富永神社
創建は、新城村が慶長8年(1603年)に下平井村の天一天王社(長篠の戦いで大功のあった奥平信昌の信仰社)の分霊を勧請し、若宮と申して崇めたのが始まり。

明治以前は牛頭天王社、祇園社などと称し、一般には天王様といって親しまれた。祭神は、須佐之男命
境内参道から拝殿(本殿)を見る
二の鳥居をくぐって右手に能楽殿
能舞台
 普段は、このように戸閉めされている
社務所を左手に拝殿(本殿)を見る
交通
 JR飯田線新城駅から東北へ徒歩3分

 東名豊川インターチェンジから11km車で17分
 神社境内駐車可
 能舞台楽屋は、従来橋掛りの後ろに中庭を隔てて立っていたが、昭和50年の保育園の建設で、楽屋を取り壊して、保育園地に貸すこととなった。その代わり、祭礼時には、園舎の一部を楽屋として開放してもらうこととした。
 祭礼は、毎年10月の第二日曜日を入れた金曜日から日曜日にかけて三日間行われる。
 第1日目(金曜日)夜に氏子による能・狂言(祭礼能)の奉納
 第2日目(土曜日)に7町内の山車と渡御輿、笹踊りなどの奉納
 第3日目(日曜日)に櫓が出、夜に境内で手筒煙火や大筒、仕掛け等の奉納が行われる。
舞台の床下の大瓶