2007年5月の記録

郵貯日 普特 中央 簡易 分室 出張 年合計 通算合計 非扱 非扱計 地域 交通手段
05月01日 17 21 83 8669 221 北海道
05月02日 30 37 120 8706 221 北海道
05月15日 121 8707 221 鹿児島
05月16日 122 8708 221 鹿児島
合計 49 11 60 1日平均(31日)  1.94局

2007年05月01日(火) 天売島・焼尻島訪問の巻

98013 おろろん鳥の島 天売郵便局 9:20  8649  苫前郡羽幌町天売字和浦40
98003 オンコの島 焼尻郵便局 10:20  8650  苫前郡羽幌町焼尻字東浜180-2
98004 風車の町 苫前郵便局 12:35  8651  苫前郡苫前町字苫前197
98034 古丹別郵便局 12:45  8652  苫前郡苫前町字古丹別173-5
98725 風車の郷 上平簡易郵便局 12:55  8653  苫前郡苫前町字上平79-2
98012 力昼郵便局 13:05  8654  苫前郡苫前町字力昼209-4
98002 鬼鹿郵便局 13:15  8655  留萌郡小平町鬼鹿字港町194
98025 小平郵便局 13:30  8656  留萌郡小平町字小平町154-155
98710 臼谷簡易郵便局 13:40  8657  留萌郡小平町字臼谷51
98079 小平本郷郵便局 13:50  8658  留萌郡小平町字本郷121-8
98071 達布郵便局 14:05  8659  留萌郡小平町字達布348
98028 日露友好の街 留萌元町郵便局 14:40  8660  留萌市元町5-151-1
98054 留萌開運郵便局 14:50  8661  留萌市開運町3-6-15
98005 留萌郵便局 14:55  8662  留萌市本町1-38
98087 光る海・潮のかおり留萌沖見郵便局 15:05  8663  留萌市沖見町2-75
98732 礼受簡易郵便局 15:15  8664  留萌市礼受町26-13
98041 暑寒連峰一望・舎熊郵便局 15:20  8665  増毛郡増毛町舎熊村113-1
98718 箸別簡易郵便局 15:25  8666  増毛郡増毛町増毛村字箸別
98001 味覚の里 増毛郵便局 15:35  8667  増毛郡増毛町永寿町3-46
98044 海彩る夕陽の里 別苅郵便局 15:45  8668  増毛郡増毛町別苅村54-1
98010 日本海の秘境 雄冬郵便局 16:00  8669  増毛郡増毛町岩尾村字雄冬91-1
 

2007年05月02日(水) 16時以降のATM預入解禁の巻

99017 沙留郵便局 9:00  8670  紋別郡興部町字沙留港町
99127 沢木郵便局 9:20  8671  紋別郡雄武町沢木381
99028 興部郵便局 9:35  8672  紋別郡興部町興部1322-30
99772 宇津簡易郵便局 9:50  8673  紋別郡興部町字宇津93-2
99074 西興部郵便局 10:05  8674  紋別郡西興部村字西興部119
99049 上興部郵便局 10:15  8675  紋別郡西興部村字上興部69
98050 一ノ橋郵便局 10:30  8676  上川郡下川町一ノ橋405
98019 下川郵便局 10:50  8677  上川郡下川町共栄町111
98051 上名寄郵便局 11:00  8678  上川郡下川町上名寄2047
98046 日進郵便局 11:15  8679  名寄市風連町字日進850-1
98021 風連郵便局 11:35  8680  名寄市風連町仲町99
98023 多寄郵便局 11:45  8681  士別市多寄町36線東3
98702 下士別簡易郵便局 11:55  8682  士別市下士別町42線西
98704 武徳簡易郵便局 12:30  8683  士別市武徳町44線東7号
98052 中士別郵便局 12:40  8684  士別市中士別町4線東2
98020 上士別郵便局 12:50  8685  士別市上士別町16線南3
98035 朝日郵便局 13:00  8686  上川郡朝日町字中央4039-73
98727 川南簡易郵便局 13:15  8687  士別市上士別町20線南29
98088 士別中央通郵便局 13:35  8688  士別市東6条6
98720 士別東簡易郵便局 13:40  8689  士別市東4条北6
98075 士別大通郵便局 13:50  8690  士別市大通西1-717-17
98014 士別郵便局 13:55  8691  士別市大通東9-2323
98033 温根別郵便局 14:05  8692  士別市温根別町本線11北2
98062 西原郵便局 14:20  8693  上川郡剣淵町字剣渕原野2631
98009 絵本の里 剣渕郵便局 14:30  8694  上川郡剣淵町栄町
98022 和寒郵便局 14:50  8695  上川郡和寒町字西町91
98728 中和簡易郵便局 15:00  8696  上川郡和寒町字中和240
97097 北鷹栖郵便局 15:25  8697  上川郡鷹栖町14線15号6
97734 鷹栖北成簡易郵便局 15:30  8698  上川郡鷹栖町20線16号1
97018 鷹栖郵便局 15:45  8699  上川郡鷹栖町南1条2-9-24
97117 北野郵便局 15:55  8700  上川郡鷹栖町北野西4条1-5-36
97208 旭川春光台郵便局 16:00  8701  旭川市春光台3条3-1-1
97207 旭川末広郵便局 16:05  8702  旭川市末広4条3-5-13
97190 旭川春光郵便局 16:20  8703  旭川市春光3区1条1-312
97226 旭川末広五条郵便局 16:30  8704  旭川市末広5条10-8-11
97078 旭川北郵便局 16:40  8705  旭川市末広1条7-1-25
97185 旭川住吉郵便局 16:55  8706  旭川市住吉町3条3866-3
 

2007年05月15日(火) 遙かトカラの旅(前編)の巻

78393 中之島郵便局 9:10  8707  鹿児島郡十島村中之島133
○序章

 郵便局巡りという趣味をやっていると、しばしば聞かれることがある。「一番行くのが難しい郵便局はどこ?」と。この問いに答えるとするならばどこが適当だろうか。物理的に近いのに訪問が困難なものとしては宮内庁内郵便局東京中央郵便局財務省内分室などが挙げられるだろう。昭和基地内郵便局もほとんど不可能だし、富士山頂郵便局も子ブタ気味の私にとっては困難な部類に入る。しかしこの後者の2局は郵便貯金や為替を扱っておらず、私にとっては訪問対象には入らない。地理的に不便な位置にあり、更に貯金等の業務を行っている郵便局の中から・・・となると、やはり小笠原諸島かトカラ列島になるかと思う。いずれの島にも空港が無く、訪問するためには船で訪れるしか無い。船だと天候に大きく左右されるし時間もかかるので、まとまった休みを取らないとなかなか訪問できない。このためこれらの島々にある郵便局を、平日の9時から16時の間に訪問する事は容易でない事が想像できるだろう。

トカラ地図
トカラの地図
鹿児島港の船着き場で撮影

 今回はこれら訪問する事が難しい郵便局のうち、トカラ列島にある郵便局を訪問する事にした。トカラ列島とは鹿児島県の屋久島と奄美大島の間に点在する、主に7つの島々からなる列島を指す。大雑把に北から口之島、中之島、平島、諏訪之瀬島、悪石島、小宝島、宝島と並んでおり、その直線距離は160kmにも及び、日本一細長い村なんだそうだ。この中で郵便局があるのは口之島、中之島、宝島の3島である。しかしこれらの島への唯一の交通の便が鹿児島港から運行されているフェリーであり、基本的に週2便しかない。また各島での停泊時間は10分や15分程度であり、停泊中にちょっと郵便局・・・という訳にはいかないのだ。かといって下船してしまうともうその日には船は無く、最低でも1泊はしないと郵便局訪問は叶わない。このように普段の船のダイヤでは訪問にかなりの日数を要するのだが、年に1回だけ船のダイヤが変更になり、各島で1時間強の停泊時間が生じる時期が存在する事を知った。十島村のホームページによると「レントゲン検診特別ダイヤ」だそうで、毎年5月の第3週に行われるそうだ。これはレントゲン検診に必要な医療設備を持たない各島の住民に、年1回、船にレントゲン車を積み込んで島まで運び、港で島民のレントゲン検診を実施するための特別ダイヤだ。港でレントゲン検診をするって事は、その検診の時間だけ船は港に停泊する事になる。すなわちその時間内に島に上陸して郵便局を訪問し、更に次の島へ・・・と、効率よくトカラの島々を渡る事ができる。下にその特別ダイヤを書いておくが、下りの船はレントゲン検診ダイヤなので各島で停泊時間が長く、上りの船は通常航海のため停泊時間が短いのが分かる。

 なおダイヤは毎年変わっているので、もしご利用の際は事前に
十島村のホームページでご確認のほどを。

2007年度レントゲン検診特別ダイヤ
(十島村のホームページより転記)
日付着時刻発時刻港名着時刻発時刻日付
5月14日(月)23:00鹿 児 島19:305月17日(木)
5月15日(火)5:157:15口 之 島13:0013:15
8:0510:05中 之 島11:5512:10
11:3513:25平   島10:2510:35
14:1515:55諏訪之瀬島9:259:35
16:50悪 石 島8:208:30
5月16日(水)6:00
7:208:50小 宝 島6:507:00
9:2511:35宝   島6:006:15
14:35名   瀬3:00


