2001年1月の記録

郵貯日 普特 中央 簡易 分室 出張 年合計 通算合計 非扱 非扱計 地域 交通手段
1月04日 5805 143 沖縄 車・タクシー
1月05日 10 10 13 5815 143 沖縄 船・車
合計 12 13 1日平均(31日) 0.42局

2001年1月4日(木) 日本最西端にて新世紀初郵貯の巻

70403 与那国郵便局久部良分室 9:40  5803  八重山郡与那国町久部良4022
70403 日本最西端の島 与那国郵便局 10:10  5804  八重山郡与那国町字与那国49-3
70404 大浜郵便局 12:50  5805  石垣市字大浜39-1
 年が明けて21世紀。ついにやって来ました。今年の正月は元旦の晩から飛行機で沖縄へやって来た。簡単に行程を書いておくと、元旦の晩に那覇入りして宿泊。2日はレンタカーで本島南部を観光して那覇市内のYHに宿泊。3日は朝の飛行機で石垣島を経由して与那国島入りし、レンタカーで島内をのんびり観光して、日本最西端の西崎(いりざき、と読む)にほど近い民宿に宿泊していた。

与那国郵便局久部良分室
与那国郵便局久部良分室
最近新築したようで、外見は
特定局を名乗ってもなんら
不思議はない。特定局化され
たらまた来なきゃ(笑)。
12時〜13時はお昼休み。
写真は前日(3日)に撮影した
もので、快晴だった。
地図@国土地理院

 そして迎えた1月4日朝。この日は前日までの快晴からうって変わって雨模様となっていた。9時前には宿からすぐの与那国郵便局久部良分室の前に待機していた。21世紀最初の訪問局が日本最西端の郵便局になる計画だ。9時になるのを待って分室にお邪魔し、早速貯金・・・しようとしたのだが、オンライン端末が立ち上がらないらしい。分室だけあって局員さんは1人しかおらず、四苦八苦しておられる様子。仕方ないので先に実逓の裏に押す和文印のための切手を購入し、ぺたぺた貼ることにした。年始めの営業日のためか、お客も割と多く、近くのスキューバ専門の宿に泊まっている方が、荷物を発送しに来ていたりもした。海底遺跡なるものが発見されて以来、与那国島でのスキューバは人気があるらしい。黒潮がぶつかる島なので透明度も高いそうだ。その代わり潮の流れが速くて中級者向けらしい。また与那国島は地元では「ドナン島」と呼ばれるらしいが、この潮の速さによって昔は船が着きにくく「渡難島」と当て字されていたそうだ。話が逸れたが切手を貼って和文印を自分で押し終わった。この作業に20分程要したが、この間に目出度く端末の方も復旧したようだ。ここまで来て端末不良で貯金できなかったら暴れてしまいそうだったので一安心だ(笑)。日本最西端の郵便局という事で通常貯金の他に定額貯金もお願いした。ここの局舎は最近建て直されたそうで、その記念のタオルを戴いた。

与那国郵便局
与那国郵便局
こちらも前日に撮影したもの。
与那国の民俗資料館の隣に
ある。
地図@国土地理院

 与那国島内にはここ久部良(くぶら)の集落にこの分室、そして祖内(そない)の集落に与那国郵便局がある。雨模様の中をレンタカーで久部良の集落を後にし、空港の脇を通って祖内の集落へ移動した。車でのんびり走っても15分程度の道のりだ。与那国郵便局は集落の中にあってちょっと分かりにくい位置にあるが、前日に下見しておいたので問題なかった。簡単に場所を書いておくと、島唯一の信号機がある交差点を海の方向へ曲がり(空港から道なりに行けば左折になる)、道なりにS字カーブを行くと民宿「入船」にぶつかるので、そこを左折すれば右側にある。局前に車を止めて侵入。ここでも通常貯金の他に定額貯金をお願いして無事完了した。ここではスタンプに「日本最西端の島」のコピー入りだった。与那国島はこの2局で終了で、飛行機の時間が11:05なのでレンタカーを営業所に返しに行った。が、行ってみると先にバイクを返しに来ていたお客に私が店の人と勘違いされてしまう(笑)。どうやら店の人は不在らしく、電話して呼んで待っていたらしい。このカップル(夫婦?)は12時発のフェリーで石垣島へ戻るので、まだ時間的には余裕だが、私の方は飛行機の出発まで30分余り。しかも実質的に15分前で締め切られるからあと15分だ。しばし待っていると軽トラに乗って店の人登場。急いで返却をして空港まで送って貰った。

