481 Otis Redding
07/02/18
 忌野清志郎のCDのなかに『オーティスがおしえてくれた』という曲がある。その曲の中で、彼がかつて音楽を目指したころ、いかに Otis Redding というソウル歌手から影響を受けたかを語っている。オーティスレディングといえば、60年代、彗星のように現れそのすばらしくも類まれ、無比と言い切っても差し支えのないエネルギッシュな歌声とスピリット、リズムを発揮した人物。にもかかわらず、若干26歳というまさにこれからという若さで1967年、移動中の飛行機事故で逝ってしまった。

 黒人がアフリカから米国に連れてこられ、差別のなかで産み出したもの。それは音楽だった。ヨーロッパからの移民が持ち込んだメロディーとリズムを、アフリカ民族の圧倒的なリズム感と自由になりたいという『希望』の心で、まったく新しい境地の黒人音楽へと発展させた。のちにロックンロールへと発展するのだけれど、いわゆるブギウギのリズムは白人が欧州から持ち込んだピアノをはじくうち、確立されたといわれている。米国のカントリーやハワイアンの音律にもその名残を見つけることができる。

 黒人音楽を育んだのは言うまでもなく日曜日に許された協会での礼拝。そこで歌われる賛美歌はスピリチュアル(霊歌)という黒人音楽の基礎を築く場所であったといわれる。ブルースはそれに比べると下世話なものとして発展。霊歌はそのままゴスペルへとつながり、奴隷解放後その精神が受け継がれ、ソウル音楽へと発展してゆくのだった。そんな中、オーティスレディングは黒人音楽が白人の間でゆるぎないジャンルとして定着した時代の、まさに真っ只中のソウル歌手だったといえる。

 オーティスが死の直前発表した曲として『The Dock of the Bay』というのがある。それは彼の訃報ともあいまって大ヒットとなったけれど、それまでの激情を込めた歌とロックンロールのリズムとはまったくかけ離れた曲だった。ぼくなぞはその曲で初めてオーティスを知ったほどという情けなさだった。

 「自分はジョージアを出て以来、生きる希望もなく、あちこちさまよい続けた。そして今、この港にたどり着き桟橋に座っている。朝から出船入船をながめつつ、一日中時間をつぶし、寄せて返す波をただ見ている。今までで何も変わってもいない。人がなんと言おうと自分はただ変わらずこのままでかわらない。」なんともいえぬ寂寞とした孤独の中、静かな、にもかかわらず秘めたる自らの意志というか精神を確認しているような気がする。けれど、ソウル音楽は時代に流され、その後ファンキーなダンス音楽と化し、ディスコだ挙句ラップというような、心よりリズムが優先される音楽へと成り果ててゆく。

 オーティスの歌声には『激情』と、なんといっても『誠実』という言葉が連想される。自らの死を予感してなのか、またはソウルという希望の音楽の行く末を思ってなのか『The Dock of the Bay』はなんとも言いようのない曲。あるいはオーティスはこの曲を自らのレクイエムとして、彼自身に捧げたのかもしれない。
Otis Redding 公式サイト
The Dock of the Bay が聴けます


482 深夜の社交場
07/02/22


 海はいのちの源、母なる海と言われる。だからというわけでもないけれど、まだシーズンには程遠い潮干狩りに出かけたのだった。とはいえ、まだ昼間より夜の潮のほうがずっと引くというので、なんと夜のしかも22時の出漁とあいなった。今回の潮干狩りの案内役は釣りの友某氏。

 当然のことながら着いてみると夜中のシーサイド。気付いてみるとあちらにもこちらにも懐中電灯の明かりがともされ、なにやらかがみこんで作業の様子。まさにアサリ採りの真っ最中なのでした。水面を吹きすさぶ寒風を背に黙々と作業中のひとびとはぼくらを入れて10名以上。このあたりは岩や石の多い浜なので、それらの瓦礫をあっちのほうへ取り除きつつ、その場をほじくり返すうちまずまずのアサリが発掘され退屈することがない。

 とにかく掘るという作業と獲得するという満足の充足のふたつの楽しみが得られるとあって、ぼくの連れ合いも張り切っての参加。それにしてもはっきり申し上げて尋常とはいえない真夜中の潮干狩り。けっこうな人出なのには少々あきれたしまうことしばし。

 あたりを掘り進むうち、おとなりで作業中の方に声をかける。どうやらご常連の様子。そのうちに、ここは大潮の夜の社交場なのだと気が付いた。各氏淑女、夜な夜な出かけて不道徳千万と思いきや、なんとかくも明朗なる人と人とのふれあいの場なのではありました。しかし、一心不乱に『掘る』という行為の継続なくして、暖冬とはいえこの吹きさらしの浜でしゃがみこんでいるのはちょとつらい。