当日発表された変更ダイヤ
当日発表された変更ダイヤ
5月16日は天候不良が予想されたため、
小宝島での検診が火曜日に繰り上げられた。

 さて、今回も毎度おなじみのおやんが登場する。彼とは以前からトカラ行きたいな〜などと話していたのだが、彼は3月の初旬に十島村のホームページにレントゲン検診特別ダイヤが発表されたのをしっかりと発見していた。最初その話を聞いた時、行きたいと思ったのだが少しネックがあった。それは口之島、中之島、宝島の3島全ての郵便局を回るためには、口之島〜中之島間をチャーター船を使って移動しなければならない事だ。このチャーター船を使わないと、口之島郵便局は時間的に早すぎてまだ窓口が開いておらず、訪問が叶わないのだ。しかしこのチャーター船の料金が56,400円とエラい高く、もし私が仕事の都合などで行けなくなった場合、おやんに高額の負担が生じることになる。これはなかりのリスクだ〜と考え込みつつ、十島村のホームページを見ていると意外な事実が発覚。実は3年前に篠原さんが同じように訪問された際の訪問記を拝見させていただいたのだが(いつもお世話になっております!)、その時と比べて船の時刻が変わっているのだ!以前は口之島5:50着、8:20発、中之島9:15着、11:35発だったので、口之島で9時を待って口之島郵便局を訪問し、チャーター船で中之島へ移動しても十分、フェリーとしまに追いつけたのだ。しかし今回のダイヤを見ると中之島出港が10:05になっており、1時間30分も繰り上げられている。これでは口之島を9時過ぎてから出たのでは恐らく間に合わない。この時はダイヤが変わっていたという衝撃的な事実に動揺したのか、「チャーター船を使っての口之島・中之島両局の訪問は不可能」と判断してしまった。ただ逆に口之島郵便局は諦めて中之島郵便局宝島郵便局だけを訪問する事にすれば、高額なチャーター船の費用も気にする必要も無く、もし万が一行けなくなってもさほど問題では無くなった。このため私の心はむしろ一気に決行に傾き、3月の末にはJALの特典航空券で羽田→鹿児島、奄美→羽田の航空券を発券してしまったのだった。後はおやんにお任せモードだったのだが、4月26日に電話で二等を2名分予約してもらった。割と直前での予約だが、無事に予約できたようだ。ただ当日乗船してみると二等を含めてほぼ満員になっていたので、予約はもう少し早めの方が良いかも知れない。あと残る最大の問題はGWを明けて1週間しか経っていないにも関わらず、平日の火・水に休暇を取るという暴挙にでる社員を、会社がどう見るかだ(笑 しかも月曜日の23時には鹿児島にいる必要があるので、会社を17時にダッシュしてもぎりぎりなのだ。通常、いつも22時くらいまで残業がアタリマエのうちの職場にとって、17時ダッシュというのもかなりの勇気がいる行為だ。しかしそこはもうオトナ。円満に(?)休暇申請を出し、快く(!?)承諾していただいた。
 
○当日の移動案
5月14日(月)
北府中 17:12 JR武蔵野線 17:14 府中本町
府中本町17:17JR南武線18:03川崎
京急川崎18:14京急18:17京急蒲田
京急蒲田18:22京急18:31羽田空港
羽田空港18:55JAL1879便20:40鹿児島空港
鹿児島空港21:10バス21:58金生町(鹿児島市内)
鹿児島港23:00フェリーとしま(船内泊)
 
5月15日(火)
 フェリーとしま5:15口之島
口之島7:15フェリーとしま8:05中之島(中之島郵便局訪問)
中之島10:05フェリーとしま11:35平島
平島13:25フェリーとしま14:15諏訪之瀬島
諏訪之瀬島15:55フェリーとしま16:50悪石島
(悪石島停泊中のフェリーとしま泊)
 
5月16日(水)
悪石島6:00フェリーとしま7:20小宝島
小宝島8:50フェリーとしま9:25宝島(宝島郵便局訪問)
宝島11:35フェリーとしま14:35名瀬(奄美大島)
名瀬16:00バス17:00奄美空港
奄美空港18:55JAL1958便20:55羽田空港
 
○5月14日(月) 府中からトカラへ

口之島の猫にゃー
口之島にいた猫にゃー
「あらまあ、随分と無理をにゃされた
ようで・・・」

 いよいよ決行の日。事前に荷造りも済ませ、大きなキャリーバッグを転がしながら出勤する。一応、島には売店も無い事は判っていたので、薬とかおやつも仕入れておいた。何食わぬ顔で17時まで仕事をこなし、17時のチャイムと共に時間が早回りを始める。まず17:12の北府中駅発の列車に乗らないとアウトだ。上に書いた通り、この日の羽田空港までの乗り継ぎが非常に無理があり、乗り換え時間にほとんど余裕がなく、また列車1本遅らせると飛行機に間に合わないのだ。パソコンの電源を17時ジャストには落としてしまい、ホワイトボードに「5/15,16休」と控えめに書いて脱出だ。実は12分で北府中駅まで大きなキャリーバッグを転がして走る自信が無かったので、昼休みにこっそりとそのキャリーバッグを北府中駅のコインロッカーに入れておいたのだ。これは正解で、小走りで駅の改札には17:10前にはたどり着くことができた。ここでコインロッカーの鍵を忘れてたら大笑いだが、そこは大丈夫。余裕で間に合った♪と思ってホームへ行ってみると列車がなかなか来ない。後で知ったのだが武蔵野線内でポイント故障があり、列車が遅れていたらしい。次の乗換駅、府中本町での乗り継ぎ時間は3分。そして列車は3分遅れて入って来るではないか。おいおい、これはもうアウトやん・・・。出だしからつまずき、一気にヘコんでしまったが、まだ空港でゴネる(笑)という手が残されていると信じて、列車へと乗り込む。府中本町駅には3分遅れの17:17着。もう南武線の列車は行った後のはずだが、一応間に合うかも知れないと信じてダッシュ。武蔵野線から南武線の川崎方面への乗り換えは、駅の構造上、かなりの距離がある。私と同じようにお急ぎの方が大勢おられ、駅の階段や廊下は運動会の徒競走状態と化す。大きなキャリーバッグを抱えた私は大きく出遅れ、それでも2分くらいで南武線のホームに到着。当然列車は行った後・・・と思ったら、案内板が「川崎 17:17」のままになっている。って事はまだ出ていないって事だが、ホームに列車はいない。すると案内放送で「谷保駅付近の踏切で誰かが警報ボタンを押したため、列車が少し遅れている」との事。そして程なくして乗る予定だった列車がホームに入ってきた。こんな偶然ってあるだろうか・・・。谷保駅の踏切でボタンを押した人、皆さんには迷惑を掛けたが、私にとっては救いの神でした!これはトカラが私を呼んでいるって事だと納得して乗り込み、川崎駅から京急に乗り換えて羽田空港に着いたのは予定通りの18:31だった。

フェリーとしまから見た鹿児島の夜景
フェリーとしまから見た鹿児島の夜景
こんな街明かりともしばらくお別れだ。

 今日はこの後も移動が続くため晩ご飯を食べるのは飛行機の中しかないって事で、初めて空弁なるものを買ってみた。なんか焼き魚の入ったお弁当が750円で売られていたので、それを購入。ちょっと高いけど・・・。そんな事をしているともう既にほとんどの人が飛行機に乗り込んでおり、早く乗ってねと放送で名前を呼ばれてしまった。タダ券で搭乗させてもらっている身なのに、ご迷惑をおかけしてすみません。鹿児島まではおよそ2時間の空の旅。水平飛行になってからお弁当を平らげ、ほぼ定刻通りに鹿児島空港に到着した。羽田から鹿児島への最終便はJALとANAが同じ時刻(18:55)に出発するのだが、今回はJALの方が先に着いたようだ。私はJGC会員なので手荷物は優先してもらえ、今回は1番に出てきた。これは気持ちイイ〜。その足で鹿児島市内行きのバスに乗り込んだ。高速道路を経由して揺られること45分くらいで、鹿児島市内の金生町(きんせいちょう)バス停に着いた。ちょっとベンチで一休みしているとおやん登場。まいどまいどご苦労様です。既に私の分の乗船券も購入してくれており、切符を受け取る。鹿児島から名瀬まで二等片道で11,620円だ。フェリーの二等はほぼ例外なくカーペットになっているが、だいたいどこにいても自由だ。しかし今回のは夜行フェリーって事もあり、指定制だった。実は私の携帯電話は電池がヘタッており、こまめに充電しないとすぐに「もうダメ〜」と音を上げてしまうのだ。もはや全然携帯電話じゃなくなっている・・・。なのでできればコンセントのそばの席がよかったのだが・・・。まあ後は運次第って事で、ひとまずフェリーが出る鹿児島本港南埠頭へと歩き出す。途中、ローソンがあったのでパンとお茶を少々買い込んでおいた。また埠頭の手前には港の倉庫を改造したと思われるまんが喫茶まであり、フェリーが出るまで時間がある人の暇つぶしにはいいかも知れない。金生町バス停からフェリーとしまターミナルまで、歩いて15分くらいだった。

フェリーとしまの二等船室
フェリーとしまの二等船室
枕と毛布が用意されている。

 港に着いたのが22時くらい。もう既に乗船券も買ってあるので、フェリーターミナルには用事はないのだが、せっかくなので覗いてみた。窓口には5,6人が列を作っており、見たところ同業者は見あたらない。工事関係者や釣り人と思われる人が多かった。船の回りで写真を撮り、いよいよ乗船する。これから40時間ほど船に揺られることになる。揺れが少ない航海を祈るばかりだ。幸いお天気はまずまずのようだ。乗船してみるとまだまだほとんどお客は乗っておらず、二等船室はがらがらだ。我々の場所はちょうどテレビの下で、フリーに使えるコンセントが1つあった。おやんグッジョブ!さっそく持ってきた延長コードとテーブルタップを使って、手元で充電できる態勢を確保した。船内を探索していると案内所の前に張り紙を発見。それによると16日の水曜日は天候不良が予想されるため、小宝島での検診を15日の火曜日に実施するように時刻が変更になっていた。このため悪石島への到着がかなり遅い時間に変更になっていたが、今回の郵便局訪問への影響は無さそうだ。さすがに1年に1回のレントゲン検診だけに、悪天候で港に接岸できないのでまた今度、という訳にはいかないのだろう。また、今回の検診ダイヤを見込んでの乗船客が多数いる事をフェリーの方々もご存じのようで、各島での検診中に島へ上陸する場合は、案内所に置いてある名簿に名前を書き、戻ってきたらチェックをするように、との注意書きがあった。なるほど、これがあれば島に置いてけぼりにされる可能性はかなり低くなるし、我々としても安心だ。このような名簿が登場するほど、この検診ダイヤの存在は有名になっているという事なのだろう。やがて23時になり、長い汽笛と共にフェリーとしまはゆっくりと鹿児島港を離れ、南へと進んでいく。二等船室はほぼ満員の状態だ。見たところ十島村の職員さんや電力関係の作業着の人など、お仕事で乗っている人が多かった。また釣り竿とクーラーボックスを持った釣り客も結構いる。23時30分には消灯になり、二等船室は薄暗くなる。我々の両隣は1つずつ空いており、お陰で窮屈な思いをすることなく場所を確保できた。今日は長距離の移動と乗り換えの疲れもあり、0時過ぎくらいには寝てしまった。
 