西崎から望む久部良
西崎から望む久部良の集落
くどいが前日撮ったもの。

 空港には搭乗手続き〆切前までに到着でき、荷物を預けて手続きも済ませた。しかし、折からの雨と風のため、石垣から来る飛行機が着陸できずに上空で旋回しているとの事。この飛行機が折り返し石垣行きの便となるため、着陸できなかった場合は今日の便は欠航となる。こいつは利島の二の舞かとも思ったが、30分ほど経って空を見ると雲の下を低空で降りてくる飛行機を発見。普段とは逆の台湾側から滑走路に進入してきて、無事着陸した。結局約50分遅れて12時頃に与那国空港を離陸して石垣島へと向かった。与那国島近辺には厚い雲があるため、離陸してから大きく360度螺旋を描きながら上昇していった。雲の僅かな隙間から与那国島を見納めた後、30分ばかりで石垣島へと着陸した。石垣島も生憎の小雨だった。予定通りならここから石垣港へダッシュし、12時発の西表島行きの船に乗って大原郵便局を攻め落とす予定だった。しかし既に12時半。仕方ないので石垣島内に1局だけ残る未訪問局である大浜郵便局へとタクシーで向かう。自身初のタクシー郵貯である。空港から10分も走ると見覚えのある局舎が道の右側に現れた。ここは以前は沖縄大浜郵便局と名乗っていて訪問済みなのだが、改称して「沖縄」が取れてしまったため再訪問対象となっていた。タクシーを外で待たせておいて速攻で貯金をお願いする。しかもちょうどここで通帳が終わってしまったので、通帳更新もお願いする。タクシーを待たせている事を考えるとちょっと焦る。精神衛生上宜しくない。

民宿たましろ
民宿たましろ荘
今宵の波照間でのお宿。
着いた時には晴れ間も覗い
ていた。
前の木で隠れて見えないが、
昔ながらの琉球の家だ。

 無事貯金と通帳更新を完了してタクシーへと戻る。雨も本降りになる中、しっかりと局舎の写真も押さえておいた。このままタクシーで石垣港へ移動し、とりあえず波照間島行きの船が出航する事を確認。切符も買っておいてここで13時過ぎ。約2時間することがないので、近くの琉球料理屋へシケ込み、八重山そばを賞味。沖縄そばやソーキそばと同じく、私の舌には良くあう。豊中の南蛮亭で出てくる白ラーメンに近い味だからか?この店でしばしまどろんだが、まだ時間があるので、同行の先輩が未訪問の八重山郵便局へ行ってみる。貯金はせずにエコー葉書を物色し、自分宛に風景印葉書を投函しておいた。その後近くにある八重山博物館とやらに行ってみる。100円払って見学するが眠くなってしまった(笑)。なんでも明治時代に八重山諸島は中国へ割譲する話があったらしい。危ない危ない。いい時間になったので港まで戻り、15時発の波照間島行きの船へと乗り込む。15時ちょうどに出航。八重山諸島近辺の離島フェリーは、珊瑚礁で遠浅の海を航行するため、船底が浅い船で運行されている。競艇のボートが大きくなったような感じだろうか。波の上を滑るように走っていく。波照間島への船は遠浅の海を出て外洋に出るため、かなり揺れると聞いていたが、今日はそれほどでもなかった。順調に1時間後には波照間島へと到着。ちょうど16時なので波照間郵便局訪問は明日へと回し、今日の宿であるたましろ荘のお迎えの車に乗り込み、宿へと入る。

日本最南端の碑
日本最南端の碑
ちょっと取り込みサイズが
大きかったか(笑)