 それでも2時間以上の作業の結果、さすがに昼間の仕事の疲れも手伝って「もうけっこう」とばかり、ぼくらはお互いに撤収を確認しあうのだった。時刻はすでに午前零時をまわり翌日の日付。「さああがろう」というぼくらを尻目に、その他10名弱のご常連の方々、まだまだそれどころではないと言わんばかりの作業続行。まったくもって感服のひとこと。それにしても団欒でテレビにコタツという設定ではとうてい味わえない充足感が、この海辺の社交場には漂い満ちるのだった。

 やがてこの海辺も昼間のほうがよく引く潮となってくれば、この何倍もの人たちが春の風物詩とばかり、潮干狩りに訪れることになろうというもの。「今年のアサリはまあまあだとか、去年よりいいようだ」なぞとお互い納得しあうのかもしれない。にもかかわらず実はこうして、シーズンのずっと前から(年の瀬にも)、すでに夜な夜な人々により大方の岩がひっくり返された挙句なのだと納得するする諸兄も少なかろう。「シーズンが始まったらいち早く」という、われこそ一番乗りという気合があるのかどうか知らないけれど、いえいえ、もうとっくのむかしにこの辺り、掘り尽くされたあとなのです。

 岩場ということもあり、料金をとられることのない漁場。しかも過酷な条件のアサリならではの肉厚美味。どうやら魚市に高値で卸しているという半分プロみたいな方も御座るといううわさ。まったく感服いたし候。


483 かもめ食堂
07/03/01


 映画『かもめ食堂』を観た。すきっとして気力があふれ、食をとおして人と人とはなにか、しあわせとは何かを教えてくれるすばらしい映画。

 日本ではなく、なぜかフィンランド、ヘルシンキで日本風食堂を始めた女性サチエがいる。小柄でおとなだか子供だかわからない東洋人が、いったいどんなメニューを出しているやらさっぱりわからない。開店一ヶ月で最初に訪れた日本かぶれの青年には、記念すべき最初のお客ということでコーヒーはずっと只にしてしまうし、これでは商売にならない。でもサチエはめげずにしゃんとしてお客を待ち続けるのだった。

 そこになにか訳ありでフィンランドへ来、観光に興味があるわけでもなく、何をしてよいやらというわけでかもめ食堂を手伝うことになる二人の日本人が加わるのだった。

 かもめ食堂は鮭、梅干、おかかのおにぎりがメインメニューというのだけれど、それを『売り』にしたところで異国でお客にすんなり受け入れられるわけでもない。というわけでもないけれど、気分を変えてシナモンロールなんかも焼いてみると、そのかぐわしき香りに誘われたまらずに、とうとう近所のご婦人たちがお客様の名乗りを挙げるのだった。客が客を呼ぶというけれど、その後ぽつりぽつりと客足が伸びてゆくかもめ食堂。

 豚肉のしょうが焼、かしわのから揚げ、とんかつ、鮭の網焼きなどの日本風定食やら、フィンランド人におなじみの献立までいろいろ。そしておにぎり。でも手際よく作られるそれらの食事はこころがこもっていておいしく、来店するお客ひとりひとりをしあわせでみたす。

 ぼくもときどき一人だけで食事をすることがある。ご飯を炊く。みそ汁を作る。でもそれ以上ほかのおかずを自分で自分のために作るとなると面倒で、せいぜい糸引納豆でもあればじゅうぶんという気にもなってしまう。

 自分のために作る食事なら、自分の好きなものを好みの調理で味付けで。それで旨いはずなのに、お世辞にもたいしたことない。だから奮発しておかずを作る気にもならない。それこそ一汁一菜の健康食なのかもしれないけれど、いかんせん、それを一人さびしくいただくぼくはといえば楽しくもなんともない。そそくさとご飯とみそ汁をかっ込み、ごちそうさん。なのに食堂では、たとえ一人で食べたとしても、ちゃんとそれをちがう誰かが作ってくれている。手際よくていねいに、喜んでほしいと心を込めて。

 『食』とは何だろう。決しておなかを膨らすためじゃない。グルメを満たすためでもない。健康に生きるため。もしかすると、人はしあわせになりたくて食堂へゆくのではなかろうか。それだけでも十分なのに、それがおいしかったらさらにしあわせ。

 漬物の道長は『かもめ食堂』ではないけれど、やっぱりおいしいく食べていただき、そして健康になってほしいと思う。いくら高級な食材でも、いくら安全な素材が使われていても、こころがなければちっともおいしくない、健康的でもない。あたりまえに信頼され、こんどはあの漬物も買ってみようかなと思ってもらえる。それが作り手の道長のよろこびでもあり、しあわせなのではないかしら。

