皆が「れんがの月」と呼ぶこの世界から、12歳の子供だけが行くことができる「小惑星美術館」へ遠足に行くこと・・・、それがこの世界の「掟」らしい。ママに会うこともできずに、無理矢理「小惑星美術館」に向かう船にのせられたユーリに、船長は言った。
「いつの日か、しるしを持った十二歳の子どもがやってきて、小惑星美術館の秘密を解くだろう。その時、『れんがの月』の大いなる円環は開き、新しい時が生まれる。・・・わたしは、待っていたんだ。きみのような子どもが現われるのを、何百年も」
『ノスタルギガンテス』が大人のための童話なら、この『小惑星美術館』は大人と子どものための童話だ。
疑問を持たない子どもたち、疑問を持つことを許さない世界。
時間の輪は、いつも同じようにくるくると回り続ける。ヒトが多くのことを知ってしまえば、輪途切れてしまう。途切れた輪は螺旋になって遠心力が先と先とを引き離し、宇宙の彼方まで伸び上がる。そして、二度と元の位置に戻ることはない。
だから、知ってはいけない。
ありふれたストーリーに見えて、このお話がありふれていないのは、ユーリの「帰りたい」と思うその心の強さと、それ以上に「知りたい」と思う好奇心にあるのかもしれない。好奇心はまさに「れんがの月」には存在しないものであり、それを持ち続ける限りユーリは「れんがの月」の世界で「異邦人」でいることができる。その気持ちが、ユーリに世界の謎を解く鍵を与えていく。
繰り返される「小惑星美術館」への遠足の本当の意味、何百年も生きる船長の悲しみ、そして、歴史。謎を解けば解くほど、輪に巻き込まれてしまった人々の、戻らぬ時の悲しみを、ユーリは見ることになる。
でも、ユーリや、これからの子どもたちには溢れるほどの時がある。本当の謎を解く鍵を心に持っていれば、時の流れは悲しみにはならない。これからは。
もう一人のユーリは、どんな謎を解いたのだろう。