手前味噌はどうして美味い

 ぼくは醗酵したものが大好きで、その中でもとりわけ味噌には目がない。味噌は日本中どこへいってもあるけれど、それぞれの土地で風味がちがうし色もちがう。白かったり黒かったり、辛かったり甘かったり。

 とにかく味噌についてはその土地土地でちょっとずつちがう。一般に南にゆけばゆくほど塩辛さよりも甘味が増す傾向があるようだけれど、色については一概に言えないような気がする。酒や味噌醤油の醸造技術というか、その嗜好については、地域性だけでは理解できないところがある。江戸時代に盛んとなった、たとえば廻船がくまなく日本を廻るようになったことが、味噌醤油の醸造技術を全国に広めたという事実が歴史的にはあるらしい。けれども、風土による甘辛のちがいの他には、さほどのちがいはないのではないかしら。

 さてさて、日本にあまたある味噌の中で、またまた理解できないものに『手前味噌』というのがある。これも、気候が温暖か寒冷かによって甘い辛いの差こそあれ、さらに千差万別。そしてさらにまた理解しがたいのは『手前味噌』はうまいという点。よく、「一辺でいいから自分で味噌を作ってごらん、とにかくおいしいから」と家で味噌を仕込んで使ったことのある人は、かならず口をそろえて自画自賛。これすなわち『手前味噌』。

 『手前味噌』はうまい、とはほんとうはどうなのかしら。それを科学的に証明した人はいないけれど、実際に手前味噌はうまいとぼくも思う。そしてそれには理由があって、たぶんそうだろうなとぼくは想像する。ようするに『蔵元』と『家』での仕込み方のちがいなのではないかしら。

 『蔵元』では大量の大豆を蒸し、麹菌を付けて仕込みをするけれど、なにぶん失敗は許されない。そこでほとんど無菌の状態にしておいて麹菌を付けるということをする。それに対して『家』では近頃は麹も使うけれど、たとえば加熱した大豆を丸めて縄で結び、軒につるしておもに稲わらに居る麹菌を付ける。

 『蔵元』も『家』の場合もどちらもこうして作るのは『味噌玉』だけれど、ふたつのあいだには大きなちがいがある。どういうことかというと、『蔵元』では単一の麹菌が付くのに対し、『家』の場合はおもに麹菌だけれど、そのほかにいわゆる雑菌も付いてしまうということ。

 ようするに『蔵元』の味噌は『生粋(きっすい)』で、『家』の味噌は『雑種』。家でつくる雑種の味噌では気をつけないと表面のまずい部分を除かないといけないこともある。けれどその下のほうはまことにおいしい。

 ぼくは漬物をつくるとき『あぶなっかしい』味というのを大切にしたいと思っている。これはある一線を越えるとまずくなってしまうけれど、それを越えなければなんとも言えずおいしいということ。これはたぶん、雑菌も醗酵の途中で風味の一躍を担っているにちがいないということ。複雑な旨味はそのおかげで『手前味噌』がおいしい理由なのではないかと思う次第。

 人間も勉強だけした優等生より、あれこれ手を出して失敗しては紆余曲折、オトナになってゆく雑種の方が人間味があっておもしろいのと同じなのではないかしら。