除草剤という兵器


ベトナム戦争といえばまだ記憶に新しい歴史的事実です。1960年代、ベトナムは政治的に南北に分断され、その北の果てには中国という立地条件で、米国を筆頭とする資本主義圏と中国ソ連の共産主義圏との代理戦争ともいえるものでした。

その筆頭、米国は枯葉剤(除草剤)を化学兵器として使用しました。これを枯葉作戦(Operation Ranch Hand=農夫作戦)と称し、ベトナムから緑を奪ってしまえば、ベトコン(ベトナム民族解放戦線)の食糧源ばかりか、姿を潜める場所さえなくすことができると考えたからです。そのためにベトナムでは大別して2種類の除草剤が兵器として使用されました。

エージェント・オレンジ(非選択性除草剤)
その名の通り対象を選ばず、植物を枯らす目的の除草剤。主として2,4-D(ジクロロフェノキシ酢酸)と、2,4,5-T(トリクロロフェノキシ酢酸)の混合物であったといわれています。日本では2,4,5-Tはダイオキシン(TCDD)の危険性から使用が禁止されています。またエージェント・オレンジは、2,4-Dと2,4,5-Tを合成する過程でさらに多くのダイオキシン類(TCDD)が生成され、含有していたことが問題になっています。また、2,4-Dは、その製造過程で、また、焼却してもダイオキシンを発生します。

なお、日本では2,4-Dは1950年に農薬として登録されており、使用は禁止されていません。

このエージェント・オレンジには米国内の農薬メーカーから15種類の除草剤が集められたそうです。爆撃用の容器にはオレンジ色の札が貼られたことから、その名が付けられました。主としてこのオレンジ剤が化学兵器として使われたそうです。

エージェント・ブルー(選択性除草剤)
この除草剤の目的は、ベトナム人の主食である『イネ』を枯らす目的で使われました。これはヒ素を含むカコジル酸が主成分で、水分を多量に必要とする植物を干上がらせるはたらきがある。米国軍はエージェント・ブルーをゴムやビニール袋に詰め、飛行機から水田やその水源などに投下。高濃度の除草剤を直接被ばくした地域では、以後40年以上経過したいまも環境や人体への汚染をもたらしているといわれています。現在もベトナム各地で生まれてくる奇形児は、ベトナムに投下された除草剤の恐ろしさを物語っています。

エージェント・オレンジよりも少なかったといわれるブルーでさえ、450万リットルも兵器として使われたといわれています。このような農薬が投下され、直接さらされたベトナムの人たちの苦しみはどれほどのものだったのでしょうか。

ほかに、『ローズ』『ホワイト』などもあり、それぞれ2,4,5-T、2,4-Dが主成分。

除草剤と遺伝子組み換え
ベトナム戦争で大量に使用された除草剤。その製造に深く係った企業の筆頭にモンサント社があります。今も非選択性除草剤ラウンドアップ(有機リン系・主成分グリフォサート)のメーカーとして世界のトップを誇っている。

ベトナム戦争では東南アジアを殲滅せんとした化学兵器企業のひとつ、モンサント社が今度は雑草殲滅のための除草剤メーカーとして躍進。そしてさらに新手のビジネスとして、今度は除草剤耐性遺伝子組み換え作物と除草剤ラウンドアップのセット販売を考えている。世界の農民をGM作物でさらに除草剤依存性の高い農業へと推し進めようとしている。

枯葉剤と除草剤とは同一の目的で使われる物質です。にもかかわらず、戦争と平和利用という裏腹の目的で使用される。しかもどちらに転んでも大量に使用され、汚染という深刻な環境への負荷を残す。

米国はベトナムを支配しきれないと判断した時、今度はベトナム人を殲滅する目的で除草剤を使いました。そして現在では、自然を支配し、雑草を殲滅するためにやはり除草剤を使っている。

しかしながら、歴史的事実として米国は、ベトナム人も植物の緑も殲滅することはできませんでした。ベトナムには依然としてベトナム人による緑の米文化が生きています。

自然を支配しきれないと判断した近代農業は、除草剤という化学物質の威力で雑草を殲滅しようとしています。しかしこれにもスーパー雑草といわれる除草剤の効かない雑草が対抗して出現。

ベトナム戦争では化学兵器として使用された除草剤が、西暦2000年を経た現在、今度は米国の経済戦略のためのバイテク兵器として機能している。武力で世の中を制覇するも、グローバル化だか国際化だか知らないけれど、こちらも経済戦略のためのいわば兵器としての除草剤と遺伝子組み換え作物。

いずれにせよ、支配という圧制・殲滅では恒久平和はありえない。自然を支配しようとする近代農業よりも、自然と共存する身土不二・地産地消が基本の地域農業こそが、人類に残された選択肢なのだと思う。