アマチュア無線について
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アマチュア無線とは | ||
アマチュア無線とは、金銭的利益のためでなく、もっぱら個人的興味による無線実験によって行われる通信をいいます。 無線従事者免許証(一生有効)と無線局の免許状(5年間有効)の2種類の免許が必要です。 また、プロの無線資格でも範囲が限られてますが、アマチュア無線を行うことができます。プロの資格でなくても初歩の第4級アマチュア無線技士(昔は電話級アマチュア無線技士)、モールス電信操作ができる第3級アマチュア無線技士(昔は電信級アマチュア無線技士)、さらに第2級アマチュア無線技士、第1級アマチュア無線技士と4種類の資格があります。 |
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私のアマチュア無線歴 | ||
昭和45年夏休み | 友人が、夏休みの宿題ということで扇風機を作っていた。中身を見て単純な物だったが、小学生ながら新鮮な感動を覚え、その頃本屋にあった「初歩のラジオ」を買っては実体配線図などをみて、自分なりにラジオを作ろうと決心。
キットを使った通信教育でラジオの原理や五球スーパーラジオを作る。 その後、アマチュア無線の通信教育を雑誌で見つけ、CQアマチュア無線普及協会というところに申し込み秋頃から受講し始める。 |
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昭和46年4月 | 小学校から中学校に入る春休み中に坊主頭になり、伯父に付き添われて仙台まで急行列車に揺られ到着。仙台駅近辺の旅館に泊まり、翌日、八木山にある確か仙台電波専門学校の試験場に向かい、国家試験を受ける。四者択一の問題で電話級アマチュア無線技士合格 | ||
昭和46年12月 | 出力10ワット局としてコールサインJA7QLP開局。無線機はトリオ(今のケンウッド)のTS-311で、真空管の淡い明かりが素敵でした。 当時は開局申請を出してから免許になるまで 半年もかかった記憶があります。その間はSWLといって短波帯の7メガサイクル(今はメガヘルツ)を聞いて他のハムの人たちの 交信内容を聞いて勉強したものだった。 |
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昭和51年12月 | JA7QLP局の初めての再免許更新。日本アマチュア無線連盟に再免許申請書を慌てて購入申し込みをし、 津軽弁でまだ間に合うか問い合わせ、なかなかこちらの言うことが通じなかった覚えがあります。 | ||
昭和56年12月 | JA7QLP局再免許更新手続きを忘れて失効。このときは、全然無線活動はしていなかった。 | ||
昭和59年11月 | どういうわけか、無性に無線がしたくなり、JA7QLP再開局。久しぶりに興奮を味わう。 | ||
昭和60年4月 | 五所川原のローカル局(JF7BCD長内さん)の影響を受けて、電信(モールス通信)に興味を覚え、夜な夜な144メガで練習の相手をしていただいたり、テープに録音してもらい、聞き取り練習をして、東京晴海の無線従事者協会で電信級試験に臨む。 そして電信級アマチュア無線技士取得 | ||
昭和61年4月 | 前夜にローカル局と車で仙台に向けて出発。車中泊して、仙台市の合同庁舎の試験会場に行く。第2級アマチュア無線技士取得。 出力10ワットから100ワット(固定局)に変更、さらに50ワット移動局も開局し、とりあえず、ホンダシビックに144メガFMの無線機を取り付けモービル運用を開始。 | ||
平成元年5月 | 前年、結婚して東京に引越し。設置場所が東京に移った為固定局の変更をしコールサインがJM1PWWになる | ||
平成5年4月 | 第1級アマチュア無線技士取得 | ||
平成13年12月 | JA7QLP開局30周年を迎える | ||
平成23年12月 | JA7QLP開局40周年を迎える | ||
平成25年11月 | アメリカの無線資格であるジェネラル級を東京で取得しKH0YGのコールサインをもらう | ||
平成25年12月 | さらにエクストラ級を横浜で受けて合格しバニティコールサインでAG7HKに変更 | ||
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私の無線環境 |
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アマチュア無線関係のリンク | |
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JARL A1 CLUB(私が所属しているクラブ)
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全国CW同好会(これも私が所属しているクラブ)
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