途中下船のご案内

途中下船のご案内
各島で上陸する場合は名簿に氏名を記入し、
戻ってきたらチェックをする方式。
他にも暗黙のルールとして、
出港する30分前に汽笛を鳴らして
合図をするそうな。
二等寝台

二等寝台はこんな感じ。
写っていないが左手前に窓がある。

売店

フェリーとしまの売店
お菓子やTシャツも売っている。
島の人が買いだしに来る事もあるそうな。
軽食を摂ることもできる。
営業時間の表記は下記だった。
14日 21時〜24時
15日 7時〜14時、18時〜20時
16日 8時〜12時30分
 
○5月15日(火) トカラ満喫、そして中之島郵便局訪問

口之島停泊中のフェリーとしま
口之島停泊中のフェリーとしま
港の背後にある奇岩が目を引く。
口之島は人口140人、88世帯が暮らす
(2004年3月31日のデータ)

 久しぶりの船内での就寝だったが、思ったよりもあっさり眠り込んでしまい、気付けば5時前。既に二等船室の電気も点けられており、みなさん口之島入港に備えて身支度を整えていた。この船、我々の場所がちょうどエアコンの風の吹き出し口になっていてちょっと寒かったが、フリースを持ってきていたので助かった。時刻表通り5:15に口之島に到着。せっかく来たので写真も撮りたいし、できれば口之島郵便局の下見もしておきたい。案内所で「一時下船申出書」に名前を書いておく。団体の場合は代表者の名前と人数を書けば良いらしいが、一応おやんとは別々に名前を書いておいた。タラップを降りて遂に遂にトカラの地に上陸だ!既に港には島の人々が集まっていて、レントゲン車と胃の検診車が船から降ろされ、検診の準備を始めていた。一応、時刻表には7:15まで2時間余り停泊する事になっているが、事務長さんによると「停泊はしばらくの間」としか言わない。つまり検診が済み次第、さっさと次の島へ出港するようだ。一時下船している人達に対しては、出港する30分前に汽笛を鳴らして合図するので、それを頼りに戻ってきて欲しいとの事だった。さて、この日はお天気もよく、まだ陽が昇って間もない時間だがもう十分明るい。港から集落へと向かう道が延びており、ひとまずこの道を進んでみる。口之島は火山を起源とする島だけあって、地形が急峻だ。港があるのはもちろん海沿いだが、集落は島の中腹辺りに立地している。しかも口之島郵便局は港とは反対側の斜面に立地しているため、山の向こうまで行かなければならない。これは結構大変だ。港には宿の送迎と思われるクルマが来ており、最初はそのクルマが帰って行く方角に集落があると勝手に思いこんでいた。しかしクルマは拡幅された道路がある島の外周を進むため、徒歩だとかなりの遠回りになる。それに気付くのに30分ばかりかかり、これはなんか道が違うぞという事になった。ただ途中で東シナ海から上る朝日を写真に納めることができた。牛さんなんかも見掛けたり。

口之島郵便局
口之島郵便局
港から歩いて20分くらい。
山を越えた向こうの集落内にある。
また来なければ!

 集落への正しい道順は、港から坂道を上がっていくと口之島案内図がある三叉路に出るので、そこを右に行かねばならない。右手に民家があるので少し上っていくと、今度はYの字状に道が別れているので、ここは左へ行く。どちらの交差点にも木製のお手製看板があるのだが、風雨にさらされて文字が読み取れないのだ。左の道を上っていくと「汐見峠」と書かれた看板があり、これを越えて下っていくとまた分かれ道があるので、ここは右へ行くと集落へとたどり着く。集落に入ると「口之島販売店」と書かれたお店がある。コカコーラの自動販売機なんかもあり、おそらく島唯一の自動販売機だろう。ペットボトルは150円だったが、缶は何故か130円だったり。お目当ての口之島郵便局の場所が判らないので、売店の前におられた地元の方に聞いてみると、売店の右斜め前の方に立地していた。売店からちょっと下って右方向を見ると発見できる。この日はまだ朝早いので、当然郵便局はまだ閉まっている。無念・・・。平日の9時から16時までという制約はやはり厳しい・・・。写真だけはばしばし撮っておいて、またいつの日か再訪する事を誓う。ちなみにATMなどの自動機は設置されていないため、本当に窓口が開いている時間に来るしかない。さてもうこの時点で6:15くらい。まだ汽笛は聞こえてこないので、ちょっくら口之島販売店に寄り道してみる。結構品揃えはよく、田舎の農協の売店みたいなイメージだ。欲しかったのは石けんで、本当は鹿児島のコンビニで買おうと思っていたのを忘れていたのだ。牛の絵が描かれた石けんが1個100円だった。ちなみにどうでもいい話だが、今回おやんの小ネタのうち、この牛の絵が描かれた石けんを「牛専用ですね」と言ったのが一番面白かったのだが、こうして文章にするとおもんないな。さてぼちぼち戻るか〜と山道を歩いていると汽笛が鳴っているのが聞こえてきた。まだ時刻表上では1時間前なのにもう鳴らしているところをみると、早めに検診が終わりそうなのだろう。帰りは道に迷うことは無いのだが、車道を通るよりも近道なあぜ道があるとおやんが言いだし、信じて行ってみると畑に出てしまったりなんかした。

中之島に停泊中のフェリーとしま
中之島に停泊中のフェリーとしま
背後にはうっすらと諏訪之瀬島
の島影が見える。

 港まで帰ってくると検診の車が店じまいを始めており、まもなく出港という感じだ。港のそばの工事事務所の所に口之島猫がいたので激写しておいた。いきなり朝からかなりの距離の山道を歩いて、足が少し笑っている。少しペース配分しないと晩まで持たないが、どうしてもトカラへの初上陸という事でテンションが上がっていた。さてここで港で船に乗らない4人組がいたのだが、この時は気にもしていなかった。フェリーとしまはタラップを外し、長い汽笛と共に口之島を後にする。時刻は6:45くらい。なんと30分も早く口之島を出港だ。このペースで行くと中之島着は7:35になり、更に中之島でも同じように1時間30分で検診が終わってしまうと9:05出港の計算になる。これはエラいことである・・・。中之島郵便局は港から徒歩で15分くらいかかるらしく、この出港時間ではとてもではないが間に合わない。これはマズいので、一応事務長さんに相談してみた。しかしお返事はかなりつれなく、「微妙ですね〜」との事。遂に大丈夫ですというお言葉を引き出すことはできなかった。まああとはなるようになるだけ。出港風景を撮ったり、最上甲板に出て口之島や中之島の島影を写真に撮っていると、じきに中之島の島影が大きくなってきた。中之島には予定よりも30分早着の7:35着。また同じように案内所で名前を記入して上陸する。この時に私の前にいた人が郵便局に向かいそうな雰囲気だったので声を掛けてみたところ、やはり郵便局めぐらーだった。中之島郵便局へ向かって歩いて行きながら自己紹介。たかなしくんとおっしゃるそうな。はじめまして。私よりも10歳以上お若い。まだ今から行っても郵便局は開いていないのだが、やはり気持ちは焦る。標的は確実に捉えておきたいのは本能なのか。海を右手に見ながら海沿いの平坦な道を進んでいく。坂道は全く無いのでこれは楽だ。1000mも歩いたろうか、やがて集落の入り口に入り、道がY字状になっている。その道の左側の方に中之島郵便局が見えてきた。
 
口之島の売店

口之島販売店
品揃えは結構良い。
コカコーラの自動販売機が見える。
口之島の民家

口之島の民家
トカラ列島の民家は屋根瓦が無い。
台風にさらされるためのようだ。
口之島の朝日

口之島の朝日
午前中はいい天気だった。
口之島での診療風景

口之島での診療風景
港に降ろされた検診車と、診療を待つ
島の人たち。この船の存在がいかに
重要かという事を実感する。
電電公社の看板

電電公社の看板
未だに健在でした。
口之島の海岸線

口之島の海岸線
火山の島だけあって荒々しい。
 

中之島郵便局
中之島郵便局
港からは海沿いに歩いて15分くらい。
海沿いの道から1本裏手にある。

 お目当ての中之島郵便局へ行ってみると、やはりおられましたよ、同業者の方々が。局の前には4名の方々が、まだカーテンが下りている局の前で待機中。軽く挨拶をして局舎の写真を撮り、ちょっと集落を上から眺めたかったので、裏手の山を上っていく道へ向かう。まだ時刻は8時過ぎ。しばらくここで3人でだべって時間を潰す。局前におられた方々は海岸沿いにあった温泉で一風呂浴びてこられた様子。あ〜、私もタオルとか持ってくれば良かった・・・。時間を潰している間、やはり気になるのは船の出港時間だ。8時30分よりも前に汽笛が鳴ってしまえばもう絶望的。45分に鳴ったらぎりぎりか、などと相談したりしていた。8時30分くらいだったろうか、やはり局の前で待つことになり郵便局へと移動。するともうドアが開いており、局員さんが出勤してこられていた。同業者の方々も局内へと入っており、結局我々を含めて10人のめぐらーが集結したのだった。後から伺ったのだが、もうトカラは8回目という大ベテランの方もおられてビックリした。そしてここで局長さんから驚愕の事実を聞くことになる。なんでも今日、十島村の高速船のチャーターの予約が入っており、「口之島→中之島→平島」というルートとのこと。そう、私は「口之島→中之島」というチャーター案しか思いつかず、それが無理だったため、チャーターしても不可と判断してしまっていた。しかし平島までとは・・・。実行するかどうかは別にして、その発想が私には無かった事が悔やまれる。そういえば口之島出港の時に船に乗らなかった4人組の方々がいたが、チャーター船だったのだ。そうかそういう手があったかー。高速船は定員12名なので、口之島の港で声を掛けておけば便乗できたかもしれない。あ〜残念。この時は無念の思いが大きかったが、今はまたトカラに行く強い動機が残っている事を前向きに考えるようになった。トカラでまだ1泊もしてないし、今度はもっとゆっくりしてみたいものだ。

