かもめ食堂


 映画『かもめ食堂』を観た。すきっとして気力があふれ、食をとおして人と人とはなにか、しあわせとは何かを教えてくれるすばらしい映画。

 日本ではなく、なぜかフィンランド、ヘルシンキで日本風食堂を始めた女性サチエがいる。小柄でおとなだか子供だかわからない東洋人が、いったいどんなメニューを出しているやらさっぱりわからない。開店一ヶ月で最初に訪れた日本かぶれの青年には、記念すべき最初のお客ということでコーヒーはずっと只にしてしまうし、これでは商売にならない。でもサチエはめげずにしゃんとしてお客を待ち続けるのだった。

 そこになにか訳ありでフィンランドへ来、観光に興味があるわけでもなく、何をしてよいやらというわけでかもめ食堂を手伝うことになる二人の日本人が加わるのだった。

 かもめ食堂は鮭、梅干、おかかのおにぎりがメインメニューというのだけれど、それを『売り』にしたところで異国でお客にすんなり受け入れられるわけでもない。というわけでもないけれど、気分を変えてシナモンロールなんかも焼いてみると、そのかぐわしき香りに誘われたまらずに、とうとう近所のご婦人たちがお客様の名乗りを挙げるのだった。客が客を呼ぶというけれど、その後ぽつりぽつりと客足が伸びてゆくかもめ食堂。

 豚肉のしょうが焼、かしわのから揚げ、とんかつ、鮭の網焼きなどの日本風定食やら、フィンランド人におなじみの献立までいろいろ。そしておにぎり。でも手際よく作られるそれらの食事はこころがこもっていておいしく、来店するお客ひとりひとりをしあわせでみたす。

 ぼくもときどき一人だけで食事をすることがある。ご飯を炊く。みそ汁を作る。でもそれ以上ほかのおかずを自分で自分のために作るとなると面倒で、せいぜい糸引納豆でもあればじゅうぶんという気にもなってしまう。

 自分のために作る食事なら、自分の好きなものを好みの調理で味付けで。それで旨いはずなのに、お世辞にもたいしたことない。だから奮発しておかずを作る気にもならない。それこそ一汁一菜の健康食なのかもしれないけれど、いかんせん、それを一人さびしくいただくぼくはといえば楽しくもなんともない。そそくさとご飯とみそ汁をかっ込み、ごちそうさん。なのに食堂では、たとえ一人で食べたとしても、ちゃんとそれをちがう誰かが作ってくれている。手際よくていねいに、喜んでほしいと心を込めて。

 『食』とは何だろう。決しておなかを膨らすためじゃない。グルメを満たすためでもない。健康に生きるため。もしかすると、人はしあわせになりたくて食堂へゆくのではなかろうか。それだけでも十分なのに、それがおいしかったらさらにしあわせ。

 漬物の道長は『かもめ食堂』ではないけれど、やっぱりおいしく食べていただき、そして健康になってほしいと思う。いくら高級な食材でも、いくら安全な素材が使われていても、こころがなければちっともおいしくない、健康的でもない。あたりまえに信頼され、こんどはあの漬物も買ってみようかなと思ってもらえる。それが作り手の道長のよろこびでもあり、しあわせなのではないかしら。

 それとなんといっても、だれかに作ってもらって食べるのってほんと、おいしいんだよね。