 それとなんといっても、だれかに作ってもらって食べるのってほんと、おいしいんだよね。

484 遺伝子組み換えナタネ その後
07/03/15


昨年11月末、総勢50名以上の市民の力を結集し、四日市港から津市までの国道23号沿線のセイヨウナタネ抜取作作業を行いました。名付けて『遺伝子組み換えナタネ抜取り隊』。その結果、40kg以上のセイヨウナタネを回収、処分することができました。といってもこういった駆除作戦は1ヶ月以上の間隔をおかず、定期的に行わない限り効果をあげることはむつかしい。相手は雑草性の高い植物で、温暖な日本では容易に成育し、開花結実し、世代交代を繰り返すからです。

『遺伝子組み換え食品を考える中部の会』では、日本有機農業研究会の第35回全国大会の準備委員会が多忙を極めたため、ナタネの抜取り活動を行うことができませんでした。

その全国大会を間近に控え、去る3/7、そろそろおとずれるナタネのシーズンを前に、現状を見極めるのとできる限りの抜取り作業をということで、12名と少数ながら決行しました。その結果、今回もかなりの高確率で除草剤ラウンドアップとバスタ耐性の2種類のGMナタネの自生を確認しました。ただし、例年とは違う状況が確認され、私たちの活動にも希望の一面が見られました。

以外な状況を目の当たりに
例年ならこの時期、野生のナタネやセイヨウカラシナ、さらにはこぼれ落ちのセイヨウナタネで花盛りの国道23号線一帯。そんな季節の中、現地を訪れた私たちの心配は以外にも拭い去られたのでした。四日市港第2埠頭でも関係者による徹底的な除草作業の結果からか、問題となるようなセイヨウナタネの自生は見られませんでした。埠頭から国道23号に至る国道164号線でも、セイヨウナタネの目立った自生は見られませんでした。ただし国道23号沿線の中央分離帯では相変わらずセイヨウナタネが点々と自生しているのが確認されました。この部分の抜取り作業は、市民レベルでの行動では危険が伴うため行えません。何らかの措置が望まれるところです。

内部川の河川敷では
昨年、一昨年の春、私たちが内部川に架かる塩浜大橋下の河川敷を訪れたときには、一面セイヨウカラシナの見事な花畑が広がっていました。その中にセイヨウナタネの自生が確認され、自然界での交雑はこういう場所で起こるのかもしれないと懸念したものです。

しかしながら、おどろいたことに内部川河川敷は、今回すでに一帯の除草作業が完了されていたのです。昨年11月、この場所を管理する国土交通省の三重河川国道事務所に対し、春のカラシナ開花前の除草を依頼しました。しかしながら回答は「草刈除草は晩秋の火災防止のための1回に限る」というもの。経費が削減されている中、春の除草は無理とのことでした。そんな回答にもかかわらず今回の措置は、セイヨウナタネとカラシナの交雑を防ぐ意味で大変意義深いものであったと確信します。

先回の『抜取り隊』で実行できなかった箇所に、近鉄磯山・千里駅間の鉄道敷地内のセイヨウナタネの群落がありました。ここはR23と接近しており、輸送途中でこぼれ落ちたナタネ種子が自生したと思われます。しかも年を重ねて大きな群落となっていました。鉄道の敷地内ということで危険も伴いましたが、それを野放しにしておくわけにゆかず、思い切ってすべて撤去しました。その中には茎の直径5.5cmに及ぶものもあり、あらためてセイヨウナタネの雑草性に驚かされました。この地点については、世代交代のための種子が放出されているため、ここしばらくの追跡調査が必要です。

今回の調査から
一見して私たち『遺伝子組み換え食品を考える中部の会』や関連の製油会社、港の荷役会社などの努力が実を結んでいるかのような実感もします。しかしながら、反面セイヨウナタネの固体減少の影には、なんとなくその背後に大きな力がはたらいているのかもしれないという予感がしてしまうのはぼくだけでしょうか。

昨年、茨城県鹿島港でのセイヨウナタネの減少の事実が農水省のHPで紹介されました。そこではセイヨウナタネの世代交代による拡散の可能性が否定されており、セイヨウナタネの抑制が市民レベルによる努力の結果であるという行(くだり)は一箇所もありませんでした。

もしかすると、この夏までになされるであろう農水省のHPでの発表で、四日市周辺でのセイヨウナタネも減少の一途、という表現で済まされ、GMナタネ拡散の心配なしという結論に結びつけられてしまうのかもしれません。それには「無礼千万」といわざるをえませんが、せめて07年3/14の今日、以上のような記述がなされていたという事実をここに明記しておきたいと考えます。