中之島を出港
中之島を出港
中之島は人口167人、97世帯が暮らす
(2004年3月31日のデータ)
昔は十島村の役場もあったそうな。

 さて局内では9時を前にして、みなさん通帳と預け入れ票を出して待っている。さすがに時間が差し迫っているので、余計な処理はせず通常貯金だけをお願いする。その頃だったろうか、遠くでフェリーとしまの汽笛が鳴り響いた。一同ちょっとだけぎょっとしたが、もう9時寸前なので、今から30分あればまあ大丈夫。ただしあんまりモタモタしていると、名簿に名前があっても本当に置いて行かれた事もあったらしいので、やはり気は焦る。偶然だがご年配の方から処理が終わり、私は最後から3番目だった。念願のトカラ列島の郵便局のひとつ、中之島郵便局を訪問できた訳だ。あ〜来て良かった。にこにこ顔で局を後にし、おやんと二人で船へと戻る。たかなしくんは処理が早めに終わったので、先に船にもどっていた。最悪、置いてけぼりで出港だ〜となっても、彼が体を張って2,3分は稼いでくれるだろう(笑 まあまだ汽笛が鳴ってから10分くらいしか経っていないので、単純に考えれば20分残っている訳なので、普通の足取りで船へと戻っていく。途中、犬がいたからパシャ、温泉があったのでパシャとかしていると、最後から2番目の人に抜かれ、そして一番最後の方は地元の方の車をヒッチハイクして追い越して行くではないか。そんなもんで結局、我々がビリとなってしまった。しかも港から走ってくる車からおばちゃんが「検診終わったよ〜」と声を掛けてくださった。きっとフェリーとしまの方から督促するようにお願いされたんだろう。お手数をおかけしてすみません。それでも子ブタ2頭は走らず(走れず?)に歩いていると、最後の直線の所でたかなしくんがおいでおいでをしているのが見える。船はもう検診車を積み込み終わり、出港を待つばかりの態勢だ。何でもこのとき、船の人が「ダッシュせな〜」と仰っていたそうな。遅くなってスミマセン・・・。ただ名簿を見るとあと一人、まだ帰ってきていない人がいたので、我々の罪は軽くなったぞっと。いろいろ気を揉んだが、全員無事に貯金できたので何よりだった。我々が乗り込んでから程なくして、船は中之島の岸壁から離れていった。

平島停泊中のフェリーとしま
平島停泊中のフェリーとしま
平島は人口79人、37世帯が暮らす
(2004年3月31日のデータ)
平家の落人伝説から島の名前が
付いているそうな。

 結局、中之島は予定よりも35分早発の9:30発だった。なんだかんだで中之島停泊は予定よりも5分しか短くならなかった。我々のせいもあるだろうが、この島は十島村の中でももっとも人口が多い島というのもあるだろう(ないか?)。以前は十島村の役場も置かれていた島だ。戦後、沖縄と共に占領下に置かれたり、その後いろいろあって今は役場は鹿児島市内にあったりする。そもそも村の名前は「十島村」なのに村のマークには島が7つしか描かれていない。これは戦前は今の十島村の島々の他に、今の三島村の島々(薩摩硫黄島、竹島、黒島)も合わせて十島村だったそうだ。それが北緯30度以南を連合軍が占領したために分断され、復帰後も三島村はそのまま残り、今の形になったそうな。なので例のチャーター船の名前が「ななしま」なのは、戦後の島の数から来ているのだろう。話が逸れてしまった・・・。船は中之島を離れ、次の目的地の平島へと向かっている。今日はもう郵便局がある島への寄港は無く、あとはきままな船旅となる。例によって最上甲板で風に当たっていると、先ほど中之島郵便局でご一緒した方とお話することができた。3人で来られているそうで、既にリタイアされている方々だそうな。羨ましいッス。この方は日本全国の郵便局がある離島を巡られているそうで、中之島でちょうど100島目を迎えられた。おめでとうございます。ちなみに郵便局が1局でもある離島は180島あるそうな。私は数えたことがないが、半分は行っていると思うのだが・・・。またお連れの方々もかなり興味深いご趣味をお持ちだった。お一方は日本全国の市町村役場を巡るというご趣味で、平成の大合併前の段階で市町村だった所を巡られている。しかも公共交通機関で巡るという縛りを付けておられるそうな。またもうお一方は国土地理院発行の五万分の一の地図に記載されている地域全てに足を踏み入れる、というご趣味だ。硫黄島とか沖ノ鳥島とか、一般人では立ち入れない領域を描いた地図が20数枚あるそうだが、それ以外はほとんど行かれたそうだ。NHKに「忙中趣味あり」というちょっと変わった趣味を紹介する番組があるのだが、ご出演されてみては・・・と思ってしまった。お元気そうだし、リタイアした後に自分の好きなことを思いっきり楽しむことができるのって、端から見ていても生き生きとしているし、羨ましい限りである。
 

平島出港
平島を出港
こぢんまりとした感じの島。
昔の風習が今もなお守られている
島なんだそうだ。

 やがて船は本日3番目の寄港地、平島に入港する。ここでも下船して少し散歩をしてみた。港からはZ字状に山の斜面を登っていく道路が見え、その向こうにきっと集落があるのだろうが、さすがにちょっとへばっていたので坂道の途中で港を眺めて引き返してきた。平島って言っても全然平たくないやん・・・って、名前の由来は平家の落人伝説から来ているそうな。トカラの島々にはほぼもれなく平家の落人のお話があるらしく、ここは島の名前にまでなってしまったという訳だ。島の面積はかなり小さく、2.08平方kmというのは小宝島に次いで2番目に小さな有人島になる。船は11:35着予定のところを10:45着。13:25発のところを12:20発だった。ここでも1時間50分停泊予定のところを1時間35分であり、15分短くなっている。さてそろそろお腹も空いてきたので、船のレストランでランチタイムとなる。「トカラサンライズレストラン」と名付けられた部屋があり、売店でピラフとかカレーライスなどを販売している。ただ明らかにインスタントのカレーが600円とかで出てくるので、あまりお薦めではない。とはいえトカラの島々には食堂なんてものは存在しないので、選択の余地なしだ。ここは山小屋なんだ、と言い聞かせて3人で平らげた。今回の旅は総じて食事がイマイチだったのが悔やまれるところだった。お昼ご飯も終えたところで12:20頃に平島を出港。また最上甲板に上がって出港風景を写真に収めたりした。お次の寄港地、諏訪之瀬島までは約50分だが、3人で船室でだべっているとあっという間に到着してしまう。諏訪之瀬島は14:15着予定のところを13:10着だった。さて、ご飯も食べたことだし、ここでは気合いを入れてちょっと島の奥まで足を伸ばしてみた。この諏訪之瀬島は今も活発に活動を続けている火山で、火口から半径2キロの円内は立ち入り禁止になっている。港から見ても島の頂上付近は茶色い山肌が見え、火山の島である事を感じる事ができる。例によって島の周囲は断崖絶壁のため、集落などは山の中腹に立地している。今回はちょっと頑張って歩き、諏訪之瀬島飛行場跡地を見に行くことにした。ここはバブルの頃、ヤマハがリゾート地として開発をしようとして、飛行場が建設されたのだ。結局、リゾート開発は頓挫したらしく、この飛行場が日の目を見ることもなかったようだ。

諏訪之瀬島の道
諏訪之瀬島の道
コンクリートの道の両脇に生い茂る
リュウキュウチク、そしてその向こう
には海が見える。

 フェリーとしまが諏訪之瀬島に着岸し、みなさん勢いよく飛び出していく。今回の特別ダイヤを当て込んで、トカラの島々を散策してみようという方々も結構おられるようだ。我々3人がどんどん坂道を上っていくと、女性3人組や山男って感じの人と一緒になる。結構いろんな人が船には乗っているのだ。郵便局めぐらーでない事は間違いないので、恐らく島が好きというか自然が好きと言うか、上手く表現できないけどそういう方々なのだろう。軽く挨拶をして一緒に坂道を進んでいく。港からはコンクリートで固められた細い坂道が1本、島の奥へと延びている。こういう離島ではアスファルトを生成する事が難しいため、道はコンクリートで固められる事が多いらしい。細い道の両脇には南国の雰囲気を醸し出す植物が生え、時折きれいな赤や白の花を付けている。一番目に付くのがリュウキュウチクと呼ばれる竹だ。トカラの島々は珊瑚礁由来の宝島などを除いて、ほとんどの島がこのリュウキュウチクに覆われている感じだった。どんどん上っていくと道が二手に分かれ、右へ行くと集落、左へ行くと飛行場跡と元浦港へと至る。集落も見てみたかったが、今回は左の方へ。他の方はみんな集落の方へ向かったようだ。港から20分ばかり歩いた頃、右手に「発電所 飛行場」と書かれた木製の看板が登場。行ってみると九州電力の職員さんが車で先回りしており、発電所の設備を点検されていた。こういう離島でも電気が使えるのはこういう発電設備のお陰だ。ただ故障なんかしたら大変だろう。こういうへき地の社会インフラの維持に携わっている方々には本当に頭が下がる。その発電所の正面に諏訪之瀬島飛行場跡が広がっていた。滑走路は若干ひび割れているものの、ヘリポートとして使用されており、急患があった時はここからヘリで搬送するらしい。飛行機も十分着陸できそうな雰囲気だった。なんか県のお偉いさんのような感じの人が視察に来ていたので、お付きの人にシャッターをお願いして3人で記念写真も撮っておいた。しばらく滑走路を眺めていると、不意になにかが滑走路を横切っていくのが見える。何かと思ったら山羊の集団だった。トカラヤギと呼ばれる野生の山羊らしい。しゃしん〜っと近づいてみたが、さっさと滑走路脇の茂みに身を隠してしまった。残念。

