食 料 自 給 率


戦後の日本の食糧自給率を調べてみました。残念ながら1960年(昭和35年)以前の詳しい統計がみつかりませんが、戦前の日本では食糧自給率は90%を上回っていたことは確かです(統計上ではあとの数%は台湾や韓国からの穀物・大豆の移入ということになっている)。

右の表で示したのは1960年以降の日本の食糧自給率の推移です。60年に82%あった自給率は順調に下がり続け、90年(平成2年)には50%を切り、06年には40%を上向かせようという努力もむなしく39%を記録してしまいました。これは言うまでもなく、世界的にも救いようのない低水準です。

戦後食糧自給率を下げてしまったのは食の欧米化が大きな要因といわれます。戦後の食糧難の中、学校給食に投入された米国産小麦。学校でのパン食は日本人の食生活も変えていきました。
さらに戦後の復興、高度成長で経済的な発展を遂げる中、食はさらに豊かになってゆく。

ぼくが子供のころには、カレーライスでさえ大変なご馳走でした。さらにすき焼き、トンカツ。

戦前の日本の食と戦後のそれとの大きな違いは家畜の肉と油の消費量が上がったことです。それまでは必要でなかったそれらの食品を得るには大量の穀物、大豆が必要となります。そのための原料は農業国アメリカから安い価格で大量に輸入されるようになり、食糧自給率はそのおかげで順調にさがることになりました。トウモロコシや小麦などはその収穫期に降る雨の量に大きく影響を受けるため、日本の気候に適した作物とはいい難い。大豆は米の栽培期間と重なるため、とくに戦後作られる機会が大きく減ってしまいました。トウモロコシなどは加工用デンプン、油や家畜のえさと用途が広いため爆発的に需要が高まり、大量生産による米国産に100%の依存をする結果となっています。概ねこれらの穀物、大豆の大量輸入が日本の食糧自給率を下げてしまっています。

日本の食糧自給率を上げるには伝統的な日本食にもどすことが、第一の近道だとだれもが答えるのではないでしょうか。そしてぼくもその一人です。でも問題はそんなにかんたんなものなのでしょうか。たしかに米中心の日本食にもどすことが先決です。でももうひとつ大きな問題が残ってしまいます。それは食が豊かになったことで副食のはずのおかずの量が圧倒的に増えてしまっている点です。

一人当たりの米の消費量:
戦後日本人が年間に食べる米の量が激減しています。これはパンやパスタなどの小麦加工食品への移行ばかりが原因ではありません。確実に豊かになったことおかずの量の増加です。かつて一汁一菜といわれた日本の食は、まずたっぷりのごはんがあって、みそ汁と漬物という質素なもの。魚や野生動物の肉は日常的な食材ではなく、偶然の天の恵みであったり、来客や特別な行事のためのご馳走でした。江戸時代の貝原益軒の『養生訓』では、たとえ魚であろうと常に食するのは健康に差し支えるとしていました。

日本人はごはんを食べなくなった
右の表のように1940年以来、日本人の米の消費量は半分以下に落ちてしまっています。宮沢賢治は『雨ニモ負ケズ』の中で『一日に玄米四合、味噌と少しの野菜を食べ』と詠んでいます。玄米4合は今の日本人にとって、とても一日で食べられる量ではありません。しかしまさに主食を米としていた日本人にとって、これが基本的な一汁一菜の基本的な食であったわけです。

飽食と表現して過言でない日本の食。かつてはだれもがごはんを茶碗やどんぶりでお代わりをしたもの。でも最近では、一回の食事で副食が主食のごはんの量を上回ってしまっている。そしてその副食の材料の多くは輸入食材であったり、輸入穀物などで肥育された家畜の肉や乳製品であったりします。そこにはかつての日本食にはありえなかった大量の油脂とタンパク質、糖分が含まれており非常に高カロリーなもの。さらにそれを生産するために大量のエネルギーが消費され、また遠方からの輸送のため無駄な化石燃料が燃やされ二酸化炭素の発生が伴ってしまいます。
1940年ごろ1人あたり一日に3〜4合(茶碗に7〜8杯)の米を消費していたが、80年以降、茶碗に3〜4杯に減少。

地産地消がさけばれるようになった昨今。にもかかわらずなぜか一向にそれが進んでゆかない。国産、輸入を問わず食の安全が守られない。食品への表示制度の基準が非常にさびしい。あたりまえに遺伝子組み換え食品農産物の輸入が増えている。さらにバイオ燃料のおかげで、おそらく今後外国からの輸入穀物に対する安全性はさらに不確かなものになってゆくに違いありません。

戦後60年以上の間、いちばんおろそかにされてきた教育の中で、まず『食育』が筆頭に挙がるのではないでしょうか。世界が日本の食がすこぶる健康的だと認めはじめている中、一方では伝統的な日本の食が崩壊してしまっている。まったくの皮肉といわざるを得ません。

温暖化が問題となり、二酸化炭素の削減が難しいと世界中が御託をならべている。一体日本という国は、食糧自給率の問題を改善できるというのでしょうか。国際的な温暖化対策にも貢献できているとは言い難い日本。いったん膨らんでしまった経済を縮小する以外に方法のない、この二つの食糧自給率と温暖化問題はいわば馬車の両輪。できないでは済まされない。今すぐしないと世界は経済ばかりか、それぞれの民族の存続すらも危ぶまれるような危機に陥ることも考えられる。

人類にとって『進化』とはなにか。どうなることが『進化』なのか。今人類に課せられた命題は、肝心な心の部分での『進化』に他ならないのではないでしょうか。これ以上考えると気持ちが重くなりますが、残された道はそれしかないのかもしれません。