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![]() 二日目の昼食は,広東料理のお店に入って食べた。広い店内にものすごく人も店員も多く,中には中国の学生の修学旅行か何かの団体さんもいた。居庸関長城古客桟と違い,ここの店員さんはてきぱきとよく動いている。さすがに「街に近づくと違ってくるね。」と話した。 料理の方は,何が広東なのかよく分からないのだが,日本の中華料理の味に近くなってきた感じで割とおいしくて,調子に乗ってお昼からビールを飲んでしまった。ラベルは漢字の多い「アサヒスーパードライ」だった。 このお店の1階は広いおみやげ物屋になっていて,まず入る前に七宝焼きの実演と説明をかなりの時間受けて入ったので,それが売りなのだろうが,それは高いし,重いので買わなかった。でも食堂での飲み物代が思った以上にかからず,「元を残して日本に帰っても仕方がない」と思い,家族に「どんどん元を使って買っていいよ。」と言っていた。 その通りにちいさんと息子が,要るのか要らないのか分からない小さなものをいくつか買っていた。私は自分の名前の一字を表した「切り絵」に目がいっていたが,値段も書いていないのでやめにした。たくさん言い値で買ったからか,ちいさんは店員に何か小物をプレゼントされていた。 中国のお店では,一人の店員さんに目をつけられると,なんとか買わせようと10分15分は平気でずっとついてくる。それを逃れ少し遠い展示に目をやっていると今度は第2弾の店員がやってくる。何とも商魂たくましい。しかもみんなが何とか日本語を操るのだからたいしたものである。 |
![]() トイレに行きたかったのを我慢して,バスに乗り込んだ。これがこれから2時間弱の私の苦痛の原因となった。バスは,北京市中心部に向かっているのだろう。スムーズに進んでいたのがのろのろ運転になってきた。 車の数も増えてきて,渋滞である。運転手さんが車間距離もたいしてないのに車線変更を繰り返して頑張って前に進む。でも私はトイレに行きたい。ちいさんがガイドさんに聞いてくれたが,停車はこの状態ではできないそうだ。まあできたとしてもトイレをどこでしてよいのかも分からない。「あ〜あ,調子に乗って飲んだビールが少し多かったかな。」と心の中でぶつぶつ。 やっとバスが止まる。真っ先に降りた私は,ガイドさんに聞き,あるお店に駆け込む。お店の人がさーとドアを開ける。 (行った中国のお店はどこも自動ドアではないのだが,店員が映画みたいにドアを開けるのだ。) その店員さんに「トイレは?」と聞くと,奥を指さす。 奥の店員さんにまた,「トイレは??」と聞き,ようやくバスの中の苦痛から逃れた私であった。 ![]() 「あ,ここが来る予定のお店だったのか!」とやっと気づく。ここはお茶のお店,「茶芸館」であった。 ここではまず30分ぐらい,店員さんの一人が,まあ流ちょうな日本語でいろんなお茶を手早く(こぼしこぼし,でもこれが中国流のようだ),入れて飲ませてくれる。もう水物は要らないのにと思いながらも流れで飲んでしまう。 そしてお決まりのショッピング。私はトイレを真っ先に借りた恩義があるので,実演でも紹介していた,「お湯を入れると文字が絵に変わる」というマグカップを1つ買わせていただいた。 (パンダの絵が浮き出るはずで,家に帰ってやってみるとえらく人相の悪いパンダだったので,家族で大受けした。) 実はこのマグカップは,3日目4日目に行ったお店にも置いてあって,値段は倍以上安かった。ものが違うのだと言い聞かせながらも,まあトイレ代だから仕方がない。 |
![]() ![]() 二人組になって三輪車に乗る。ちいさんと二男,私と長男が乗った。寒いだろうなと思った通り,寒くはあったが,走る前に毛布を丁寧に膝にかけてくれたので何とか我慢できた。 カメラを渡すと,写真を撮ってくれるのだが,私と長男組のは見事にピンぼけだった。ちいさん二男組はピントも合い,2枚も撮ってもらっていた。 ![]() 降りるときに漕ぎ手のおじさんがぶすっとしながら「チプワ?チプワ。」と言っていたが,「シェイシャイ!」と言って降りた。チップかな?と思ったが,必要だとは聞いていなかったので用意もしていなかったのだ。(そういえば前の三輪車の客はお札を出していたな。)ちいさん組は,請求さえされなかったそうだから幸いであった。 ![]() その人の後について入ったのは,胡同の民家である。(これも頭になかったし,実際に住んでいる家で住人もいるし,どうなのかなあと思った。が,旅行会社の方からいくらかの謝礼を渡し,了解済みのことらしい。) ![]() ガイドさんが,「質問は?」「質問してください。」と何度も言うのだが,誰も聞く用意をしていないから,そんなに出ない。私たち二人が思わず同時に「雪は降りますか?」と聞くと,北京は乾燥しているからめったに降らないと言っていた。実はみんなこの家のご主人様の様子を見るとなんだか悪いような気がしてきて,みな早く移動をしたかったのだが,ガイドさんは,しきりに「外は寒いから・・。」と家の中にいるように長引かせていた。おそらくガイドとしての予定があったのだろう。 ![]() ![]() ぐるっと歩いて市場を含む街を一周し,また歩いて今夜の食事場所である「四川飯店」へと向かった。 (胡同は主に北京市の旧城内を中心に点在する細い路地の事である。) |