諏訪之瀬島遠景
諏訪之瀬島遠景
後方が活火山の御岳。
手前に見えるのは海上保安庁の船。
座礁した漁船を調査に来た模様。

 さて、ここ諏訪之瀬島は人口48人の25世帯。島の大きさはトカラで2番目なのだが、そのほとんどが火山であるためか、人口は小宝島に次ぐ少なさだ。小中学校も平島小中学校の分校扱いになっている。そのため検診の時間も恐らく短いと思われる。あまり道草も喰ってられないので、滑走路脇で10分ほど滞在して、もと来た道を引き返していく。帰り道は下り坂なのもあって15分くらいで船が見えてきた。途中、火山が噴火した際に避難するための避難壕などもあり、ここが活発な火山の島なんだという事を再認識させられた。さて港へ戻ってみると、地元の方がおみやげ物屋さんを開店しており、その名も「すわのせしあわせや」。おばあさんが貝殻などを拾い集めて貝殻細工を作られていた。そこでお供に連れられていたのが、諏訪之瀬犬(?)の七海さん。私は犬の種類にはとんと疎いのだが、愛想のいいワンちゃんだった。島の人たちは結構犬を飼っておられる方が多く、港の防波堤には検診の間、ご主人様を待っている犬たちがずらっと並んでいた。やがて汽笛が鳴り、島内へ散っていた人たちもわらわらと船へと戻ってきて出港となる。ちなみに例のチャーター船の方々はここでフェリーとしまに追いついたそうな。これは後から聞いた話だが、チャーター船は口之島→中之島→平島と行ったのだが、平島では干潮のため小さな高速船から防波堤へ降りることができず、急遽諏訪之瀬島まで行って船から降りたそうな。そんな事もあるんもんなんだ、とちょっと感心。しかし本当に平島で降りる必要があった場合はどうするのだろうか・・・。

 その後、このチャーター船にご乗船だった方からご連絡いただき、実際は平島が干潮である事は事前に分かっており、またフェリーとしまが予定よりも早く航行している事から、平島へは行かずに直接諏訪之瀬島へ行かれたとの事でした。ご指摘ありがとうございます。(2007.6.11追記)

 さて諏訪之瀬島は15:55発予定のところを14:30発。停泊時間は1時間20分だった。この島は活発な火山島だけあって、出港の時に船がスクリューを回すと港の底に堆積していた火山灰が巻き上げられ、海が黒くなっていた。この島は200年ほど前に大噴火してほとんどの人家は消滅したそうで、それから約70年間は無人島だったという歴史を持つ。昔は船が接岸できる岸壁なんてのも無く、船を沖合に係留してはしけで島へ上陸していたそうだ。今じゃこんなに気軽に上陸する事ができるが、当時からは想像もつかないことなのだろう。
 
諏訪之瀬島に停泊中のフェリーとしま

諏訪之瀬島に停泊中のフェリーとしま
諏訪之瀬島の発電所

諏訪之瀬島の発電所
九州電力の発電所があった。
トカラヤギ

トカラヤギ
諏訪之瀬島の飛行場に登場。
思いっきり拡大してみました。
黒いのも一頭いたり。
諏訪之瀬島の七海さん

諏訪之瀬島の七海さん
女の子だそうな。
座礁した漁船

座礁した漁船
強風にあおられて座礁した模様。
海上は凄い風だった。
海上保安庁の船

海上保安庁の船
潮の流れが速いらしく、スクリューを
回さないと流されそうな感じ。
 

小宝島の遠景
小宝島遠景
これまでの島と違って珊瑚礁が
隆起してできた島だ。
妊婦に見えるとガイドには書いてある

 船は諏訪之瀬島の港を出て、島を右手に見ながら進んでいく。例によって最上甲板から島を見ていると海上保安庁の船が見えてきた。この船に乗ってる誰かを捕まえにきたのか?それとも会社の追手か?(笑 洋上に停まっているようで、何をしているのかと思っていたら、よく見ると諏訪之瀬島の海岸に漁船が座礁しているのが見えた。周囲には仲間の漁船が5,6隻取り巻いている。この日はもともとお天気は下り坂の方向なのだが、既に海の上ではかなりの強風だった。潮の流れと強風で座礁してしまったのだろう。この後どうなるのか非常に心配だが、だんだん島影と共に遠くへ見えなくなってしまった。今は干潮なので、満潮になれば脱出できるのでは、とは素人考えか。無事に脱出できることを願うのみだ。さてこの後、当初は悪石島へ向かう予定だったのだが、明日は天候不良が予想されるため今日のうちに小宝島へ向かう。結構時間が空くので、船室で衛星放送を見ていたのだが、いつの間にか少し眠ってしまった。気がつけば小宝島への入港直前。慌てて用意をして、ここでもちょっくら島を散策だ。小宝島と宝島は今までの島々と違い、珊瑚礁が隆起してできた島だ。そのためか断崖絶壁のような地形ではなく、なだらかな平坦な島の形をしている。ここはトカラの有人島の中で、最後まではしけによる上陸を余儀なくされていた島で、面積、人口共に最小だ。船は整備された岸壁に接岸するが、かなりの横揺れ状態だった。なるほど、これでは少しでも海が荒れようモノなら接岸は難しくなるだろう。まだ小宝島がはしけでの上陸だった頃にこの島を訪れた人の話では、その後に台風が来て20日間も閉じこめられた事があったそうな。船は運航しているのに小宝島には接岸できずに通過するそうな。これを抜港(ばっこう)と言う。私も伊豆諸島の利島(としま)という島で学生の頃に閉じこめられた事があり、その時も船は運航していたのに利島だけは抜港だった。その時は3日目にヘリコプターで脱出できたのでまだ良かった方だ。ここトカラでは海が荒れると、ヘタすると1ヶ月くらい船が接岸できない事も考えられるので、各家庭には業務用の100万くらいする巨大冷蔵庫が置いてあるそうだ。まさに船と冷蔵庫は命綱だ。

小宝島の赤立神
小宝島の赤立神
あちこちに奇岩があり目を引く。

 さて、横揺れをするフェリーからタラップを使って降り、小宝島に上陸だ。港には検診のために島の方々が集結されている。我々はひとまず防波堤から島の土を踏み、案内板の所まで行って考えていると、おやんが島は1周徒歩で20分だと言うので、それなら余裕って事で一周してみることに。島を右回りに歩き出すと、いきなり奇岩が視界に入ってくる。赤立神と呼ばれる奇岩で、この辺りは神聖な場所とされているらしい。手前には牧場が広がり、牛が草をはんでいた。一周する道に坂は全くなく、やがて小宝島の集落へと入っていく。とはいえ人口43人、25世帯とトカラで一番人口が少ない島だ。集落も小規模で、あっという間に通り抜けてしまう。ただ我々の通った道は中心街よりも一本内陸側だったらしい。そういえば温泉があると聞いていたのだが、その前は通らなかった。ガイドによれば白濁の硫黄泉らしいので、是非足だけでも入ってみたかったが残念。珊瑚礁隆起の島なのに温泉があるとは結構珍しいと思われる。集落を過ぎると人気もなくなり、亜熱帯の植物が生い茂る中、道が延びている。道脇にパイナップルのような実を付けた植物があり、しかし実の付け方がパイナップルとは明らかに違った。これはなんだって事で、その時は「ソテツだ」とかいい加減な事を言っていたが、今調べると「アダン」という植物だった。また時折、道脇に畑があってサンセベリアという観葉植物が栽培されていた。私はこの植物を知らなかったのだが、お二人はよくご存じだった。霜に弱いらしいので、ここトカラでは栽培に向いているそうな。そんなこんなで30分ばかり歩いたろうか。ちょうど港の所まで戻ってきた頃に汽笛が鳴り響いたのだった。もうちょっと温泉とかの下調べをしていけば良かったとちょっと反省。まあまた縁があればここへ来ることもあるだろう。