今回の『遺伝子組み換え食品を考える中部の会』による調査で確認できたこと、それは国にとってもセイヨウナタネのこぼれ落ち自生と拡散は、ぜひとも防がなければならない問題であることの『証(あかし)』ではないでしょうか。どこかに官民の見えざる『正』のつながりがあるとすれば、それにかすかな期待を抱きつつ、地道な活動を続けてゆくべきなのだと確信します。

今回の調査の結果から
22箇所、28グループ96検体のうち、12のグループでラウンドアップ耐性、14グループでバスタ耐性のGMナタネを確認しました。うち4グループで両方の形質のものが混在していることがわかりました。これはあくまでも検査の結果で、実際の確率とは無関係です。

ただし、過去のデータから判断すると、昨年11/25の抜取り隊と今回では、それより過去においてのラウンドアップ耐性GMナタネの高確率性に対し、バスタ耐性GMナタネの確率が逆転して高くなっている点が気になります。

今のところ、このデータについてどう判断してよいかむつかしいところですが、とりあえず今後の調査の結果に注目してゆきたいと考えます。

詳細はこちらをごらんください

近鉄磯山・千里駅間の鉄道敷地内


485 彼岸花の葉
06/03/21


 暖冬のせいでわけのわからないうちに土筆が出、やがてお彼岸というのに今度は寒のもどり。お彼岸といえば田んぼの畦や畑の隅に忽然と赤い花を開かせる彼岸花。彼岸花はいったいどこから芽を出すんだろうと昨年まで不思議に思っていたもの。ところがどっこい、ぼくにもひとつ余分に知恵がつき、彼岸花の咲く場所がわかるようになりましたとひとりながらに得意気。といってもだからといって彼岸花、春の彼岸にも咲くと思ったら大まちがい(ひょっとして誰でも知ってましたっけ)。

 秋の彼岸のころ花を咲かせ、そのまま姿を消したかと思うと実はその後から濃い緑色の細長で先のまるい水々しい葉をゆたかに茂らせる。これも緑の草が希少となる冬にはけっこう目立つ。その緑がかえって冬の寒さを感じさせるのもまたちょっと不思議。

 これは去年はじめて知ったのでまだ見届けていないのだけれど、春になるとあの力強い緑の葉は枯れ、じつはその下にちゃんと球根を宿しながら、彼岸花はそれこそ跡形もなく消えてしまう。その後世界は春盛りとなり、あたり一面生命の息吹で満ち溢れる。そのうちむせ返るように夏草が生い茂り、いったいそこに彼岸花が存在していたなんてすっかり忘れられてしまうから、その神秘性は秋口になって突然としてあらわになる。

 秋、彼岸のころ、百姓はきまって草刈をする。それは肝心な稲刈りという神聖な儀式をあたり一面、すっきり清めてそののち迎えたいという気持ちの表れなのかもしれない。するとやがて今秋も忽然と姿をあらわす真紅の彼岸花。これでますます秋の収穫のころは神秘性というか宗教性のような感覚を人々の心に呼び起こす。

 もしかすると彼岸花の燃えるような赤は、これから秋が来、冬の到来を告げるという、この世界に息づくすべての生物たちへの無言の告知なのかもしれない。

 歴史的にもいつごろ日本に伝わった植物なのかもはっきりしない。花は咲かせても、球根の株分けでしか世代を増やすことのない植物。なのになぜか人里の田畑の際や道端に毎秋ちゃんと咲く彼岸花。なんとなく人々の営みに深くかかわって存在しているような気がするもの。

 人は彼岸花を『不吉』といいながらも、決してそれを根絶やしにしたりしない。秋分のころ、その花が忽然とあらわれるのをどこか心待ちにする。そして『不吉』といいながら、先に逝ったなつかしい者たちを偲ぶ。

 彼岸花は陽があまりあたらなくても育つからかなんとなく暗い感じがしてしまう。それも『不吉』につながるゆえんかもしれない。でもあの花が呼び起こす過ぎ去った人たちへの思いは、けっして暗いものばかりではないと思う。それとも人が過去の親しかった人たちを思うとは、ちょっと薄暗い気持ちというか落ち着いて穏やかな心に映すことなのかもしれない。なんとなく自分も『そっち』の世界に行ってしまうような、この世とあの世の境がなくなってしまうような、彼岸花はそんな気持ちを起こさせる花なのかもしれない。

 とにかく、今ここに蒼々としている彼岸花の葉。ちゃんとこの目に焼き付けておこう。真紅の秋の開花まで。

もう枯れ始めてた彼岸花の葉


486 タイ式太陽熱乾燥機道長版
07/03/30


 真夏の日差しがあれば、梅干しの樽からとりだした赤しそを干しあげてゆかりを作るのにさほどの苦労はないのだけれど、品切れ間近ともなれば寒い季節にも天日干しをしないといけない。敷地内に広い場所がないため、冬でも高温になるビニールハウスを建てるわけにもゆかない。そこで苦心惨憺して製作したのが、コンパクト天日乾燥器。狭い場所でも恵高きお天道様がお出ましくださるだけで、乾燥作業ができてしまう・・といいなというもの。

