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![]() 予期はしていたが、今年の夏休み・・遠くへ行けそうにない。というのも「学校週五日制」などのあおりを受けて、何と例年以上に私もつれあいも子どもも忙しくて、(まあその中では私が一番暇かも・・)旅行などに出かけようとも、日程が合わないのだ。 結局、「お盆しかないよね・・」ということなり、いろいろ調べたが、やはりべらぼうに高くて、「ん〜ん!道後でいいかなぁ・・でもここも安くないか。」と思ってまたまたインターネットで検索すると、あった。「道後プリンスホテル」の「夏得プラン」だ。大人はともかく子ども料金が、何と3000円なのだ。 さっそくメールで予約すると、翌日ぐらいにはOK!の返事があり、決定した。(実はつれ合いがPTAの役員で、小学校で行われる盆踊りの手伝いに行かなければならないということが後日分かり、1日変更させていただいた。結構丁寧な対応だった。でもホテル側は心配になったのか、4〜5日前に電話まであった。) |
![]() ![]() 尾道にちかづいて、山陽自動車道から「しまなみ海道」の案内板を確認して、一般道に降りたが、尾道の市街のなかをのろのろと通るだけで、「どこだ?しまなみは?」という感じで、少し不安になった。 ![]() 「あの!案内標識は尾道市などが観光を誘おうとしてつけたものかな?本当はもう一つ先の福山西インターで降りるのが正解だった!」ということを、車を走らせながら気がついた。 (やっぱり予習はしておくべきだった) |
![]() ![]() ここ耕三寺は、「『母の寺』として多くの人から親しまれて、初代住職・耕三寺耕三和上が御母堂の追悼のため独力で建立された浄土真宗本願寺派の寺院」(HPより)とある。 日光の絢爛豪華な日光の陽明門を再現したといわれる孝養門を見上げながらくぐり、まず「ここに入れば少しは涼しいだろうう」といいながら、「千仏洞地獄峡」に入った。 ここは、地下約15メートルのところに長さ350メートルにおよぶ隧道を掘っていて、洞窟にはあちらこちらに石仏あった。また、隧道には地獄・極楽の画図が配置され、妻が「ここはこういう地獄で、・・こういうことをしたらここへ行くんよ!」と子どもたちに言い聞かせていた。説明しにくい地獄になるとつまっていた・・。(笑い話にもなるかも知れないが、私も小さいときにこのような「地獄の絵」など何回も見た記憶がある。) 洞窟を抜けると、やはり暑い!見上げると「おー!でかい観音様じゃー。」高さ15mの救世観音さんが建っていた。 ![]() 駐車場までの道で、名物?のアイスクリームを買って、暑さで溶ける早さに負けじと食べた。でも溶けるのは早く手がべちょべちょになった。 |
![]() 名ナビゲーターの妻の指示に従って、山道を道後に向かっていく。まだ昼食をとっていなかった(午後2時は過ぎていた)ので、「この山道これよりさきに食べるところないかも?」と思い讃岐うどんのお店に入り、食べた。結構おいしかった。 愛媛ナンバーのスカイラインがずーと後ろを近づいて走っている。イヤだなあと思いながら、運転マナーは広島と変わらないなと思ったりした。 でもようやく無事!到着!道後温泉。 |
![]() ![]() さて子ども3000円の食事はどうかというと、かなりGoodだった。子どもの食べるものも多く、量もちょうどいい。味もそんなに濃くなくおいしかった。とくに鯛飯はおかわりしたいぐらいで、美味だった。ついでに高い「地ビール」もうまかった。 道後といえば温泉。いつも私たちは少なくとも3回はお湯につかる。さすがに道後という泉質だと思うし、なぜかそんなに人がいないから私はゆったりとつかることができてかなりよかった。子どもたちは、「いろんなお風呂があって、遊べる方がいい!」ということだった。もう一つ難をいえば、脱衣場とお風呂場のある階が違うという点だ。服を脱いで階段を滑らないように気をつけながら降りると、お風呂場という仕組みだ。面白いけれど脱衣場が不用心すぎるし、お年寄りなどは階段はしんどいだろうと思う。 でもここのホテル。若い兄ちゃんたちがすごく頑張っていた。この時期になぜ?という子ども餅つき大会が夜9時に行われ、2人とも並んで杵を持ってつかせてもらった。優大は「にいちゃんうまいなー。」とほめられていた。恒心はおもちを何と2回ももらって食べていた。(さっき夕食食べたばっかりなのに) |
![]() ![]() これまた少し迷いながらも、たぶん南に行くと、見えてきた、山の上にお城らしきもののある広そうな公園が。 「ここ昇るの?昇ったらまた降りるんだろ?」と私がブツブツ言いながらもついていった。子どもにとってはわりとヒットだったのではないかと思う。安くて結構スリルの味わえる遊具があったり、子どもに科学を考えさせるものがあったりと、楽しむことができた。私たちは山から一本レールのうさぎ?にのってはるかしたに降りたり、池でスワンに乗ったりした。暑いし、足も痛くなるほどの広さと勾配だった。 |
![]() 松山に戻り、「今度は松山城だ」と車を走らせるが、どこに停めたらいいのか分からず、けっきょくぐるぐると回っているうちに、時間が過ぎていき、「もう帰ろっか」ということになり、東に進み、呉阿賀行きフェリーに乗るべく、堀江港に向かった。 堀江港は、本当に阿賀港と同じぐらいの小さい規模だったが、乗る人や車は大層多かった。出発1時間ぐらい前についたのだが、正解だった。手続きをしたり、船で食べる昼食をコンビニで買ったりと時間が必要だった。 でもまだかまだかと待ってようやく出発!船の中で昼食をとり、優大は島を見て研究、恒心はで〜ンと椅子に横になりながら眠っていた。 阿賀港についた。「ここはどこか?」っていっても子どもはなかなかわからない。船からあがったら風景が違って見えるようです。ここからわが家までは約40分もう帰ったようなものだ。まだ夕方にもなっていない。「なんでそんなに早くかえるの?」「お母さんが夕方から盆踊りの仕事。」・・ほんとうにお疲れさんでした。 |