小宝島の奇岩
こちらも小宝島にて
こんな感じの奇岩があちこちにある。
牛がのんびりと草をはんでいた。

 小宝島へは17:40着予定のところを16:25着。19:10発予定のところを17:25発だった。停泊時間が30分も短縮されており、やはり人口が少ないのが理由のひとつだろう。さて、お次は本日の停泊地であり、先ほど通り過ぎてきた悪石島へと向かう。小宝島を出港してしばらく海を眺めていると、トビウオが海面上を飛んでいるのが見えた。10秒くらい海面上を滑空するように飛んでいた。本当に飛ぶんや〜とちょっと感動。船室に戻ってだべっていると、小1時間した頃には悪石島への到着の案内が流れ始める。さて、今日はここ悪石島で夜を明かすことになる。とは言っても島内の宿に泊まるわけではなく、港に停泊中のフェリーとしまの中で夜を明かす。本当は民宿に泊まりたかったが、明日の朝が早いのと、この旅行自体に行けるか微妙だったのもあり、予約はしなかった。まあ船の中でも特に問題はない。しかし問題は夕食である。例によって島内には食堂なんてものは無く、宿にも泊まらないので夕食のあてが無い。これは後で知った事だが、フェリーの船員さん達のために、悪石島の人たちが港で夕食会を開いてくれるそうな。ここに乗客も混ぜてもらえるらしく、事前に言っておけば2000円で食べさせて貰えるそうな。ついでに明日の朝食と今日の昼食(朝食だったかも)をセットにして4000円なんだそうだ。これは知る人ぞ知るみたいな感じなので、新参者にはどうしようもない。船の予約の時に村役場に聞いてみるといいかも知れない。って事で、今回は再び山小屋メニューの船のレストランへ腹ごしらえをしておいた。ちなみにこの日は20時には閉まってしまうらしい。悪石島到着が18:45だったので、島の温泉へ行く前に食べておいた。さて、ここ悪石島には海岸沿いに温泉が湧いており、今回の楽しみのひとつだ。船にもシャワー室があるのだが、この温泉がある事を知っていたので入らずにいた。船の案内所で下船名簿に名前を書いていると「本日の門限は23時」との案内の紙が掲示されていた。目的の温泉は湯泊温泉といい、港から左手の方向の海岸沿いにある。とはいえそこへ至る道が非常に険しく、港から一回坂道を上り、山を越えていかねばならない。歩いて20分くらいかかるそうな。
 

悪石島の夜
闇夜に浮かぶフェリーとしま
悪石島停泊中に撮影。
真っ暗闇の中に浮かび上がる姿は
街のようだ。

 よっし歩くか〜と、港から歩き出した時、後から島の方の車がやってきて「どこへ行くの?」と声を掛けてくださった。温泉へ行くことを告げると乗せていって貰える事に。ありがたい事です。車で走るとあっという間に温泉の前まで着いてしまった。ありがとうございます。途中、船のみなさんも温泉へ向かわれていたようで、何人かめぐらーの人とすれ違った。ここは島の人たちの公衆浴場みたいになっていて、ちゃんとした小屋もあって畳や扇風機まで置いてある。入り口の箱に200円を入れる仕組みになっており、島の人たちは利用記録みたいなノートが置いてあるので、そこに名前を書いていた。中を見てみると3,4人くらいは入れる浴槽と、洗い場が4つ。ただ満席のようなので、少し時間をおいてからお邪魔した。口之島で買っておいた牛専用の石けんが活躍する。更に風呂に入るときに前にいたにいちゃんからシャンプーの残りをお裾分けしてもらった。ちゃんと洗い場にはシャワーも付いており、まったく申し分ない。温泉は透明でちょっと熱めだが、慣れればちょうど良かった。南国の絶海の島で入る温泉って、私にとってはかなり贅沢であり幸せだ。私は沖縄で温泉に入った記憶がないので、もしかしたら今まで入った最南端の温泉かも知れない。風呂から上がって畳の部屋で一休みし、扇風機で熱気をさます。あ〜幸せ。さて帰り道は今度こそ歩いて帰ることに。もう日も沈み、辺りは漆黒の闇に包まれている。一応たかなしくんが登山用のライトを持ってきてくれているが、逆にこの暗さが新鮮だったので点けずに歩くことに。今時、本当の真っ暗な夜なんてなかなか体験できないだろう。この日は曇っていたので満天の星空の下で、という訳にはいかなかったが、そのぶん闇が夜を支配している。民家も無く真っ暗な坂道を上っていくと、港に停泊しているフェリーとしまの明かりが見えてくる。回りに全く明かりが無い中、その船の明かりはまるで砂上の楼閣のような華麗な光だった。あんまり綺麗だったのでしばらく写真撮影をさせてもらった。三脚なんか無いので、息を止めてぶれないように頑張ってみた。

 真っ暗な闇の中を船の明かりを頼りに歩き、かなり汗だくになってしまった。途中、とんでもなく急な坂道があり、これは車でも大変そうだった。港の近くの山の斜面にもよく見ると民家があり、明かりが点いていた。私がここで生まれていたらどうなっていたかと、いつもの妄想癖が出てくる。港まで戻ってくると建設会社の事務所だけが明かりが点いていた。こういう島だとやはり公共工事が大きな比率を占めており、この建設会社が島での雇用に大きな役割を果たしているのだろう。港とはいえ街灯など無く、岸壁の端っこをちゃんと認識しておかないと、海に落ちてしまうので要注意だ。港に浮かぶ船がまぶしく見えたものだ。名簿にチェックして長かった一日が終わりを告げる。船室に戻って少しだべり、mixiに日記を書いたり、デジカメの写真データを吸い出したりなんかして、0時くらいには寝てしまった。
 
小宝島に停泊中のフェリーとしま

小宝島に停泊中のフェリーとしま
ご覧のようにかなり傾いている。
港も簡素な造りだった。
小宝島の案内板

小宝島の案内板
確かに一周徒歩20分と書いてあるが、
実際はちょっと厳しいかも。
「魂は風と共に去りゆく」という
風葬の慣習が残っているそうな。
小宝島のアダンの木

小宝島のアダンの木
小さくて見えないが、黄色い実を
付けている。
門限の張り紙

門限の張り紙
悪石島停泊時に掲示された。
小宝島にあった機械

小宝島にあった機械
かなりの年代物とお見受けする。
小宝島の道

小宝島の道
ちなみにこの島にはトカラハブがいる。
道の真ん中を歩きましょう、との事。

2007年05月16日(水) 遙かトカラの旅(後編)の巻

78395 宝島郵便局 9:45  8708  鹿児島郡十島村宝島2

悪石島遠景
悪石島遠景
ボゼという神がいる島。
2年後の皆既日食の絶好の
観測ポイントでもある。
人口72人、32世帯が暮らす。

 明けて16日。7時前頃起床した。悪石島停泊中は揺れもなく、がっつり眠ることができ、起きたらもう悪石島出港直前だった。寝ぼけた頭で悪石島の島影が撮りたかったので、たかなしくんと最上甲板へと上がってみる。おやんはまだ起動スイッチが入らないらしい。今日はお天気は曇り空。どんよりとした雲が広がっている。徐々にお天気は下り坂に向かっているようで、雨が降り出すのも時間の問題って感じだ。午前7時。長い汽笛と共に悪石島の岸壁を離れていく。悪石島はボゼと呼ばれる神様が登場するお祭りが有名で、島田紳助の番組か何かで紹介されて結構有名になったそうだ。今年もお盆の季節(旧暦の7月16日)にはこのボゼを見るために「ボゼ特別ダイヤ」が組まれている。年に1回しか見られないボゼってやつを一回、見てみたいものだ。またこのトカラは2009年7月22日の皆既日食の絶好の観測スポットになっている。その中でも悪石島は太陽が月に完全に隠れる時間が6分25秒も続き、これは世界的にも珍しいそうで、皆既日食ファンが大挙して押し寄せてくるそうな。ただこの島では受け入れが到底できないような気がする。宿の数も限られているし船に乗れる数も知れている。結局、現実的には悪石島近海に船を出して、そこから観測する事になるんじゃないかって事らしい。2年後、ちょっとだけトカラの名を全国ニュースで聞くことができるかもしれない。さて、小さくなっていく悪石島を見送ってから再び船室に戻り、またうたたね。二度寝ってなんでこんなに心地よいのだろう・・・。やがて船は昨日寄港した小宝島に接岸している。今日は悪天候で接岸できないかも知れないので、昨日の検診となったが、いちおう今日も接岸できたようだ。8:20着予定のところを8:10着、8:30発予定のところを8:20発だった。写真とかは昨日撮ったって事で、ここでは甲板にも出ずにうたたねを決め込む。そうこうしているうちに宝島への入港が近づいてきた。ちょっと身支度を整え、朝食用のパンをほおばる。たかなしくんはなんとここ宝島で下船し、宝島で1泊した後に折り返しの船で鹿児島まで戻るそうな。ちょっと羨ましかったり。私も次は口之島でトカラ初宿泊といきたいものだ。

宝島郵便局
宝島郵便局
立派な局舎にびっくり。
港から歩いて10分弱だ。

 さて、いよいよフェリーとしまはトカラ列島での最後の寄港地、宝島へと入港する。この島も小宝島と同じく珊瑚礁隆起の島で、割と平地が多い。フェリーとしまは奄美大島の名瀬か、ここ宝島に停泊するのが通常のダイヤであり、港もしっかりした造りになっている。港のそばの壁には大きな絵が描かれていて目を引く。そして8:45に宝島へ接岸。例によって名簿に名前を記入し、いざ宝探しへ出発! もちろん宝とは郵便局の事である・・・。ちなみに宝島という島の名前は、やっぱり昔の海賊が財宝を隠したとされる伝説があるためなんだそうな。3人で勢いよく飛び出したのはいいのだが、少し歩いていると雨が降ってきた。多少の雨なら気にならないのだが、何しろこちらはカメラ持参の身。あまりカメラを雨に晒したくない。という事で皆さんと別れ、私はひとり船まで折りたたみ傘をとりに戻った。船からはレントゲン検診車が降ろされる所だった。船室まで戻って傘を持ち出し、船を出る頃にはもう9時になっていた。まあここは昨日の中之島と違って時間に余裕があるため、焦る必要はない。とはいえ何故か早足で歩いてしまうのは悲しい性だ。再び大きな絵が描かれた壁の前を通り、宝島の集落の方へと歩いていく。赤いハイビスカスが咲く小道を進んでいくと道が分かれており、左は大きな木の下を通る道、右は山の方へと延びる道だ。どっちなのかさっぱり分からなかったので、嗅覚をMAXに。とりあえず臭いはしなかったので右の方へ行ってみた。少し行って左に折れると公民館のようなものがあり、よく見ると売店だった。フェリーとしまの乗船券はここで買うらしいが、営業時間が早朝と夕方だけだそうな。ちょっと覗いてみようかと思ったが、中が暗かったので入るのは止めてしまった。たぶんこれは山の方へ行きすぎたんじゃないかと第六感が働き、今度は海の方へ降りていく。この島の道は他の島と同じようにコンクリートで固められており、道幅は車が1台通れる程度のものだった。