 一見、実用新案といえそうな代物だけれど、これにはお手本となるものがある。2年ちょっと前タイ国東北地方へ行った折、薬草を天日干しするための乾燥器をめざとく発見、写真に撮って帰ってきたのだった。

 以前、いろんなことをしてゆかりの乾燥をしたことがある。電子レンジで試してみたり、電気で動く布団乾燥機を使ってみたりしたけれど、エネルギーばかり消費するわ、電磁波の嵐だわでなんとなく道理にそぐわないというか健康的とはいえない。結局は天日干ししかありえないと、冬の日和をたよりに効率の悪い作業。

 今回試作した『タイ式天日乾燥器道長版』の概略。約60センチ四方の梅干し用すのこを等間隔に9段ほどたてに積み、その周りを透明ビニールシートで囲う。これだけでは能がないというので、タイ国仕込みのすばらしい発案採用。すのこを積み上げたその下方にお天道様の照る方向に斜めにソーラーパネルを出し、そこで集めたあったかな空気をビニールシートで囲った温室箱に導入。さらにその熱気は温室箱を上昇し、天辺の隙間から排出されるという仕組み。常に熱気が流通し、湿った赤しそが自然に天日乾燥するのであろうという、非常に高度な知性と苦心の発明品。

 『必要は発明の母』というけれど、あんなに常夏のタイ国に生まれてさえ、こんなものが必要なのだろうかと考えてしまう。そういえば日本とおなじ時期におとずれる雨季には、毎夕きまってバケツをひっくり返すような雨が降るとのこと。そんな時期、かくなる『天日乾燥器』は日本以上に必需品なのかもしれない。はっきりいってそれをヤソトーンの片田舎で見つけたときには、ぼくの目と心は完全に釘付けになった。ぜひ画像に記録というわけでカメラに収めて帰ってきた。

 タイ製の乾燥器にはなかった工夫を、道長版ではソーラーパネルの部分にさりげなく施したのだった。種を明かせば「なーんだ、そんなもん」と笑い飛ばされるのが落ちなのでここでは伏せておくとして、とにかくその工夫のおかげでソーラーパネルをちょっと小ぶりにできた(と本人は思っているが・・・)。

 明日は天気にならないかな、と仕事の合間にちょっとづつの大工仕事は1週間にもおよび、ほとほと体力を使い果たす始末。肝心な木材の組み合わせのためのホゾのノコギリ引きの重労働はなるべく息子にさせたので、さほどの疲れでもなかろうと思うのだけれど、いやいやさにあらんなぜかしらくたくた。

 最初から完成できるとは思えないけれど、なんとか上々の成果とならないかしら。
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487 デカップリング(直接支払い)
07/04/15



デカップリングという単語の意味はといえば『分離』『切り離す』というようなもの。Deとは、それに続く名詞や動詞の意味を否定したり、反対の意味にするはたらきのある接頭辞。それがcouplingという『二つのものがひとつになった状態』のものを分離する。

この言葉はいろいろな方面で使われています。たとえば電子回路、経済、在庫管理などなど。では農業政策でこの語が使われる場合、何と何を分離するというのでしょう。

農業を保護するため、米や麦、大豆などに補助金が上乗せされたりします。その年の天気任せの作柄を保障するのと、安い価格で輸入される農産物に対してその差額を補填する目的で支払われる。しかしながら、補助金が降りるからといって農産物が過剰に生産されてしまっても、今度は在庫ばかりが増えてしまう。それではいけないというわけで、その補助金を取り払ってしまったり、作付面積を削減して転作作物を奨励したりする。そして転作作物にも補助金が上乗せされる。かといって安易に転作していい加減な作物を過剰に作られてしまっても困る。

ではどうしたら農業を保護することができるのか、という問題に対する政策として『デカップリング(直接支払い)』という方法がとられるようになる。

欧州では『デカップリング』という政策をとることで、生産調整のための休耕保障、環境を保全する農業への試行に対する補助というかたちに転換するようになってきました。作物の価格を補填する方策とは『切り離して』農家の利益を保障することになった。デカップリングという語はそんな意味で使われています。

『デカップリング』を日本語として置き換えるとき、農産物の価格を補填する間接的な利益保障に対して、直接給与保障するという意味から『直接支払い』という言い方をしています。

