隔月刊誌『バレエ』(音楽之友社)連載中の記事より抜粋
第23回 テーマ:マース・カニングハム
(2002年11月号 2002年9月25日発売)
【登場するカンパニー:イザドラ・ダンカン、ルース=セント・デニス、ロイ・フラー、マース・カニングハム、マーサ・グラハム、ダルクローズ、ラバン、未来派、バレエ・リュス、ジョン・ケージ
(おすすめダンスは『ダイバージョンズ』】 )
音楽や美術や文学は、単体でも十分人に感動を与えられる。なぜダンスだけはいつも「衣装やストーリーや音楽」といったものがついてまわるのか? ダンスは「なにかと一緒」じゃないと成り立たない芸術なのか? というやっかいな問題意識を持ってしまったのが、グラハムの一番弟子、マース・カニングハムだった。(略)
「ダンスはそれ自体が芸術」であることを証明するにはどうしたらいいのか? とカニンガムは考えた。全てを捨て去り、全裸で無音で即興で踊るか? それではただのバカなので、彼は天才的な手法をとる。すなわち「ダンスの形を保ったまま、周到にダンスから意味性を剥いで」いったのだ。
それが51年頃から始めた「チャンス・オペレーション」による偶然性の導入である。
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第22回 テーマ:マーサ・グレアム
(2002年7月号 2002年5月25日発売)
【登場するカンパニー:マーサ・グレアム、マース・カニンガム、ルース=セント・デニス、イザドラ・ダンカン、イデビアン・クルー
(おすすめダンスは『Swing!』】 )
グレアムの継承者を自任する人々が新しい動きを考え、妥協のないダンスを作っていることは正当に評価したい。しかし「武富士」のジャズダンスが何度バージョンアップしても不変のダサさがあるように、現在の「モダンダンス」には、どうやっても拭えない「イケてなさ」があるのだ。
ひとつには「振付の密度」。そしてなにより「チンケな大問題(誰が好きとか嫌いとか、薄っぺらい人間・平和・自然の賛歌を免罪符のように掲げるものも含む)」を、便利な手段で垂れ流している状況が問題だろう。そこを乗り越えていないコンテンポラリー・ダンスも、わりとあるのだが。
そもそもダンスにとって「内面の表現」など必ずしも必要ではない。ダンスはまず動きであって、意味はなくてもかまわないからだ。この点でグレアムは、のちに愛弟子であったマース・カニンガムから強烈なしっぺ返しを食うことになる(それは次号で)。
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第21回 テーマ:マイム系ダンス
(2002年5月号 2002年3月25日発売)
【登場するカンパニー:勅使川原三郎、マイケル・ジャクソン、ロバート・シールズ、上海太郎舞踏公司、いいむろなおき、水と油(おすすめダンスは『Swing!』】 )
マイムの技術でいえば彼ら(水と油)よりうまい人はいくらでもいる。創設メンバーの高橋は「マイムの動きは生理的に面白いから採り入れているけど、舞台では現実と非現実が入れ子になって反転していく不思議さを体験させることが重要」という。たとえば「一連の動作を逆回転してみせる」というテクニックの効果を面白がるのは一発芸だ。しかし「それを様々にリズムを変えてやることが楽しい」のだと高橋はいう。
これはまったくダンスの発想である。(略)
スタイリッシュで笑いもある今のスタイルは、動きから入る高橋と演劇的な小野寺がいい感じに組み合わさっているようである。決して主流ではないテクニックから自分たちのスタイルを立ち上げ、時代に認知させたのは見事だ。あと足らないのはエロか。いや、なくてもいいんだが。
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第20回 テーマ:ダンスに、何ができるのか
(2002年3月号 2002年1月25日発売)
登場するカンパニー:アルウィン・ニコライ、マース・カニングハム、ダニエル・ラリュー、レジーヌ・ショピノ、カンパニーD・C・A
(おすすめダンスは「マリ=クロード・ピエトラガラ 2002」、熊川哲也『The Confession』)】
ガラにもなくタイトルのようなことを問うてみたりするのも、昨年末にテロ頻発するイスラエルへ行ってきたからだ。出発の二日前には30人の死者を出す多発自爆テロがあり、滞在中にも一件起こった。そんな時期にダンスの取材? とさんざん言われたが、そうだよ。ダンスだよ。(略)
「ダンスに何ができるか?」については、長いこと「別に何もできなくてもいいよ」と思っていた。
だいたい芸術は「何かのため」と言い出したとたんウサンくさくなる(注2)。真に優れた芸術は、予定調和に安住せず枠自体をブチ壊すものだろう。(略)
コンテンポラリーに限らず、日本のダンスについて「プロ意識の希薄さ」は、よく指摘される。(略)魂を削って新しいダンスの平野を切り拓くなどというメンドくさいことはしない。コンテンポラリーではテクニックの優劣が必ずしも作品の質に比例しないだけに、独りよがりの馬鹿者にも居場所がある。で、時としてそいつらの方が商売がうまかったりする。(略)
イスラエルという国は、約50年前に世界中から人々が集まって作った「高密度多文化国家」だということは以前述べた。多彩な文化や言葉の壁を乗り越える物としてダンスは機能してきたし、それがイスラエル・ダンスの原動力ともいえる。
イスラエル国内でできたことが、世界規模で起こってくれれば、というのは平和な国の住人の夢想だろうか?