イギリス坂
宝島のイギリス坂
写っていないが左に記念碑がある。
1824年7月8日、イギリスの商船との
戦闘の現場だったそうだ。

 道を少し下っていくと右手に「イギリス坂」の記念碑が建っている。なんでもここは江戸時代末期、イギリスの船が島の牛を譲って欲しいと頼んだが断られたため、強奪しようとして小競り合いがあった場所だそうな。死者も出たそうで、この事件がきっかけで「異国船打払令」が発布されたそうだ。この小競り合いがあったという事は何故か漫画で読んで知っていたのだが、それが宝島だとは知らなかった。へぇ〜と感心しながら記念碑をぱしゃぱしゃ。すると写真を撮る私の背後に「診療所 郵便局」と書かれた木製の看板が建っていた。そしてその看板が指す方に宝島郵便局の局舎が見えていた。現代の宝探しは港から約10分でお宝にたどり着いたのだった。9時15分くらいだったろうか。局内へとお邪魔してみると、既に同業者の方々の処理が進められており、おやんやたかなしくんは順番待ち中だった。ここでは比較的に時間的余裕があるので、心安らかに順番を待つ。待っている間に発売中のドリームジャンボ宝くじを買い求める方がいたので、私も便乗して買っておいた。バラを10枚。宝島といういかにも当たりそうな名前の場所で買った宝くじだ。きっと当たるに違いない。少なくとも末等が(笑 20分くらい待ったろうか、順番が回ってきたので貯金をお願いし、無事に処理が完了。端末が故障とかしたらどうしよう、とか余計な心配をしてしまうのだが、全くの杞憂ってやつだ。ただこの局も中之島郵便局と同様、ATMなどの自動機は設置されていないので、窓口の端末が止まったら本当におしまいだ。たま〜に窓口の端末がメンテナンス中の局があったりして、そういう場合は不本意ながらATMなどで預け入れする事もあったりするのだ。さて、スタンプも押してもらい、これで今回の郵便局巡りは全て予定通りに完了だ。一時は飛行機に乗れずにアウトかとも思った旅だが、こうして一番大きな目的を達した後はちょっと安心感に浸る。とはいえここはまだ南海の秘境トカラの地。明日はもう仕事なので、無事にちゃんと帰らないと。時間とか仕事とか、そういう気兼ねなくこういう秘境の地に身を置いてみたい気もするが、そんな時間の余裕はまだまだ持てない。むしろこの地に来られた事の方に感謝せねばという感じだ。
 

宝島出港
宝島を出港
白く見えているのが壁に描かれた絵。
114人、61世帯が暮らす島だ。

 宝島郵便局を後にし、たかなしくんが今日の民宿に荷物を置きに行っている間、イギリス坂の所で少し休憩。記念撮影なんかもしたりしてみた。たかなしくんと合流し、まだ少し時間があるのでのんびりと港の方へと戻っていく。途中、「ブーン」という汽笛にも似た音が集落の中から聞こえてきたが、これは消防用のポンプの音だった。なんでも今回のレントゲン特別ダイヤに合わせて、各島に備えられている消防用ポンプを点検して回っている方々がいるそうな。そういえば中之島でもそんな音がしていた気がする。今回の特別ダイヤでは島の人たちの健康管理だけではなく、島の設備の検査も兼ねられているのだ。また港に戻って、タラップの所でだべっていると女性の方が声を掛けてきた。なんでも鹿児島県の職員さんで、今回の航海で島の牛の健康状態を確認に来られているそうな。やはり今回のようなダイヤでないと、効率よく島々を巡る事ができないそうだ。普段の航海と違い、いろいろな目的を持って島々を巡る人たちが相乗りしている船なのだった。先ほどは傘を取りに帰ったりもしたが、通り雨だったらしく雨は止んでいる。やがて出港の汽笛が鳴り響き、ここで宝島に泊まるたかなしくんとはお別れだ。またどこかでお会いしましょう。船が岸壁を離れ、岸で見送る人がだんだんと小さくなっていく。飛行機ではあり得ない、このゆっくりとしたお別れの時間ってのは船ならではのもので感慨深い。港にいる人たちが小さくなるまで手を振ってみたりした。これで一応、トカラの有人島7島全てに足を踏み入れた事になる。今まで訪れてきた離島はかなりの数になるが、トカラは本当に地球は海が支配している星なんだという事を実感させてくれる島だ。私が知っている海は大阪や岡山の瀬戸内の海で、海の向こうには陸地が見えているのが当たり前の世界だった。しかしここは360度海の中にポツンと島があるだけ。船が無くてはどこにも行けないし、海と無関係な生活などあり得ないだろう。きっとここで生まれていたら世界観は全然違ったものだったに違いない。

宝島遠景
宝島遠景
島の形を見ても他のトカラの
島々とは雰囲気が異なる。

 さて、ここからは帰路に就く事になる。宝島は9:05着予定のところを8:45着、11:25発予定のところを10:35発だった。今日も予定よりも早い時間での航海となっている。例によっておやんと最上甲板まで上がって小さくなっていく宝島の島影を眺め、写真をぱしゃぱしゃ。ついついドラゴンボールの主題歌が頭に浮かんでくる。この世はでっかい宝島〜♪としつこく歌ってみるが、おやんはぜんぜん食い付かない。だんだん風が強くなってきたので船室へと戻り、のほほんモードに。目標も達成した事だし、ついついウトウトしてしまう。汽車や飛行機と違ってカーペットなので、のびのびとできるのが船の嬉しいところだ。しばらくうたたねしていると、奄美大島の名瀬港への入港を知らせる放送が入ってきた。長かった船旅もここ奄美大島で終着点。外を見れば昨日、諏訪之瀬島に来ていた海上保安庁の船が停泊していた。さすが奄美大島の名瀬港は規模も大きく、地形も湾のようになっているので港にも向いている。13:30頃に名瀬港に接岸し、荷物と共にフェリーとしまを後にする。また口之島へ行かなければならないので、きっとまた乗船することになる・・・はずである。さてさて、今日はこれから飛行機で羽田まで帰るのだが、奄美空港発は18:55なのでまだまだ時間がある。とは言っても私自身は奄美大島の郵便局は全て訪問済みであり、かと言って瀬戸内町にある与路島や請島にある郵便局へ行くには時間が足りない。これはこれでいつか行きたいのだが・・・。ただおやんはまだまだ奄美大島に未訪問局を残しているので、これらを巡ってみる事にした。私も訪問済みの郵便局を久しぶりに再訪問するのも楽しかったりする。まずはお昼ご飯がまだだったので名瀬の中心街へと向かう。港から少し歩いて県道に出て、塩浜町バス停の前でバスを待つ。ただそんなに遠くないんじゃないかって事になり、歩いてみることに。そういえば11年前に奄美大島に初めて来た時も鹿児島から夜行フェリーに乗り、朝の5時くらいにここを歩いた記憶がよみがえる。あの時は土砂降りの雨で、帰りの船はもの凄い揺れだった。

名瀬港に到着したフェリーとしま
名瀬港に到着
トカラの島々を巡って奄美大島に到着
39時間に及ぶ船旅は無事終わった。

 15分くらい歩いたろうか、国道58号線が直角に曲がる名瀬市街の中心まで来た。今回はまだ地元の味というものを味わっていないので、ここは是非地元のものを食べたい。交差点から国道58号線を古仁屋の方へちょっとだけ行くと、「鶏飯」と書かれた地元の食堂っぽいお店を発見した。これはいい感じって事でここに決定。鶏飯とは「けいはん」と読み、ご飯の上に鶏のささみ肉とか卵、煮た椎茸などを載せ、鶏ガラスープをかけて食べるものだ。パパイヤの漬物なんかも添えられてて、かなり美味しかった。奄美地方の代表的な郷土料理なんだそうな。ごちそうさまでした。大満足で店の外に出ると結構な雨脚になっていた。幸い、お店の斜め前に地元のレンタカー屋さんがあったので、そこへ駆け込む事にした。飛び込みで車があるかちょっと心配だったが、ホンダの結構イイ車(名前忘れた)を5000円で借りることができた。このレンタカー屋さん、空港の所にも営業所があるので乗り捨てOK。2人分のバス代を考えればそんなに割高でもない。時刻にして14時30分くらいだったろうか、まずは名瀬の市街地にある名瀬佐大熊郵便局を目指す。海沿いに道を走っていると、ちょうどフェリーとしまが移動しているのが見えた。折り返しの鹿児島行きの出港は明日の朝3時なので、それまでどこかに移動して係留されるのだろう。お目当ての郵便局は国道から右手に入った団地の中にあった。以前と変わらぬ風景が懐かしい。おやんが一人で局へと向かい、私は写真撮影だ。お次は国道を少し空港の方へ行った所にある浦上郵便局だ。ここは以前はアパートの1階が郵便局という、ちょっと変わった郵便局だったのだが、移転していて綺麗な局舎に変わっていた。場所がちょっと移動しているので少し迷ってしまった。おやんが局へ走っている間、私は近くの自動販売機でコーヒーでも、と思ったら販売拒否されてしまった。壊れていたのか・・・?続いて真っ直ぐ空港の方へ向かうには国道58号線を通るのだが、少し回り道になるが北側の海沿いを進んでいくことにする。
 