 この時は曇空だったので、宿で原付を拝借し、日本最南端の碑が建つ場所へと行く事にする。その前に明日の郵便局訪問計画を宿のご主人と相談しておく。明日の予定は波照間空港9:55発の飛行機で石垣島経由で多良間島まで行く事にしていた。そのため、宿の車で9時前に一旦波照間郵便局まで送って戴いて貯金、その後再び送って貰って空港へ、という交渉が成立した。ただ、空港は宿からかなり離れているため送迎料が必要なのだそうだ。しかしこの島にはバスとかタクシーという概念が無いらしく、頼れるのは宿の送迎だけ。二つ返事でお願いすることにした。これにて憂いもなくなり、久しぶりに乗る原付で出発。まず真っ先に(笑)波照間郵便局を下見し、写真に収める。続いて辺り一面さとうきび畑の中を走り、遂に日本最南端(ただし有人島の中での話)の地にやって来た。時刻は既に18時に近くなっていたが、流石に西の方へ来ているだけあって、この時期にも関わらずまだ日没前だ。2匹の蛇が絡み合う道の中に全国から持ち寄られた石が置かれ、そういえば今年は蛇年だった事を思い出す。正月から旅行をしているので全く正月気分が実感できない。せっかく来たので日本最南端の碑の前で記念撮影し、珊瑚礁の海岸線をちょっとだけ歩いて、続いて島を一周してみる事にする。この島、さとうきび畑か牧場が多く、何故か山羊がうろついている。山羊相手に二人で写真を撮りまくっていると、やがて小雨が・・・。最初の頃はこの小雨に太陽の日が当たって虹が見え、綺麗だとか言って写真を撮りまくっていたのだが、そのうち土砂降りとなってしまった。しかも雨宿りなどできる場所など何処にもなく、息もできない程の雨の中、ずぶ濡れになって這々の体で宿まで戻ってきたのだった。宿の前にテラスみたいなモノがあり、宿泊客がここで歓談していたため、いい見せ物になってしまったのだった。

 流石に南の島だけあって、1月とは言えさほど冷たい雨でもなく、速攻で服を着替えて風呂に入らせて貰ったので、風邪をひく事はなかった。晴れていればTシャツ1枚でも平気な位の気温である。今日は雨なのだが、それでも2枚着ていれば外に居ても全然平気で、夕食も外のテラスで食べた。今日の献立は山羊汁に野菜の煮付け。噂通り壮絶な量に圧倒される。とてもではないが完食はできなかった。続いて宿泊客の皆さんと歓談し、旅行貯金という趣味があることを宣伝しておく。他の皆さんは常連客が殆どで、初めて来たのは我々だけだったようだ。続いて島に唯一であろう居酒屋へと繰り出し、宿のご主人のリサイタルショーとなったのだった。0時前くらいに宿へと戻り、実逓を書いてから就寝した。

2001年1月5日(金) 日本最南端郵便局と沖縄本島改称局巡りの巻

70407 日本最南端の島 波照間郵便局 9:05  5806  八重山郡竹富町字波照間106-2
70156 那覇空港内郵便局 13:30  5807  那覇市字鏡水150
70140 泊ふ頭郵便局 14:20  5808  那覇市前島3-25-5
70107 大謝名郵便局 14:50  5809  宜野湾市大謝名5-6-7
70090 大山郵便局 15:05  5810  宜野湾市大山5-2-3
70130 伊佐郵便局 15:15  5811  宜野湾市伊佐4-1-3
70094 普天間郵便局 15:40  5812  宜野湾市普天間2-5-5
70143 宜野湾上原郵便局 15:45  5813  宜野湾市上原1-6-8
70114 我如古郵便局 15:50  5814  宜野湾市我如古2-1-11
70155 宜野湾長田郵便局 16:00  5815  宜野湾市長田1-27-1
 波照間島の遅い朝が明け、本日も相変わらずの曇天模様。雨はさほど降っていなかったようだが、結構風が強い感じだ。日が昇るのが遅いからか、こちらの朝も我々のペースよりも遅いようで、朝食は8時過ぎからであった。確かに日が昇るのが7時過ぎてからなので、自然に生活していればこういう時間になるのも頷ける。