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第19回 テーマ:フィリップ・デュクフレ
(2002年3月号 2002年1月25日発売)
【登場するカンパニー:ノア・ダール、ヨシ・ユングマン、ヤスミン・ゴデール、シャロミ・ビトー、バットシェバ舞踊団、バットシェバ・アンサンブル、川畑文子)
(おすすめダンスは「ピナ・バウシュ&ヴッパタール舞踊団
『7つの大罪/こわがらないで、熊川哲也『The Confession』】
当時のドュクフレは、「身体を解放するばかりではなく拘束する方向にも興味がある」と語っていた。なるほど。「シバリの向こうにヨロコビがある」というのは真理ではある。いろんな意味でね。ただ思春期にはガンで片足を失った親友のため、二人で「三本足のためのダンス」を作ったりしたというから、オシャレでユーモラスな見た目の向こうに「肉体の変容」への並々ならぬ執着をかいま見ことができる。(略)
彼の醍醐味はまさにファンタスマゴリア(幻影灯)といえる。舞台芸術の主要な要素が視覚による衝撃であることは言を待たないが、それを様々に攪乱していく快感が彼の真骨頂だ。だからこそ大胆すぎるアイデアも舞台から遊離せず、むしろ魔術への吸引力へと作用するのである。(略)
観客が舞台上から無意識に何かを読みとろうとするたびに景色そのものがずらされていく様は、大げさに言えば現実感そのものの揺さぶりであり、胸騒ぎにも似た経験だったのである。
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第18回 テーマ:珍しいキノコ舞踊団
(2002年1月号 2001年11月25日発売)
【登場するカンパニー:珍しいキノコ舞踊団、H・アール・カオス、レニ・バッソ、勅使川原三郎、黒沢美香
(おすすめダンスは「珍しいキノコ舞踊団『フリル(ミニ)』」】
どうもキノコは雰囲気ばかりが先行し、「動き」に関してはイマイチ正当には評価されていなかったが、彼女たちは結成当初から「ダンスをダンスで研究する」という革新的テーマを掲げていたのである。結成間もない92年頃にはインタビューで「ピナ・バウシュとウィリアム・フォーサイスの融合を目指す」という、まるでアメリカとロシアを千葉県に併合するようなことを言っていたが、それなりに本気ではあったのだろう。その意気込みを買われてか、『これを頼りにしないでください。』(93年)では、なんと「珍しいキノコ舞踊団さんへ ピナ・バウシュより」と書かれた花束が飾られていた。しかも隣にはフォーサイスからも! 演劇的ダンスと抽象的ダンスの両頭がついに日本のカンパニーを認めたのかっ! 今にして思えばこういう軽犯罪スレスレのギャグをしれっとやれる剛胆さからして大物の風格を持っていたようである。(略)
正直に言うと「面白いけれども当たりはずれが大きい」というのが僕の彼女たちに対する評価だったのである。(略)『フリル(ミニ)』(2000年)である。これは個人的に同年のベスト・パフォーマンスのひとつだ。(略)トニー谷からスィング・ジャズ、そしてマユタンによる、ぶっきらぼうでキュートな生歌は絶品である。透明ビニール傘で作ったオブジェがピカピカ光りながら、チンケなくせに荘厳に降りてくるのも、なんだかうれしい。ああもう総てがシアワセ。どうしたんだオレ。誤魔化されてたまるか、と思っていたはずじゃのに、なぜ帰り道スキップしてるんだ。
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第17回 テーマ:マッツ・エック
(2001年11月号 2001年9月25日発売)
【登場するカンパニー:スウェーデン国立クルベリー・バレエ団、国立リヨン・オペラ座バレエ団
(おすすめダンスは「ジョセフ・ナジ「ハバククの弁明」」】
