1994年高岡市発行の「わが町内自慢の行催事・文化財ガイド」に、概ね次のように
記されています。
『西藤蔵の紅屋は、農家の庭先に庄川の伏流水が湧き出る水に恵まれた土地です。
この村の田に「ひかりがま」と呼ばれる25畳〜30畳の大きな泉がありました。
澄み切った水の底では、湧き上がる水の勢いで舞い踊る砂々が日の光に
照らされキラキラと輝いていました。この泉の近くに、西大寺という
大きなお寺がありました。ここで働くおかるという娘は、気立てがいいうえ
村一番の器量よしでした。朝早くから起き出して、釜をもって、この泉で
ゴシゴシといで食事の支度をしていました。突然おかるの手から
釜がするりと泉の中に落ちていってしまいました。そして、水底の釜を
一匹の蛇がグルリグルリと取り巻いているのを村の人が見つけました。
そしてその釜はピカリピカリと輝き続けました。
そんなことがあってから、人々はこの泉を「ひかりがま」
と呼ぶようになりました。おかるは蛇になったとか、
城端の縄ケ池の龍神様に気にいられ女房に
なったなどと、言い伝えられています。それからは、ひかりがまに子供たちが
石を投げたり、いたずらをすると、きっと雨が降るといわれました。
現在は、その地に石碑が建っています。この伝説にゆかりの光釜山西大寺
(現、木町1-6)では、寺の法事を勤めると必ず御堂がぬれる日があると
言い伝えられています。』
泉があった田んぼの持ち主の鎌田さんにお話を伺いました。
『文政12年(1829)に亡くなった鎌田さんの先祖が、
「ひかりがま池の三個の石を拾ってきて飾っておいたら村も家も栄える」
という夢のお告げをうけ、池に行ってみたら水が無くて確かに石が落ちていて、
石を拾うとまた水が湧き出した。』という話が言い伝えられているとか。
以前は木立に囲まれた深くて澄んだ池でトミヨとかゴリがたくさんいたが、
昭和46年の耕地整理をした頃には水も少なくなっていたので埋め立てたとか。
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ひかりがま伝説付近の井戸水(動画/18秒)〔登録日:2003/07/20〕
現在は、その地に石碑が建っています。鎌田家の裏の田んぼの真っ只中です。【2003年2月撮影】
鎌田家に伝わる三個の石です。写真では大きく見えるけど、一個10p位でしょうか。【2003年2月撮影】
現在、鎌田さんは、豊富な地下水を利用して養鶏場を経営しておいでます。【2003年2月撮影】
ひかりがま伝説の田んぼ横農家の井戸です。庄川の伏流水が自噴しています。【2003年2月撮影】