橋掛りの一ノ松の位置くらいからのぞき、三ノ松付近で確認

その奥は幕近くの瓶、鏡の間の幕近くにも、瓶がある。
右から橋掛りの一ノ松付近、すぐ左横が太鼓座、真ん中奥に写っているのが地謡座、一番左に見えるのが笛座の下と思われる。
大小前あたりに見当たらないのが疑問(素人考えですが)。
左から笛座、地謡座の下の大瓶
能舞台の床の下には大瓶が埋められている。足拍子などの音響効果ともいわれ、
五段の舞式にあわせて何箇所かに埋めてあると云われている。

橋掛りと後座のつなぎ部分くらいから覗く。

一番大きく写ってみえるのが太鼓座の下、その右肩に掛かって写っているのが常座の下、見えにくいが、真ん中奥あたりがワキ座前の下、一番左が地謡前の下にそれぞれ一つずつあり、
この写真中では四つの大瓶を確認。写真には写っていないが、左のほうには、笛座の下の瓶がある。
能舞台
祭礼当日は「能楽殿」と書かれた掲額と手前に階段「階(きざはし)」、そして橋掛りに若松を前に3本、背面に2本の計5本設置する。
鏡の間から橋掛りを通して本舞台を見る。
鏡松(鏡板の松の絵)。いつ頃描かれたのか、かなり色が落ちている。
 根上がりでかつ土手が描かれている鏡松は他ではあまり見かけない
切戸から舞台の裏を通って鏡の間に抜けることができる通路。
左の建物が拝殿(本殿)
右の建物が能舞台で、西方に向いて建築され、「其規模の大なる事は近國まれにして私に徳川幕府の其れを模せしと偲ばる点多々ありて”能の舞台は三府にまさる”と唄はるるもむねなるべし」と新城町能楽の栞(昭和9年平田彰発行)にも紹介されている。
能舞台の規模は「祭礼能」のページをご覧ください。
鏡の間
切戸口と竹の絵
楽屋(能楽殿を使用する時は、楽屋として使用する約束で、昭和50年頃に保育園に立替えられてしまい、共用)
現在の能舞台略図
S6当時の能舞台略図
当時は、楽屋がありました。
H 5.4.25
能舞台改修記念奉納能組
1826(文政9)年建築 新城市指定文化財