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人権「西光万吉集」  編集委員会  【解放出版社】
西光万吉集  発刊年月日を見ると、1990年10月1日とある。たぶん発刊された当時、本屋で手に取ってみた記憶がある。ぱらぱらめくって、じっくり読みたいところもあったのだが、なにせ分厚いし、値段も六千数百円・・・・あきらめた。
 最近は、インターネットで本屋に出向かずとも本が買える。近くにコンビニができたこともあって、私はその常連になりつつある。ただお金を払う時になって、「え!こんなに買ったっけ?!」という危うさはあるのだが・・。この「西光万吉集」もこのようにして買った本の一つだ。
 ハードカバーで何と読みにくいだろうなと思ったが、これが結構おもしろい。(論文などもちろん難しい箇所は何カ所かあるのだが)、エッセイや創作(「五万日の日のべ」も西光さんの創作にあることもを初めて知った。)を読むと、たとえや引用がうまく、訴える対象によって文章がかわっている。さすがにだれに何を分かってほしいかを見極めながら書いたのかなと思う。
 戦時中の思想の変遷も分かるのだが、「人間は尊敬すべき者だ」ということの実践を生涯通じて身をもってあらわした人物であることは、あらためて私などが書く必要もないだろう。 

 まずはじめに『些細たる言辞』の一部を別ページで抜粋する。『些細なる言辞』に
(結構他の本などで引用されているのでご存知の方も多いと思いますが・・)

 次に「水平社が生まれるまで」から、西光さんの人間性が出ていて私の好みの場面を一部抜粋する。


(P60より抜粋)
水平社の名、青竹の荊冠旗、そして父
(前略)
 こんなことまで、あれこれと予定しながら人々との連絡をすすめていたが、ある日、朝食をすませて一軒家へ出勤しようとすると、もはや七十歳をすぎた父が、私をよびとめて、「運動はすすんでいるか」ときくから、「すすんでいます」と答えると、「それはよい。やれるだけやれ。しかし、しばらく村をはなれて京か大阪へ出ていけ。そしてそこで運動をつづけよ。金は少しずつでもできるだけ送ってやる。ともかく今日は、これだけ持っていけ」ということである。
 私は、父が檀家の人々からせめられながらも、今日まで私をかぼうてきたことを知っているので、その金をもらい、風呂敷包み一つさげて寺を出た。私は十四歳の時からほとんど京都や東京で生活していたので、いつも出ていくことは平気だが、こうして、いわば追い出されたのは、これがはじめてであった。父の心がよくわかっているだけに、ちょっと感傷的にもなった。生涯、清貧でとおした父は、七十八歳で死ぬまでそのまずしいなかから、私のためにできるだけのことをしてくれた。そして、いつも金をくれるときにはきまって、「今日はこれだけよりないのだ。またできたらナ」という。父は私の運動費の最大の負担者であった。
父の思い出は、今でも私を幸福にする。
もう一つ、「講演 人権の日に」から
(P195より抜粋)
 そうかと思いますと、これはある地方のエスキモーですが、エスキモーの社会では、一年に何回か「友情」を買う市場が立つのです。友人としての愛情を買う市場が立つそうですな。そこへね、半年か一年間一生懸命にはたらいて、貯めたいろいろな生活の必需品、あるいは装飾品、鮭や鱒の薫製とか、貂(てん)や白狐の皮とか、トナカイや白熊の皮でつくったものやら、あるいは角や骨でつくった細工とか、いろいろな芸術品や生活必需品を、みんな半年か一年もはたらいてつくったものを、ソリにつんで市場へ行くのです。
 さてそこで、物をほしい人はね、ほめるといいのだそうです。自分の家に子どもが生まれたので、けものの毛皮がほしいときには「ああ、この銀狐の毛皮よろしいですね」といったら、「はあ、それでは」といって、その毛皮がもらえるのですね。そうしますとね、たくさんの荷物を持って行って、からっぽで帰ってくる人は、たくさんな友情を買うた人になるのだそうです。
 金はなく、売買ににたことばはあるのですが、物をわたすほうは金をもらわないでしょう。物をわたすほうが友情を買うたことになるこれは人道的会だと思いますな。おたがいに人権尊重する杜会だと思います。これは古くてもよろしいですな。
 現代社会の感覚(あくまでも私の)でいえば、「お金ももらわずに、からっぽになって帰ってくる」のは、「あー損したなー」と思うと思うのだが、「いや違うんだ!欲しい人にもらってもらって、自分は友情や幸福を買ったんだ!」と思うことの生活実践を当たり前にやっている社会があるという。
「人権を尊重することとはこういうことをいうんだよ。」といろんな例を出して話をされている。
私も講演を聞いている気分になった。(2002年8月)

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