ご は ん


 50歳を越えてこの歳になってくると、食べるということについてやはり何か自覚というか、納得するところができてきた気がする。どういうことかというと、「やっぱり日本の食べ物がいい」。

 日本食といえば、なにか質素な感じがするもの。朝はごはんとみそ汁、糸引納豆と漬物。昼はごはんとみそ汁、前の晩のおかずの残りと焼き魚、漬物。夜はごはんと冬ならあったかに煮た鍋物。季節の魚や野菜、漬物。といった具合。まったくあまり代わり映えしないというのか、でも四季の産物がそれに加わればがぜん色彩も鮮やかに、風味も折々で味わい深い。

 音羽の秋の味覚といえば、新米、栗、柿・・。柿といえば、今年は鈴なりともいえるほどの豊作。道長の作業所も借家も、採りきれないほどの柿。これだけ柿があるなら、何かおいしい食べ方でもあるのかしらん。と思うのだけれど、やっぱりそのまま食べている。朝昼晩と柿。柿。柿。まったく柿づくしで、柿を丸のままかじるか、切るかの違いだけなのだけれど、やっぱり柿はおいしい。柿を食べている間に、秋は深まり冬へ。

 柿のことはさておき、やっぱり日本食といえばむかしから『一汁一菜』といわれる簡素なかたち。『ごはん』と『みそ汁』、そして『漬物』。っと基本はこれだけ。あとは季節のものづくし。

 もともと日本の文化には肉を食べるという機会は非常に少なく、あるとすれば海からの幸として、魚貝類、まれに鯨。馬肉にしろ、牛、豚などの家畜を太らせて食べるという習慣はない。もっぱら動物性タンパクは、自然からの恵みとしてあった程度といってよい。仏教の影響もあったのだろうけれど、肉を食べなくとも体力を維持できるだけのごはんのパワー。そして明確にめぐる春夏秋冬の四季が与えてくれる、自然の恵みがあまるほどにあったから。乾季にも雨はちゃんと降ってくれる。

 世界にはふたつの食文化がある。『麦文化』と『米文化』。麦も米もいずれも穀物に違いはない。米は豊富な水が得られるアジア地域で主食。麦は米国や欧州などの、雨の少ない地域での主食。いずれも気候に合った作物。
 でも麦と米とでは、圧倒的に大きな違いがある。それは何かというと、米は火を通してそのまま食べられるのに対して、麦はそのまま調理しても食べにくいし、おいしいとはいえないところ。

 おにぎりを考えてみる。おにぎりは、ごはんに梅ぼしを入れて塩で結んだだけのもの。けれどこれがうまいんだな、また。どんな子どもも、おにぎりの嫌いな子なんてまずいない。ようするにごはんはおいしいということ。なんとうれしいことでしょう。それだけで一品の主食であり、おかずでもあるのです。

 麦を加工して小麦粉。それを加工してパン、パスタ。けれどそれにしたって、砂糖や油脂のおまけがなくては食べにくい。それにくらべて日本のどんな調味料も、みそ汁も、お菜もすべて、つまるところはごはんをおいしくいただくための付けあわせなのです。ごはんをよりおいしくさせる漬物づくり。道長の目標。ごはんばんざい。