波照間郵便局
波照間郵便局
日本最南端の郵便局だ。
写真は前日土砂降りに
なる前に撮ったもの。
地図@国土地理院

 朝から豪快な量の朝食を戴き、前日の交渉通りに9時前に宿の車で波照間郵便局へと送っていただく。車で走れば3分程で到着し、宿のおじさんは一旦宿へと戻った。既に入り口は開いており、9時ちょっと前だがお邪魔した。時間があまり無いので、早速通常貯金と定額貯金をお願いする。昨日の与那国郵便局久部良分室と違って、他にお客もおらず、すんなりと処理が済んだ。これにて日本の東西南北の端の郵便局を全て訪問した事になった。実逓に風景印をお願いして局を後にした。外でしばし待っていると、今度は宿の奥さんの車が来てくれた。ご主人の車は9時50分発の船に乗る宿泊客の送迎があるため、奥さんが出動する事になったそうだ。波照間空港は集落から随分離れた島の外れにあり、車でも10分はかかる。その間に奥さんにこの島のこぼれ話などを色々聞かせていただいた。さとうきびの収穫はとても重労働な事、今日は風が強いので船は大揺れだろう・・・などなど。「そんなに揺れるんですか。一度乗ってみたいな〜♪」などと他人事だったのだが、そうではない事にこの後すぐに気付く。やがて前方に岡南飛行場(昔の岡山空港)よりも更に小さな波照間空港が見えてきた。田舎の小さな駅に毛が生えた程度の造りで、地元の人が「あそこは無人空港みたいなもんじゃ」と言ってたのも分かる気がした。

波照間空港
波照間空港
空はご覧の通りの曇天。
風も結構吹いていた。

 無事9時半前には空港に着き、奥さんにお礼を言って車を降りる。奥さんは車をUターンさせて走り去りながらも手を振ってくれるので、こちらも手を振って見送った。が、この5秒後には「欠航」という言葉が耳に飛び込んできた。何でも強風のためだそうだ。空港の人は明日まで待つか、船に乗るかしてくれ、と言う。とは言え空港から港まで行く手段が無いのだ。宿の奥さんの車が走り去っていくのがまだ見えたので、「待って〜」と手を振ってみたが気付くはずもない。しかも一番頼みやすそうな(笑)郵便局の収集車もさっさと行ってしまった。次の瞬間に目に飛び込んできたのが、車に乗り込む沖縄電力の方だったので、咄嗟に「港まで乗せてって下さい」とヒッチハイクをお願いし、快諾を戴く。一応航空券の裏に欠航証明のハンコを押してもらい、急いで港へと向かう。沖縄電力の方曰く「ちょっとチリを捨てて行くから。」「チリ?」最初は何の事か分からなかったが、こちらではゴミの事をチリと言うそうだ。空港からしばし島の周回道路を走り、不意に脇道に入ると、ゴミをただ野ざらしに積んであるだけの「チリ捨て場」に到着した。聞けばここに島内のゴミが集められ、ある程度溜まったら野焼きにするそうだ。都会ならばとうてい許されるモノではないが、こういう離島ならではのモノだろう。人口559人の果てのウルマ島(波照間島の語源らしい、ウルマ=珊瑚礁)では、焼却設備建設もままならないのだろう。チリ捨て場では烏や猫にゃーが集会を開いていた。