直接支払いの目的
日本の農業で大きく問題となっている事柄に、中山間地での農業の衰退と、平野部での新しい農業の担い手不足という点が挙げられています。機械化や新しい農法についてゆけない中山間地では、農地が放棄されたり荒廃し、高齢化し、ますます農業をしにくい状況に陥ってしまっている。それに対して効率的に農業ができる平野部では経済性を追求することで、安い農産物を大量に生産することが望まれる。

現在大きく分けて以上二つの目的に対して『直接支払い』をしようということに、日本の農業政策が転換されつつあります。典型的なかたちとして次のような政策があるそうです。

中山間地域等直接支払制度
中山間地では効率的な農業がしにくい反面、自然環境そのものの保全と、たとえば川でいえばその下流域に対しその恩恵を与えるという意義があります。また中山間地域の進みつつある荒廃を食い止めようという目的で農産物に対してでなく、環境保全や地域農業の活性化のための活動(労働)に対し、利益保障をしようというものです。棚田を維持するための活動、獣害対策、林野の保全など。

品目横断的経営安定対策
なんとなく意味のわからない表現です(英訳では non-product-specific :品目を特定しない)。今年から施行されます。今までは特定の品目ごとについて補助金が支払われていましたがそれを取りやめ、農作物も含めて農家の経営全体について補助をしようというもの。ただし、農業規模が基準以上の農家に対して支払われるため、商業目的の低い小規模の農家にはメリットは無くなります。平野部での担い手を応援促進しようというものですが、農業に大きな投資のできる農家に補助が集中するため、兼業農家などには農業を続ける意義が薄れてしまい、ますます大きな農家に農業が集約されてゆく結果となります。結果的に農家は減ってゆくことになります。

農地・水・環境保全向上対策
以上ふたつの政策の二面を併せ持った政策といえます。これも本年から実質的に施行されます。この政策には『1階』と『2階』の二つの目的に別れていて、前者には環境の保全、柔害対策などを、『2階』には直接農業に関係した活動を対象としています。『品目横断的・・ 』が個人の農家が対象だったのに対し、こちらは生産グループなどを含め、地域での農業への取り組みが対象となっています。どちらかといえば、平野部から中山間地までの地域が対象となる政策と言えるかもしれません。非常に微妙なところがあります。

日本の農業は以上のような政策が示すとおり、大きく変換しつつあります。果たしてこの方法が日本の農業を守る結果となりうるのか、食料自給率が4割を切っている現実を改善できるのか、いささか疑問が残ります。選択肢ではそうなってしまうという状況もあるかもしれませんが、わたしたちの日本の食と自然環境への意識自体も問い直さなければならない一面もあるわけです。国にとっても試行錯誤の政策というのが当面の現状ということになりそうです。

棚田の保存から柔害対策まで、山間地での農業を含めた環境保全も・・


488 厩(うまや)火事
07/04/15


 今はなき古今亭志ん生の長男で金原亭馬生(やはり今はなき)というすばらしい落語家がいた(そのまた弟志ん朝も・・)。その得意な噺の中で『厩火事』というのがある。髪結い(床屋)の女房ばかりに働かせて、自分はのらくら酒を飲んで遊んで暮らしている男がいる。当の髪結いの女房はというと『いい女』とはちょっと程遠く、頭の血の巡りもちょっと悪いところがあるのだけれどとてもはたらきもの。今日もまた、他愛のないことで亭主とけんかをし「いったい亭主はあたしのことを大事に思っているんでしょうか」と大家さんのところに悩み事の相談をしにやってくるのだった。

 「そんなに毎日けんかばかりしているんなら、あんなぐうたら男とはきれいさっぱり別れてしまえ」と女の悩みに止めを刺すべく判決を言い渡せば、「それは言い過ぎで、ほんとは亭主にももっといいところがある」なぞと今度は連れ合いの弁護にまわる始末。「いったいどうなってるんだい」と大家さん。

 「亭主の本意を試すのはよくないが、試してごらん」と切り出す大家。むかし唐(もろこし)の時代、孔子が留守の間に家来の不手際で、大切に可愛がっていた『白馬』を火事で死なせてしまった。てっきり主人に小言を言われると思っていたら、白馬のことは一言も聞きたださず、家来たちの安否を心配したという。

 さらに大家。それとは逆に世の中の信用を失ってしまった、ある江戸は麹町の大家の武士の話を例に出す。客に自慢の瀬戸物を見せたあと、それを片すため、奥方が重ねた皿を運ぼうとしたが、階段を踏み外して転んでしまった。そのとき、奥方よりも皿の心配ばかりしたおかげで離縁をされ、それからの余生をさびしく暮らした。

 女を聞きただしてみると実は亭主、古い茶碗を集めている。「ならばおまえ、ぬか漬のカメを収納している床下収納庫のゆるんだ木ぶたを踏み外して転んだ振りをして大切な茶碗を割ってしまえ」。そうして亭主を試してみろと切り出すのだった。

