2011夏 北海道ツーリング 4日目

写真

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ツーリング4日目

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 日の出前に走り始める予定だったのに、起きたら寒くて二度寝したら6時だ。

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 なるべく国道を避けて並行する農道を走る。
 するとこんな北海道らしい光景に出会える。      

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 札沼線末端部の駅を見てまわる。
 終点の新十津川駅で写真撮ってたらちょうど汽車が来たので、バイクと一緒に撮った。
 1日3回しか汽車が来ない駅なので運がいい。

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 北竜町のひまわりの里。バイク乗り入れ禁止なので、レンタルサイクルを借りて散策。
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 一面の花畑に乙女ちっくに・・・(台湾?からのアベックに撮ってもらった。笑ってた。)
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 ひまわり畑の隅にいたダチョウに餌やったら、腕やカメラまでつっつかれた。


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 メットにビデオカメラ付けて走ってて、炭鉱跡の廃墟をみつけた。
  タンクの上にメットを置いてバイクを降り、廃墟の中を散策。
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 バイクのとこに戻ってきたらヘルメットが地面に転がってて・・・
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 メットのアゴのとこに付けてた自作のビデオカメラが大破してた。
 ガーン!!!
 しゃ、車載動画が・・・これからどうすんべ。

 俺はアホなのか。
 去年の紀伊半島ツーリングでもヘルメットをシートの上に置いて崖の下に落としたよな。
 あのとき「これから落とさないように地面に置くかミラーにかけよう」て誓ったよな。
 2年続けて同じようなミス、何やってんだ。
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線形改良された旧道(両側にゲートがあるので車は入れない)にマットしいて昼寝。


 さっきカメラを壊してから撮影の義務から解放されて、純粋に走りを楽しめるようになり、より気持ちよく走れた。
 災い転じて福となす。カメラを失ってよかったかも。

 でも、やっぱり動画撮りたい。
 家にはもう一台ザクティ改造Cマウントカメラがあるので、親に電話して送ってもらうことにした。


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 ネットで事件記を読んでからずっと行ってみたいと願ってた、三毛別羆事件の現場跡。
 大正初期の開拓集落が巨大なヒグマに襲われ、7名が喰い殺された日本最大の熊害事件。
 ひとけのない道道を南下した行き止まりにある。

 wikipediaもいいが、「戦国房」さんの該当ページが図入りで小説風の記述でおもしろくお勧め。
 俺は戦国房さんのページを読んでここに来たくなった。
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 で、出たー! うわあああ・・・!
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 はい、再現された当時の家を襲うクマです。(塀で隠れてる部分は骨組みだけなので裏から見ると・・・
  民家内も再現されてる。
   あたりはうっそうとした森で人家はなく、今でも熊が出そうなところだ。(出るらしい)
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 近くの木には本物の熊がつけた爪跡があちこちに。
 こんなのでぶん殴られたらひとたまりも無いね。
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 事件現場跡から先、道道1049号の終点からは6線沢林道となりゲート(チェーン)で通行止め。
  先を見てみたいけど、熊が怖いので突破はやめて素直に引き返そう。(何もないだろうし)
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 現場から帰る途中にある「射止橋」。その名のとおり熊が撃たれたところ。
  橋の上から川を見下ろし、「あのあたりに熊がいて、ここから『人か熊か?』と誰何して撃ったのかな」と事件の記録を読んでると感慨深い。


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 山の中の道道を北上。              

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道沿いにあった炭鉱のホッパー跡。       
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 森の中の廃墟内部。雰囲気があって写真撮影に使えそう。

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 今回ツーリングの目的地のひとつ、築別炭鉱跡。
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 4階建ての大きな炭鉱住宅跡が泥道の両側に4棟、木に覆われてたたずむ。
  かつてこの炭鉱は年間50万トンの石炭を産出、昭和40年には人口6000人を超える街だった。
   それがいまやあたり一帯は完全な無人地帯、廃墟のみが残る・・・たまんねえな!
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 内の部屋はすべて扉が開け放たれていて室内に入れた。
 この団地は1969年に建てられ、1970年に炭鉱閉鎖。
 40年経ったとは思えないほど内部はきれいだった。
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 4階の窓から外を見る。

 かつて消防署や商店があった街の中心部。
 いま残るのは路盤と橋、数軒の廃屋のみ。
 道に車は通らず、誰一人おらず、動くものは自分以外におらず・・・
 この落差がたまらない。
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 団地の近くにある太陽小学校跡。こんな大きな校舎ってことは、子供も大勢いたんだろうな。
  校舎から体育館への渡り廊下には白っぽいホコリが大量に積もっている。
   天井を見ると・・もしかしてアスベスト?恐ろしくなってホコリが舞わないようにゆっくり歩いた。
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 円形の立派な体育館。
 閉山&街の無住化から40年経ってるはずなのに、えらくきれい。
 もったいない。
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 炭鉱跡前から道道612号線が分岐しており、
 ここを北上して海沿いに出たかったが、ゲートで遮断され通行止。
 webで調べると2006年の記事でも同じく通行止めとあるので
 もう何年もゲートが降りたままなんだろう。

 無住の地から道を利用する住民などいるはずもなく、
 このままこの道も朽ちていくんだろうな。


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 羽幌町手前の丘の上から夕日。(左はお気に入りの写真)

 旅をしてると風邪ひきかけの時、あ、ヤバイと予感がする。今日もそんな感じだったので道の駅ほっと羽幌の温泉に入った。
  ホントはこんな豪華な施設好きじゃないんだけど、道北にはひなびた温泉が無いので。
   温まったら治ったかな?着古しの下着がたまってるので洗濯しなきゃ。

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 羽幌は大きな町だからどっかにコインランドリーがあるだろーと町をうろうろ走って探しまわるが、無い。
 羽幌警察署で聞いたら、ホテルかライダーハウス内にしかないって。

 コインランドリー利用のため、22時ごろとほ宿 吉里吉里にイン。
 遅かったが残りひとつだけベッドが空いてた。
 警察署でライダーハウスと聞いてたが、雑魚寝じゃなくベッドなんだな。しかも朝食つき。・・・値段いくらだろう?

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 23時ごろ、宿の前で歯磨きしながらぶらぶらしてたら、一台のバイクがやってきた。聞くと寝場所を探して走ってきたという。
 宿の中に入っていったが、もうベットの空きが無いと断られて戻ってきた。ガソリンが底をつきかけてて、別の場所に行くことも難しいと言う。
 なんとかします、と苦笑いして走っていったがどうするんだろう?

 俺はどこでも寝れる(基本野宿だ)から、コインランドリーが他所にあれば彼は泊まれただろうが、すまん。


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