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教育 「あなたは何処に行くのですか」 福井達雨  【海竜社】
あなたは何処に行くのですか  福井達雨さんの優しく語りかけるような関西弁まじりの本を久しぶりに読んだ。彼の本は、学生の時と就職してから5〜6年の間に何冊か読んだ。家の本棚にあるものの題名を記すと・・・・『僕アホやない人間だ』、『僕たち太陽があたらへん』、『嫌われ、恐がられ、いやがられて』、『子どものためにではなく共に』、『子どもの笑顔を消さないで』等々。(題名だけ見ても、読んでみたいという人はきっといると思います。) 
 彼らの「共に」の思想は、かなり教育現場には広まってきたと思う。ただ広まりが深まりをともなう場合も多いけれど、言葉だけの一人歩きや表面をなでただけの取り組みになってしまうこともある。彼らの「思い」がどこから来たのかをあらためて知り、熱を失わないようにしたいと思う。



「できないことも特性です」

翌檜(あすなろ)は立派な翌檜に、檜(ひのき)は立派な檜に

 知能に重い障害をもった子どもたちと街を歩いたり、乗り物に乗ると、よく「あれは止揚学園の子どもや」という声を聞きます。この場合、多くは<あれはアホなんや。勉強も何もできず、役立たずの悪い子なんや>という意味があります。
 しかし、私は<勉強のできない子は悪い子や>という考え方が、どうしても理解できません。何故なら、勉強のできる子はできるということが、勉強のできない子はできないということがその子の特性であり、みんな良い子なのです。そして、できる子はできることを大切にし、できない子はできないことを大切にしていくものが教育なのです。
 私は「障害はその子の特性です。だから、克服する必要はありません」と四十数年間、知能に重い障害をもった子どもたちと共に歩み、皆に語ってきました。障害が悪いもの、無駄なものなら克服しなければなりませんが、それを特性と捉えている私にとって、<その障害を大切にして、立派な知能に重い障害をもった人間に育てることが障害児教育や>と考えています。
 しかし、この頃、新聞などに「障害を克服し、コンピューターを身につけて自立した」「障害を克服して、マラソンで完走した」と、克服という字がよく使われた、感動的な障害者物語の記事がよく目につき、<これでよいのやろうか>と思うことがあります。
 さて、勉強のできない子や障害をもった子を「翌檜(あすなろ)」という木に讐(たと)える人がいます。翌檜は檜(ひのき)科の木で、材質が檜よりも劣るのですが、<明日になったら檜になろう>と毎日、努力している木だと言われ、日本人の感情によく合う木なのです。
そこで、勉強のできない子や障害をもった子に「お前は翌檜や。今はできないけれど、<明日になったら檜になろう>と努力したらできるようになる。だから、頑張れ」と、このような意味で翌檜という言葉が使われます。しかし、私はこの考え方に問題を感じるのです。
 檜が翌檜に向かって「劣等感をもたないで、明日になったら檜になろうと努力しろ。そして、檜になれたら〃立派な木だ〃と言われるから頑張れ」と励まします。翌檜は「檜より劣っているけど、努力して檜になるんや」と思います。この物語はとても感動的です。
 しかし、よく考えてみると、檜はいつも翌檜の上に立ち、励ます存在で、そこに上下関係、差別関係が根強くあります。檜も、翌檜も立派な木です。だから、檜は立派な檜になる努力を、翌檜は立派な翌檜になる努力をして、両者がお互いにその立派さを認め合うことが大切なのです。この時、檜と翌檜は対等に心を合わせ、共に歩むことができるのです。
 私は<このような差別的な「あすなろ観」が早くなくなってほしいなあ。その時、素晴しい教育が生まれ、他者を尊敬し、愛し合える優しい心をもった子ども たちが育つんや>と考え、総ての子どもの笑顔が消えないことを祈る毎日です。
(P180〜182より抜粋)
もう一つ、「福祉企業を共に育ててみませんか」から
(P200〜202より抜粋)
利潤がなくても倒産しない企業があったら・・・・

 さて、この頃私は、総ての障害をもった人たちが差別を受けずに生きていく時に重要なことの一つは、利潤がなくても倒産しない企業というものが存在することではないかと思います。私はこれを「福祉企業」と呼んでいて、これが成り立つためには、現代企業とは相反する考え方が育つ必要があります。
 例えば、私たちが十の生産量をあげる時、知能に重い障害をもった人たちは一の生産量しかありません。しかし、私たちが一の努力をしている時、この人たちは十の努力をしています。
 その見える生産量と見えない努力量を同じ価値として認め、両者に同じ給与を出すという考え方が育つとともに、もう一つは「損をする企業」だから、総ての人間がそれを倒産させないように心を合わせ、一つ思いになるような温かい連帯感を社会に定着させる。この二つができれば、「福祉企業」は成り立っていくと思います。
 私は四十数年間、知能に重い障害をもった子どもたち・人たちと「福祉企業」が生まれてくる社会を待ち続けてきました。しかし、現代はその考え方とは反対の方向が進み、重い障害をもった人たちがどんどんと片隅に追いやられています。悲しいことです。
(1997年発行)
 この「福祉企業」の考えは、かつてBOOKコーナーで紹介した『戦後思想を考える』の日高六郎さんの価値観、平等観を企業という現実イメージとして示すものだと思う。 
 でも「現代はその考え方とは反対の方向が進み・・」と言う。「あなたは何処に行くのですか」と問われたら、わたしはどうこたえようか。

(2002年10月)


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