円簡易郵便局
円簡易郵便局
「えん」と読む。11年前はコーヒーで
歓迎して下さった。

 山道をくねくねと走って20分くらい経ったろうか、秋名の集落へと入る。ここには県道の旧道沿いに秋名郵便局がある。移転したのは知っていたのだが、どこに行ったのかが分からないのでひとまず旧局舎の辺りへ。しかしどこに移転したのかは書いておらず、しばらく車で集落内をちょろちょろしていると、旧道からY字状に左手に行く道の角に郵便局の所在を示す看板を発見した。なんと旧道から更に脇道へ入った所に移転していた。旧道沿いから新道沿いに移転するパターンはよくあるのだが、旧道沿いから更に奥まった所へ移転とはこりゃまた珍しいパターンだ。ただ局舎は大きく立派になっており、以前はなかった駐車場もあったりした。ここでもおやんが貯金に走っている間、私はコーヒーを買いに走るが自動販売機が見つからなかった。ここで15時25分くらい。まだ時間はあるので次を目指すのだが、本当はお隣の嘉渡簡易郵便局を目指すべきなのに、二人ともヌケており、その先の円簡易郵便局を目指してしまった。車は勢いよく嘉渡の集落を通過。私は1度訪問しているのに全く思い出さなかった。後で出てくるが嘉渡簡易郵便局は旧道沿いにあり、しかも超一級の発見困難度を誇る局だけに、郵便局があると認識していないと偶然発見する確率はほぼ無い局だ。やがて海沿いの円集落に入り、海から公民館を挟んで山側に円簡易郵便局があった。局の前の道は細いので車では入れず、公民館の駐車場に停めさせてもらっての訪問になる。ここは11年前、私が豪雨の中に訪問した際には随分と歓迎して下さり、コーヒーまで出して下さった局だ。さすがに受託者さんのお顔までは覚えていなかったが、11年前とほとんど変わっていない局の雰囲気にチョイ感動だ。ここは近くに商店があり、ようやくコーヒーを飲むことができた。さて次だという事で空港の方へ向かって走り、バショウ公園を過ぎた辺りでようやく嘉渡簡易郵便局の存在を思い出す。この先だったかなと地図を見ると、なんと行き過ぎているではないか!時間も時間だし、しまった〜という思いと共に車はUターン。先ほど通過した嘉渡の集落まで引き返す。

嘉渡簡易郵便局
嘉渡簡易郵便局
以前は木製の外観だったが、
白い化粧板でお色直しされていた。
発見困難度はトップクラスだ。

 嘉渡の集落に入り、旧道の方へ入っていく。ここ嘉渡簡易郵便局は一応旧道に面して建っているのだが、局の入り口が旧道とは反対側を向いており、旧道からはこの建物が郵便局だと分かるものが無いのだ。目標となるのは旧道が緩やかにカーブしている所にある商店で、その商店の向かい側に旧道から背を向けた嘉渡簡易郵便局が建っている。幸い私は来たことがあるので、すんなりと発見できたが、最初の訪問時は雨だった事もあり、かなり苦労した。しかもちょうどお昼休み中だったため、受託者さんが戻られるまで待っていた記憶もある。そして今日、局舎を見てみると外壁が白く綺麗になっているのに気付く。以前は木製の外観だったのだが、受託者さんにお伺いするとお色直しをされたそうだ。昔の木の外壁の外側に白い化粧板が張られていた。そういえば円簡易郵便局も11年前は木製の外観だったような気がするし、お近くの簡易局同士、揃ってお色直しされたのかもしれない。この時は円簡易郵便局の外壁が白くなっていた事を認識していなかったので、お聞きすることができなかった。残念。郵政民営化を前に簡易局がばたばたと店をたたんでいく中、局舎のお色直しというのは嬉しいニュースだ。受託者さんもお元気そうだし、これからも末永く頑張っていって下さい。さてここで15時50分くらい。訪問が大変な簡易局2局を抑えたので、ここで打ち止めにしても良かったのだが、せっかくなので最後のひとがんばりをしてみる。先ほど訪問した円簡易郵便局がある円の集落を通過し、海を左手に見ながら進んでいく。ああ、もう16時かという頃、海に面した右側に竜郷郵便局が見えてきた。おやんが局へと駆け込み、なんでも終了の立て札を立てられる寸前での滑り込みセーフだったそうだ。間に合ったので、ちょっとだけ頑張って運転した甲斐があったってもんだ。この竜郷郵便局の近くに、西郷隆盛が島流しにされた際に住んでいた住居がそのまま残っており、一般開放されているそうな。局にも西郷さんの顔くり抜きの記念撮影ボードがあったので、何でかなと思っていたのだが、そういう事だったようだ。この時はおやんの帰りの飛行機もあるし、そもそもその存在を知らなかったので立ち寄らなかった。

竜郷郵便局
竜郷郵便局
西郷隆盛が島流しにされた時の住居
の近くに建つ。局の壁には西郷隆盛
のイラスト入り。

 さて、これにて今回の郵便局巡りは終了。私は中之島郵便局宝島郵便局の2局、おやんはそれプラス奄美大島の6局、それにトカラ出港前に鹿児島市内で数局めぐっていたようだ。さて、おやんは鹿児島経由で帰るそうなので、奄美空港17:40のJAL3736便に乗らないといけない。まあまだ1時間半もあるので余裕だ。先ほどとはうって変わって、のんびりモードで車を走らせていく。国道58号線まで戻ってきて、そういえば近くにジョイフルがあるって事になり、そこで少し休憩することに。さすがジョイフルめぐらーのおやん。私もジョイフルにあるアイスクリームにコーヒーをかけて食べるデザートがお気に入りなので行ってみる。国道を空港とは反対方向、名瀬の市街の方へ戻る方へと進み、中勝という集落のところに巨大なショッピングセンターがある。この駐車場の一角にジョイフル奄美竜郷店がある。ファミレスがあるなんて奄美大島も都会だ。ここで20分くらい休憩し、ぼちぼちと空港へと向かった。再び雨も降り出してきており、空は鉛色の雲で覆われている。奄美空港の駐車場にひとまず車を入れ、私も一緒に搭乗手続きをしておく。するとおやんの乗る鹿児島行きは鹿児島空港周辺の天候不良のため、条件付き運行になっていた。あらまあという感じだ。とはいえどうしようもないので出発ロビーへ行ってみると、トカラでお会いした8年連続で通われているお方々と再会した。このお方々は3人でのご旅行で、そのうちのお一人がおやんと同じ鹿児島行きに乗られるそうだ。おやんとは口之島かどこか分からないが、またどこかの郵便局で再会を誓ってお別れ。搭乗口へ向かうお二人を見送り、しばらく残りのお二方をお話しさせていただいた。その後、私はレンタカーを返さないとダメなので中座した。このままレンタカーを返しても良かったのだが、ちょっと道草を喰ってみる。ちょうどおやんが乗る飛行機が離陸する所なので、小雨が降る中、飛び立つ飛行機の写真を撮ろうと海岸に行ってみた。砂浜に出てみるとヤドカリがうじゃうじゃ。海も綺麗だし、豊かな自然がまだまだ残されている。大きなヤドカリ君がいたので、ちょっと戯れてみたりもした。やがてMD81が離陸していったが、あいにくの小雨と夕暮れのため、あんまりいい写真は撮れなかった。ヤドカリ君の写真を撮っておけば良かった〜。
 

諏訪之瀬島のおみやげ物屋さん
諏訪之瀬島のおみやげ物屋さん
「すわのせしあわせや」というお店の
名前に島の人の思いが込められて
いる気がする。

 さて、空港のそばにあるガソリンスタンドで給油するのだが、これがまた高くてリッター165円もした。まあ離島という事もあるのだが、しかしまあ高い。レンタカー屋さんに空港まで送っていってもらう時にこの事を話したら、以前にガソリンが高騰した時に値段が上がり、その後に下落しても値段は変わらず高いままなんだそうな。空港まで送ってもらい、その足で土産物を物色する。よく考えたらトカラに行ったにもかかわらず、トカラに関するお土産は何一つ買っていない事に今更気付く。フェリーとしまの売店で売ってたトカラTシャツを狙っていたのだが、全然忘れてしまっていた。ここで売られているのはやはり奄美大島に関するTシャツで、まあそれでも絵柄にいいのがあったので購入。私が普段着ているTシャツって、こういう旅先で買ったものがかなりの割合を占めている。とかなんとかしているといい時間になったので、搭乗口から飛行機へ。この日の羽田行きは時間通りで、MD81での運行だ。以前は19時ちょうど発だった気がするが、いつの間にか出発が5分早まっている。機内で先ほどのトカラの方々と軽く会釈し、後の方の席へ。飛行時間が長いので、少しくらい降りるときに時間がかかっても、空いている後の方が快適だ。31E席は右側の窓側なのだが、横には誰も来なかったので広々座ることができた。タダ券で乗せてもらっている身だし、ありがたいことだ。やがて飛行機は夕暮れの奄美空港を離陸し、約2時間で羽田に到着。鹿児島から奄美大島まで、船で40時間かけた所を飛行機ならあっという間だ。昔の人達が鹿児島からトカラ列島をたどって奄美大島から琉球へと船を進めた事を考えると、現代の空飛ぶ船はなんと速いことか。この空飛ぶ船のお陰で地球は明らかに狭くなった。しかしその恩恵に与れないトカラという島々は、今も昔も水に浮かぶ船でしか行くことができない。現代の高速移動からは取り残された島々であり、ヘタするとその存在すらも忘れられてしまいがちなトカラ。しかしその分、そこには昔から変わらない人間の本質的なもの、生き方みたいなものがあるような気がした。今回はそのひとつまみ程度も体験する事ができなかったが、まだ口之島郵便局というお宝も残されている事だし、いつの日か再びトカラを訪れてみたいものだ。
 
 今回のトカラ訪問に際しては篠原和宏さんの訪問記を大変参考にさせていただきました。この場を借りて御礼申し上げます。
 またチャーター船にご乗船だった方からもご助言をいただきました。ありがとうございました。
フクロウ付き仕切り線
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