波照間の山羊
波照間島の山羊
何故か山羊を多く見かける
島だ。後ろは一面のさとう
きび畑が広がる。

 チリ捨ても終わって周回道路を走り、港に到着。お礼を言って車を降り、近くに停まっていた切符売りの人が乗ったワゴン車に声を掛け、切符を購入した。このワゴン車、外に何も書いていないので、知らないと普通の地元民の車だ。幸いなことに船は運航されているそうだが、今日は相当揺れるとの事。覚悟を決めて待っていると定刻通りに船が入ってきた。降りてくる人を見ているとみんな顔色が悪く、暫くするとその辺りでお好み焼きが一つ二つ・・・。しかもこの時期は北東の風が強く吹くため、石垣へ向かう場合はこの風に逆らって進むため、波をもろに被って一番揺れるらしい。更に恐ろしいことに、以前にあまりの揺れに投げ出されて骨折した乗客もいたそうだ。そんな事を知っていてもこれに乗るしかない。乗り込むと船員さんが「なるべく前には座らないで下さいね」と触れ回っている。船の重心から離れた所ほど大きく揺れるかららしい。そしていよいよ出航。たましろ荘の宿泊客の人たちが手を振って見送ってくれた。出航して程なく、外洋に出るとたちまち船は木の葉のように波に揉まれる。高い波に乗り上げて一瞬中を舞い、海面に叩きつけられる、そしてまた次の波に・・・を繰り返す。時には横からの波を受けて船が斜めに傾いたりもする。これは確かにしっかりと掴まっていないと投げ出される。それでも船はちょっと姿勢が安定すると全速力で走り出す。で、大きな波が来るとエンジンを絞って音が小さくなるので、大揺れが来るのが事前に分かるようになる。こんな感じの大揺れが1時間弱続き、ようやく右手に新城島が見え、八重山の珊瑚礁の内海に入る。ここまで来れば波も少し穏やかになり、揺れもマシになった。

 結局予定よりも30分余計にかかって石垣島に到着した。船酔いした事のない私だが、少し頭が痛くなった。この時点で11時20分。もはや当初の予定通りに多良間島などに行けるはずも無い。このまま石垣港から黒島へ渡って、未訪問の黒島郵便局を攻めるという手もある。が、流石にもう船には乗りたい気分ではないので、宮古島へと渡るべく石垣空港へと向かうことにした。同行していた先輩とはここで別れ、タクシーに乗って空港へ到着。早速欠航になった「波照間→石垣」「石垣→多良間」「多良間→宮古」の琉球エアコミューターの切符を払い戻して貰う。で、宮古島にはレンタカーと宿を予約してあったので、とりあえず宮古島行きの飛行機を取ろうとしたが、今日の便は全て満席だった。空席待ちを勧められたが、1時間も先の便の、しかも取れるか分からない切符を待つのは得策ではない。ましてや今は郵貯時間帯だ。タイムイズマネーって事で、20分後に出発予定の那覇行きを取り、沖縄本島で巡る事にした。さっきの琉球エアコミューターの払い戻し額が19200円。石垣→那覇の正規運賃が20000円なので、都合800円を出して那覇行きの飛行機に乗り込んだ。

 分厚い雲の下の石垣空港を離陸し、雲の上に出ると久しぶりの眩しい太陽が待っていた。急遽決まった沖縄本島の局巡りルートを考えていると、あっという間に那覇空港へと着陸した。手荷物を受け取ってレンタカー屋を探していると、不意に那覇空港内郵便局があった事を思い出す。危うく行き忘れるところだった。那覇空港はサミットにあわせて綺麗に改装(新築?)されており、以前とは全く違う空港に変わっていた。郵便局も当初から計画されて作られたらしく、建物の端を占めるようにジャストフィットしていた。スタンプには飛行機の絵入りだった。続いて空港近辺のレンタカー屋をまとめて紹介してくれるカウンターを発見し、ここでレンタカーをお願いする。1人しか乗らないので軽で良いと言ったら、本当に軽があった。しかも本土ではあまり見かけない36時間レンタルという料金設定があり、明日の20時過ぎの飛行機で帰るので、これは丁度良かった。レンタカー屋のワゴン車に迎えに来てもらい、モノレールの工事現場を横目に店に到着。手続きもそこそこに沖縄本島郵便局巡りに繰り出す。とは言え、那覇近辺は結構新局が出来ており、愚かなことにそれを把握していなかったのだ。まさか本島で郵貯するとは思ってなかった・・・。しょうがないのでとりあえず前回にチェック漏れで行き忘れていた(進歩してない・・・)泊ふ頭郵便局を目指す。いつも渋滞気味な国道58号線を北上して、泊にある「とまりん」とか言う建物の中に局があった。何の事はなく貯金を済ませて次へ。