 はたして亭主は『唐(もろこし)』なのか『麹町』なのか興味津々の一芝居の幕が切って落とされる。髪結いの仕事を済ませ、亭主の待つ借家に帰った女。おもむろに床下のぬか漬を取り出し、普段は使わない亭主の大切な茶碗に「漬物を盛り付けましょう」。おーとっと。ゆるんだ床板に足を踏み外し・・・、パリーンと、あーあ割れちゃいました。「そーら言わんこっちゃない」。大慌ての髪結いの亭主。

 そのときの亭主のせりふ。「おい、大丈夫か。怪我はないか」。なんと亭主は割れた茶碗より、髪結いの愛妻?の安否を伺うのだった。でも最後の亭主のせりふで女房、何がなんだかわからなくなってしまうのだった。

 「お前さん、そんなに私の身体が大事かい?」「あったりめぇじゃねえか。おめえに怪我でもされてみねぇな。明日から遊んでて酒は飲めねえ」。うーん。

 そういえば家でも、お父さん、それ以上無理しちゃ駄目よ。だって倒れられたら、明日から仕事にならなくなっちゃうわ。うーん、やっぱり家でもそうだったのか。


489 原風景
07/04/24


 世の中の景色はいろいろな事情で変わって行くのは仕方ないけれど、それがたとえばぼくがむかしドジョウやコブナ、メダカ、真っ赤なハサミのザリガニなんかを探したりつかまえたりして、どろんこになって遊びまわったあの小川や沼地だったりすれば、複雑な気持ちにもなってしまう。ぼくの岡崎の家の近くにもそんな楽しい遊び場はいくらでもあったもの。子供たちにはたまらない魅力、水棲生物の宝庫。一年中水の干上がらない沼地の田んぼ。

 その後時代は下り、生活雑排水などの影響もあり、すっかり汚れ切りただの草ぼうぼうの荒地になりはててしまっていた。元通りの生物の宝庫に再生することができるわけでもなく、そのままではまったく経済効果のない土地だから、埋め立て整地で宅地に転換という選択肢はむしろ仕方のないことなのかもしれない。先日家に帰ってそこを通りかかってはみたものの、変わり果てたぼくの思い出にさびしい気持ちになってしまったのだった。

 小学校のころだったかしら。その沼地を土手で隔てて、これまたたいそう汚い通称『どぶ川』があった。それでいてフナやザリガニなど、子供たちの心をくすぐるに足る水生動物の宝庫でもあったのだった。汚いから絶対入るなと禁止令の『どぶ川』だけれど、田んぼやレンコン畑のあるその沼地はその限りではなかった。

 『どぶ川』とつながっていた魅力の沼地、そのころの記憶をそのままたどるとき、なにか得体の知れない大きなものが潜んでいたのかもしれないなぞと納得もしてしまう。実際に夜な夜なそのあたりを通るとき(たぶんウシガエル)不気味な鳴き声を聞いたり、ガサゴソなにかがいそうな気配を感じたりして、思わず小走りに通り過ぎたもの。今より確実に小さかったぼくにとって、それらもろもろの物事はそれほどにかなりの大事だった。

 その当時はクロメダカのほうが貴重な昨今とはちがい、ヒメダカ(アルピノーとはちょっと違う)さえめったにお目にかかれない代物だった。ある日いつものように、あの沼地で魚とりをしていたぼくだった。水の中の何か動くものを追いかけていたぼくの目に、ヒメダカともちょっとちがう色の白っぽいメダカが目にとまったのだった。いつもの魚獲りの手網なので網の目が大きすぎ、これではとても小さなメダカなどつかまえられるはずもない。とはいえ、駄目でもともと、メダカの群れの中の白っぽい特別なメダカめがけて手網を振り下ろしたのだった。

 さきほどまでのどかだった畦道の横の水路は一瞬にして黒々と汚濁し、どこに何がいるのかさっぱりわからなくなってしまった。思ったとおり、白いメダカどころか他のメダカの群れさえ散ってしまったのか、水から引き上げたぼくの手には、むなしくも泥の重みで垂れ下がった手網だけ。生命反応といえば、なにやらうごめくトンボのヤゴだけ。その場面に、ぼくのほかにだれか他の子供がいたかどうか何も覚えていない。あの時以来、ぼくは二度と白い色のメダカに出あうことはなかったと記憶している。あのまばゆい春の日の田んぼの畦の水路でのできごと。

 今となってはこじんまりとした埋立て造成地でも、あれはぼくにとっての原体験というのか、原風景だったのかもしれない。あの時、ぼくの心臓は大きく脈打ち、頭の中までその音がズキンズキンと響いているのだった。


