない。途中道路工事をやっていて、何やら看板に発破作業による通行止めの案内が書かれていた。ここが通行止めだと上北山へ戻ることができなくなるので、駄目なら尾鷲へ抜けようという事にした。池原ダムの堰堤から30分も走ったろうか、遂に「←東の川局1.5km」という看板が見えた。

東の川簡易郵便局
ようやくたどり着いた伝説の
簡易局。分け入っても分け
入っても青い山、更に分け
入って簡易局って所か。
地図
国道から分かれていよいよ荒れるに任せた道を行く。しばし走ると不意にコンクリートの建物が姿を見せる。これは昔の小学校の跡らしく、荒れ果てて廃墟と化していた。しかしここにも昔は集落があり、子供もいたという何よりの証拠だ。ここは池原ダムよりも以前に作られた坂本ダムによって水没した集落で、高台にあったこの小学校と
東の川簡易郵便局を含む僅かな民家だけが残った形だ。そして
東の川簡易郵便局はこの小学校から少し行くと、道よりも更に高い山の斜面に位置していた。1時間弱も無人地帯を走り続けて、やっと見つけた〒マークには思わず感激だ。
さっそく局まで車で・・・と思ったが、局へと上る道にとても曲がれないV字カーブがある。これはどうしたものかと考えたが、結局スイッチバックすることに。下の道からバックで少し上り、V字カーブの向こうにある空き地にお尻から突っ込んで、無事通過することができた。集落はこの一本道に沿って建っており、一番手前が
東の川簡易郵便局、その奥に営林事務所跡と数件の民家が建ち並ぶ。車を集落の奥に止め、いよいよ聖地(笑)へと足を運ぶ。事前にこの日の昼頃にお邪魔するとお願いしておいたので安心だ。局の外には受託者さんのものと思われる洗濯物が干されていた。局に入るとお年を召した受託者の方が窓口に座っていた。ここは電気は来ているが有線電話は来ていないため、電話は無線電話だ。局内に公衆電話があったので試しに家に電話してみたが、サーというノイズの向こうに留守電の声が聞こえた。そういえば事前にここに電話した時もかなり聞き取りにくかった。聞けば有線電話がないので、オンライン化は無理だそうだ。確かに。

東の川簡易郵便局
洗濯物に生活感を感じる。
8:30〜14:30営業。
ただし週明けは受託者さんが
尾鷲から来るので少し遅い開
局になるらしい。
またお盆や正月休みも長い
ので注意。
さて、さっそく貯金をお願いすることにした。ここはオフライン局なので、オフライン専用通帳で貯金をお願いする。普段使用している通帳はカードや振替口座などの機能が付いているため、オフライン局で預け入れする事ができないためだ。5745局目なので5745円を預ける。普段は100円だが、オフライン通帳なので局数が分からなくなるためだ。昔では当たり前だった金額器と呼ばれる通帳に刻印するための機械が現役で働いている。受託者さんが丁寧に金額をあわせ、ガチャンと音をたてて金額を通帳に刻んでいく。私は定額貯金もお願いしたので、二人で処理に20分ほどかかった。その間、少しお話をする事ができたのだが、
ここで郵便局を続けておられる理由は、今は集落を離れている人たちがもし戻ってきても不自由しないように、という事だ。局に隣接する民家の方々は今は尾鷲などに住んでいるが、将来的に戻って来てもいいようにとの配慮のようだ。果たしてそれが本当の理由なのか私には分からないが、その日が来るまでお元気で頑張って下さい。結局、30分あまり滞在し、お礼を言って局を後にした。訪問者は月に多くて2,3人、山中の無人の集落に佇む簡易局は何か考えさせられるものであった。もちろんこの訪問者は全て私と同じように、郵便局を巡っている方々である事は言うまでもないだろう。
先ほどの急カーブをスイッチバックで切り抜け、再び小学校跡を眺めて元来た道を引き返す。距離的に言えばここから上北山へ抜けるよりも、県境を越えて尾鷲に抜ける方が近いし、道も良いらしい。
こう考えると我々の訪問ルートが最も時間が掛かるルートのようだ。その分、着いた時の感激もひとしおだったのかも知れないが。車は国道まで出てきて、上北山方面へ。先ほど聞いた話では、郵便局の収集車は
東の川簡易郵便局までは来ず、受託者の方がこの交差点まで出向いて、郵便物を受け渡すそうだ。局からここまで約1.5kmの道のり、雨や雪では決して楽な道のりではないだろう。収集は1日1回、朝だけなので、私が先ほど差し出した葉書は3日後の月曜日の朝まで局でお眠りとなる。車は山道を縫うように走り、先ほどの道路工事現場へさしかかる。幸いなことに発破による通行止めは無く、無事通過することができた。さっきと同じように対向車に注意しながら進み、やがて池原ダムの堰堤まで戻ってきた。
東の川簡易郵便局からここまで約40分、やはり容易ではない道だ。ここから上池原の集落目指して坂を下りていく。ダムの堰堤の下には水辺公園が整備されており、快晴の空の下に色が映える。
上池原郵便局は国道から1本入った旧道沿いにあり、局の前の城みたいな民家に目がいった。ここでは
東の川簡易郵便局の分も含めて200円を預ける。こうしないと局数表示が狂ってしまうからだ。また今岡君はここで再入力操作をお願いする。局員さんも流石に慣れており、5分もしないうちに完了してしまった。私はオフライン専用通帳を使っているので、再入力操作はお願いしなかった。再入力操作をしなくても1週間程度で原簿に反映されるため、その間にオンラインでの取扱をしないのであれば再入力の必要はない。要は
東の川簡易郵便局で取り扱われた預入票が原簿所管庁に送られ、そこで手入力で原簿にオフラインでの取扱を反映するのに1週間程度かかるという事だ。再入力操作とは、この反映させる操作を郵便局で行うものだ。これを行えば1週間待たなくても即原簿に反映されるため、すぐにオンラインでの取扱が可能になる。ちなみにぱるるなどの振替口座などが付いていると、オフライン局での取扱ができない。これはオフライン局での預入から再入力までの間に振込などがあると、原簿の残高と通帳の残高が一致しなくなるためだ。まあ私も詳しくは知らないが、とにかくややこしい。ま、これにてオフライン局訪問に関わる依頼事項は全て済んだ訳だ。
以下作成中