タイと唐辛子


世界で一番唐辛子を一人あたりで消費する国はどこかというと、タイ国ということになるのだそうです。統計では1日に5グラムとのこと。

唐辛子の本場といえばなんといっても韓国、中国、東南アジア、インドといいたいところですが、その原産地はペルーやメキシコの中南米ということになっています。それが15世紀末のコロンブスの大航海以降、スペイン人の交易によってアジアにも伝えられた。唐辛子がアジアに伝わったのは早くても16世紀になってからということになります。

ということは、唐辛子の文化というのはアジアではほんのこの400年ほどということになります。食文化の歴史としてはなんと浅いことでしょう。

とにかく、中南米で原産の唐辛子は香辛料としてヨーロッパにも紹介されたのでしょうが、その辛さは受け入れられなかった。それにアジアのようにもともと香辛料を好む地域には抵抗はなかったのでしょう。

それにしても16世紀以前のタイ国ではいったいどういった食べ物を食べていたのでしょう。そもそもタイ国の食文化の基本とはなんなのでしょう。

なんといっても主食は『米』
13世紀タイのスコータイ王朝というのがあったそうですが、その三代目王の碑文には、「スコータイの国よきかな、田には米あり、水には魚あり」という一節が刻まれている。魚とは主に淡水魚を意味していて、雨季と乾季を繰り返す気候のおかげでタイ国はたくさんの魚類の宝庫ともいえます。

タイ国では鶏肉も食卓にのぼりますが、魚のように食べても食べてもまた増殖してくれるわけでもなく、やはり魚の食文化ということができるようです。

水の豊富なタイ国では、稲作のための田んぼは日本と比べるとずっと水の量が多く、深水栽培です。深水栽培の利点はなんといっても雑草が生えにくいことです。そしてなんといっても田んぼには魚がたくさん住み着き、おかずも田んぼで獲れてしまう。日本でも雪解け水の豊富な長野県佐久市などでは、深水を利用して鯉やフナの稚魚を放流し、除草をさせ、さらに秋には小ブナの甘露煮を食べたり、鯉はさらに一年育てて食用として出荷したりもする。豊かな田んぼは豊かな漁場でもあるわけです。

話を唐辛子にもどします
首都バンコクの近く、チャオプラヤー川沿いに14世紀ころから栄えたといわれるアユタヤー王朝というのがあるそうです。このアユタヤーは政治の中心であるばかりでなく、経済の中心でもあった。

ちょうどこのころがコロンブスを端に発した大航海時代。世界中の異文化の食材が交易されることとなり、中南米の唐辛子も紹介されたわけです。これは想像ですが、唐辛子の登場は南アジアの食文化にとって、相当にセンセーショナルな出来事であったはずです。まさにほしかった食材が登場したのですから。

大航海時代とは世界的に見ても、異文化が交流するという革命的な時代といえます。新大陸からは唐辛子をはじめ、ココア、トマト、ヴァニラ、カボチャ、七面鳥、コーヒー、トウモロコシなどがヨーロッパに伝えられました。それらが中国や中近東を経てアジアにも伝わりました。

コショウのことを『プリック・タイ』と呼ぶそうです。それに対し唐辛子は単に『プリック』なのだそうで、おそらくむかしはコショウのことを『プリック』と呼んでいたのでしょうが、それが『外国のプリック』に取って代わられてしまったということになるのかもしれません。

これもひとつのグローバリゼーションでもあったわけです。