Chi-Circleトップページに本と言葉に「般若心経」

「空」のお経

(前略)
 百科事典によりますと,こうもりは5万から10万ヘルツの超音波を毎秒数回ないし十数回断続的に発し,その反響を耳で聞いて,障害物や獲物を探知してい るそうです。
ロボットも同じで,ロボットの方から電波を出して,それが跳ね返って来るのをキャッチして,物体を認識しています。
 じつは,仏教では,私たちがものを認識するときに,これと同じことをしているのだと考えています。仏教の理論では,私たちがものを見るとき,物体の方か ら送られてくる光をこちらが受け身の立場で受け取っているのではありません。人間の方から何かを発して,その何かが物体に当たって跳ね返ってくるものを キャッチして,私たちはものを見ているのです。
 人間が発するものは何か,これは私が考えた比喩ですから,それには名前ついていません。しかし,名前がないのは不便ですから,いちおう,
−ニンシキ波−
と呼んでおきます。つまり,仏教の考え方は,こちらからものにニンシキ波をぶつけて,それが跳ね返ってきたものを見ているのです。
 そう言われると,思い当たる節があります。私たちが相手をやさしく,温かい眼で見れば,相手はいい人に見えます。憎しみの眼で見れば,憎たらしく見えま す。それは私たちの発するニンシキ波が違っているからなのですね。(略)
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」−と言います。こちらがびくびくしたニンシキ波を発すると,幽霊が跳ね返ってくるのです。こちらの発するニンシキ波が普通で あれば,そのときは普通に枯れ尾花が跳ね返ってきます。(略)
 このように,仏教では,ニンシキ波の違いによってものは違って見えると考えています。ものは誰が見てもこうであるといった,絶対普遍のあり方をしていな いのです。見る人が違えば,ものは違って見えるのですから,仏教では,物は,
−「空」−
だというのです。「空」なる物に,私たちは自分の方からそれぞれのニンシキ波をぶつけて,そして跳ね返ったものをキャッチしているのです。「空」とは,そ う言う意味です。
そして「般若心経」は,すべてのものは「空」であることを表明したお経です。
 さて,そうすると,「般若心経」の教えは,ものは「空」であるから,私たちの方から発するニンシキ波をかえると,ものは違って見えるわけです。
(P25〜27より引用)

般若心経に