ちょっとした振りを見ただけでも、コイツのだったら絶対わかる。マッツ・エックは、ナチョ・デュアトと並んで僕が「いま最もまとめて上演してもらいたい振付家」の一人だ。じつに強固でキテレツなオリジナリティのある、つまり振り霊宿る振付家なのである。「ダンスはまず動きによる衝撃であってほしい」という僕は、もうこれだけでオッケーなのだが、作品自体もまた奥深く味わえる。しかし古典バレエをも強烈にアレンジしてしまう彼独特の振付は、一部のバレエ・ファンの神経を逆ナデするようである。(略) まあ海外での評価も同様らしい。どの分野でも新しい試みには「原作に対する理解が足らない」という批判が必ずついて回る。踏みにじられた気がするのもわからないでもないが、真に新しい試みとは枠組みそのものを壊してしまうものなのだ。事実ダンサー達の人気は高く、エックは「世界の一流ダンサーが踊りたい振付家」の中では、必ず上位に名前を挙げられる。固陋なファンをイラつかせ、優れたダンサーを魅了する…… なんてステキなオヤジなのだろう。(略)
たまに「舞台の上では美しいものしか見たくない」とかヌルいことを平気で言う人がいるが、バレエ(芸術)が人生の真実を描けるとするなら、それは美しいだけのものであるはずがない。じっさいにクラシック・バレエは、ロマンティックな見た目を除けば、愛憎や裏切りが渦巻いているではないか。それでも「美しいもの」しか見ないというなら、それは目を背けているのだ。
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第16回 テーマ:北村明子&レニ・バッソ
(2001年9月号 2001年7月25日発売)
【登場するカンパニー:レニ・バッソ
(おすすめダンスは「天空プロジェクト ヴォイスとダンスの国際共同制作」】
どうなんだろうか、北村明子は。実力はもちろん、知名度や観客動員数からしても日本のコンテンポラリー・ダンスの一翼を担っていると思うのだが、そのわりに公演評が少ないように思えてならぬ。
北村の舞台はスタイリッシュとかカッコイイ系とかいわれる。スピードとキレを要求される振付、幾何学的な動線、ノイズ系の音にモノトーン調の照明。ストーリー性はなく、顔の表情も使われない。これだけ真正面から「カッチョよさ」を出してくる潔さは、もはや「男前!(ルビ おっとこまえ)」とかけ声をかけたくなるくらいである。(略) ときどき目にする批判に「北村の舞台には身体性が希薄だ」というものがある。(略)
たしかに北村のダンスは、「奇跡的な肉体のどーのこーの」「情念がどーしたこーした」とかいうたぐいのものとは違うし、バレエのように「メインダンサーが中央で踊る」タイプでもない(北村自身のソロで締めくくる作品もあるが)。しかしだからといって「身体性が希薄」とかいうのは「松の木に杉ではないと文句をいう」式の見識のなさだろう。北村がそれら実力派のスタッフに寄りかかっているならまだしも、しっかりと屹立しうるダンスを見せているではないか。(略)
日本の批評は、ほとんどが「公演評」であり、さらに文字数の制限もあって振り付けそのものについては作品評やダンサー評とないまぜになりがちだ。自戒を込めていうのだが、当欄でここ数回書いてきたような「振り霊の宿り具合(狭義では振り付けされた動き自体の面白さ。広義では舞台全体に充溢している振付家のキャラクター)」なんぞもしっかりと評価していきたいものだ。かつてウィリアム・フォーサイスに関する「批評」の多くが、フォーサイス自身が創出/援用した「フォーサイス用語」の再解説に終始していたことを反省するのならば。
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第15回 テーマ:「イスラエル・ダンス」
(2001年7月号 2000年5月25日発売)
【登場するカンパニー:(キブツ・コンテンポラリー・ダンス・カンパニー、イドー・タドモル、バットシェバ舞踊団(オハッド・ナハリン)、アナット・ダニエリ、ヨシ・ユングマン、インバル・ピント、リアット・ドロール&ニル・ベンガル、タマル・ボレル、リナ・シュインフィルド)