カニ注意! カメ注意!
カニ注意!カメ注意!!
載せる写真がないので(笑)
これは次の日に辺戸岬まで
ドライブした時に撮影

 次は以前に宜野湾市内の局名が、一斉に「宜野湾」が取れた事を覚えていたので、この局名変更局を再訪問することにした。国道58号線を北上し、途中で何を思ったか脇道に入り、何処をどう通ったか分からないが、なんとか大謝名郵便局へたどり着いた。ここは以前に来た筈だがあまり記憶になかった。局員さんに局名から宜野湾が取れた事を確認し、貯金をお願いした。お客に近くの学校の校長先生が居て、周りの人が皆頭を下げていた。先生と呼ばれる職業はいいもんだ。私がどんなに頑張ってもこんな扱いはされないだろうな。ちょっと仕事の忙しさに荒んでいる自分に気付いた所で、次へ。再び片側3車線もある国道58号線へ戻り北上。道の左手に大山郵便局があった。ここは記憶に残っており、その通りの局舎だった。ここでは局員さんが親切に宜野湾市内の郵便局名について解説して下さった。私が以前に来た時には無かった宜野湾長田郵便局と、行き忘れていたと思われる宜野湾上原郵便局の存在を教えて下さった。現在「宜野湾」が頭に付いている局はこの2局だけらしく、結局私は宜野湾郵便局以外は全て再訪問の必要があった訳だ。時間的にはちょっと苦しいが回れるだけ回ってみよう。次は宜野湾伊佐郵便局改め伊佐郵便局だ。ここも良く覚えており難なく到着し、少し待たされたが貯金完了。ここでは貯金箱を戴いた。

 お次は丘の上に登って、基地の名前で有名な普天間郵便局を目指す。普天間基地の北東端に位置し、宜野湾市街の中心地に立地している。そのためか異常に混雑しており、以前も相当待たされた記憶がある。今回もその例に漏れず、局内は人だらけ。番号札も無く、とりあえず通帳と預入票を出しておくがなかなか帰ってこない。時間は刻々を過ぎていき、20分程経過してようやく戻ってきた。局員さんもコマネズミの様に作業をしてもこんなに時間がかかってしまった。回りにもう1局必要なのかも知れない。お次は普天間基地の東側の道を南下し、道の右側に宜野湾上原郵便局を発見した。ここは以前来た記憶が無く、恐らく行き忘れだ。さっきとうって変わって局内にお客はおらず、すんなりと貯金完了した。なんなのだこの偏りようは。時間切れも近いので車を急がせ、以前訪問済みの宜野湾郵便局の前を通過。道の左側に宜野湾長田郵便局があると聞いていたのだが、それらしいものは発見できないまま我如古郵便局に着いてしまった。ここも以前は宜野湾我如古郵便局と名乗っていた。貯金をお願いしつつすっ飛ばして来た宜野湾長田郵便局の所在を伺う。何でもちょっと脇道に入った所にあるそうだ。この先にはこれまた改称になった真栄原郵便局があるのだが、この時点で15時55分。どう考えてもどちらか1局しか行けない。ちょっと考えたがやっぱり引き返すことにした。

 局員さんに教えて貰った通りに進み、農協がある交差点で右折しようとすると宜野湾長田郵便局が視界に入ってきた。ところが時間もないのに右折が一向に進む気配がない。と言うか右折した先の道が一向に前に進んでいない。これではこのまま16時を迎えてしまいそうなので、ちょっくら歩道にお邪魔して(こら)旧道みたいな脇道に入って車を止め、ダッシュで局まで駆けていったのだった。ここは割とお客がおり、暫く待って貯金完了した。最後の局なのでエコー葉書を物色してから局を後にした。これにて新年の沖縄郵貯は終了。後は那覇市内まで戻って、昼食兼夕食を食べ、撮った写真を早く見たいという衝動に駆られて、カメラのキタムラへ。1時間ほどで出来るらしいので、駐車場に車を止めてウトウトしていたら眠ってしまい、あっという間に1時間経ってしまった。流石にそろそろ旅の疲れが出る頃なのか。以前から気になっていたのがだ、カメラの調子が悪く、写っていない写真が多かった。12年も使っているカメラだけに、そろそろガタが来てしまったようだ。しかし写っていなくてもいい写真など1枚もないので、ちょっとショックだった。後は元旦の晩に転がり込んだ那覇市内の旅館に入り、あっさりと寝てしまった。
フクロウ付き仕切り線
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