アルピノ(白子)の場合、目は赤色。ヒメダカはそれを人為的に改良固定したものといわれている(趣味のメダカHPより)


490 遺伝子組み換え添加物
07/05/02


先回も触れましたが、現在日本で承認されている遺伝子組み換え(GM)食品は農作物が7種類(77品種)、添加物が6種類(14品目)ということになっています。GM農作物については私たちにも馴染みのあるものがほとんどですが、添加物となるとなにかわけのわからない感じのものばかりです。

遺伝子組み換え添加物
現在(07年4月)承認されているのは、α−アミラーゼ、キモシン、プルラナーゼ、リパーゼ、リボフラビン、グルコアミラーゼというもの。
α−アミラーゼ
デンプンを糖に分解する酵素。オリゴ糖やデキストリンなどの液糖、パンなどの製造に利用されます。

キモシン
レンネットなどとも呼ばれるたんぱく質分解酵素で、チーズの製造に利用される。ただし子牛の胃からしか取り出されれないため長年貴重品とされていましたが、カビの一種から生産されるようになっている。そして、GMキモシンはGM酵母が由来のようです。

プルラナーゼ
デンプンを糖化する酵素で、これもGM酵母が由来しているようです。清酒などアルコールの製造にも利用できる。

リパーゼ
脂質のエステル結合を加水分解する酵素とのことですが意味がわかりません。これもGM酵母由来のようです。乳化剤などに利用されるようです。

リボフラビン
別名ビタミンB2とも呼ばれる。黄色系の着色料として利用されます。ただし栄養強化の目的で利用される場合には物質名の表示義務はありません。枯草菌(納豆菌もその一種)由来。堆肥の発酵には欠かせないのが枯草菌だそうです。

グルコアミラーゼ
デンプンを糖化するはたらきのある酵素。GM酵母が由来。アルコールの製造に使われるようです。

いずれも現在GM酵母などを利用して、大量に製造できるようになってきているそうです。とはいえ、これらの添加物について『遺伝子組み換え』という表示の義務はありません。結果として、由来となっているGM微生物の痕跡が残らないことになっているというのがその理由です。

厚生労働省・農林水産省に聞いてみました
GM微生物由来の添加物、またはそれが使われている食品が日本に輸入されているとは思われるが、日本国内では今のところGM添加物は生産されていないとのこと。ただしその事実を確認するため、厚労省、農水省の各担当部課に問い合わせましたが、散々あちこちたらい回しにされた挙句(またさっきの課にもどされたり)、やっとのことでその回答を引き出せたというのが事実です。それほどに安全性審査をしたことはしたけれど、その後のことは知りませんという態度にはおどろいてしまいます。こんなことで危機管理は大丈夫なんでしょうか。ただし、日本でも医療の分野ではたくさんの組み換え生物を利用した医薬品が出回っているし、その技術を使った医薬品が製造されています(医療ではもうあたりまえ)。

現代でいう『発酵技術』とはもう発酵ではなくて、酵素による分解であり、製造工程によっては酵母菌の存在がなくても可能ということ。結果的に糖やアルコール、みそや漬物ができればよいという、合理性と経済性のみの追求ということです。そこには消費者には知らされない灰色な部分が多すぎる。

メーカーによる経済性や効率性だけを追求する姿勢は、本来食品の製造ではあたりまえの基本さえ二の次にしてしまうということにもなりかねません。多くの多国籍バイテク企業のなかには、安全性よりも経済性を優先しているとしか思えないものもあります。

GM農作物とのちがい
GM微生物の特徴はといえば、いうまでもなく『目に見えない』という点です。また農作物が野外で人の目に付く場所で栽培されるのに対し、GM微生物は企業の工場のような『密室』の中で応用される点が、さらにGM添加物にグレーな印象を与えています。生きたままのGM微生物が環境に放出されてしまったとしても、第三者にはわかりません。

第一種と第二種使用
GM農作物を屋外のほ場で拡散防止の措置なしで栽培する場合は、農水省・環境省の大臣の認証を受ける必要がありますが(第一種使用等)、実験室や工場のような閉鎖された施設内で使用する場合(第二種使用等)、外の環境に出ることのないような措置をとる義務がある、ということになっています。ですから当然のこと、そのための申請を関係省庁にし、審査を受け、許可を得なければなりません。

しかしながら現在のような不完全なGM表示制度の下では、実際にGM添加物が使われているかどうかはわかりません。わたしたちの『GM食品はいらない』という明確な意思表示をし続けることが、メーカーなどの消費者をあざむくような心ない行為を食い止める最低限の方法なのかもしれません。

道長では厚生労働省に対し、さらに厳格なGM表示制度を要求するための署名運動に参加しています。

この署名は厚生労働省に提出されます。
(今回の署名では、第二種使用等における表示についての要求はしていません)