(おすすめダンスは『FOSSE/フォッシー』)】
そんなイスラエルのことまで知らなくても…… と思うかもしれないが、じつにイスラエルこそ、コンテンポラリー・ダンスの新しい鉱脈であると僕は睨んでいるのである (略)
そんなイスラエル・ダンス期待の星が、インバル・ピント。バットシェバやキブツにも振り付けている気鋭の女性振付家である。演出のアプシャロム・ポラックと作った『オイスター』(01年10月来日予定)は、久々に形容に困る作品である。なんというか、壊れたサーカス。動きのパターンが意表を突きまくる。「わっはっは、てめー何しにきやがったぁ!?」とツッコミを入れたくなるようなキテレツな奴が出てくるかと思うと、微細なうえにキレた群舞を決めてみせる。
歴史的・政治的な匂いがないのもよい。他の人も一様に「関係ない」とは言うのだが、やはり匂いはあるからなあ。個人的に楽しいと思えるのは、もはや何かの系統や構造を感じさせる「ダンス」よりも、胸ときめかせる「動き(もちろん振り付けとしての)」でしかないような気がしているのだが、その琴線にバチバチくるのだ。
隔月刊誌『バレエ』(音楽之友社)連載中の記事より抜粋 へ
第14回 テーマ:「山崎広太」
【2001年5月号 2000年3月25日発売)
(おすすめダンスはローザス『DRUMMING』)
ことに最近はホント、どいつもこいつもフォーサイスもどきばっかりだ。「横や背後から白または青の照明を逆光気味にあてて、小分けしたダンサーのグループが舞台のそこここでチョコマカ踊っている」なんていうのは、もうカンベンしてくれ。ガッと踊らんか、ガッとぉ! ダンスとは「優れたダンサーが踊りまくれば優れた作品になる」というものでもないのだ(ときにはあるが)。
たとえばあなたのまわりには「目や鼻といったパーツは全て美人のなのに、トータルで顔を見るとなんか変な顔」という人はいないだろうか。いる。ダンスでもそれは同じだ。そういうダンスを、ここでは歌や小説などで言うところの「言霊(ルビ ことだま)」にならって、「振り霊が宿っていない」ということにする。
振り霊の宿る作品は、脱力していようがケレン味満載だろうが技術的にちょっとアレだろうが、無条件に胸を打つ。逆に振り霊なき作品は、どんなに深遠なテーマで、ダンサーのレベルも高く、様々な趣向と振り付けのアイデアが満ちていようと、つまらないのである。(略)
……爆発的なエネルギーを感じさせるものだが、山崎は違った。ほとばしるエネルギーをふりまきながら舞台を制圧する、というタイプではないのだ。スピードはあるが、残像だけが残る。重量がないエッジ。
理由は簡単で、彼の本質は暴力とか激しさではなく、おそらくポップな「軽(ルビかろ)びやか」なところだからだ。金髪にしてカラフルなシャツを着だしたあたりから、山崎の作品はのびのびとしてきたように思う。特徴的なのが『ピクニック』(97。00年再演)だった。
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第13回 テーマ:「ニッポンの身体(後編)」
(2001年3月号 2000年1月25日発売)
【「日本舞踊」を通して「日本人にとっての身体とは・動きとは何か」という
遠大なテーマを軽い感じで探っていく】
(おすすめダンスはH・アール・カオス『神々を作る機械』)
さて、そうした伝統芸能たる日本舞踊の精神は現代社会の若者に伝わるだろうか?伝わる。というか、伝わりまくっている。それがこのところ女子高生から名探偵コナン(TVアニメのオープニング)まで踊っている「パラパラ」である。
衣装がキモノじゃないから見落とされがちだが、パラパラには日本舞踊の基本がすべてある。まず足は左右にステップを踏む程度で、ほとんどが「手踊り」であること。そして無表情だ! ジュリアナの時には扇子を振ってたしなあ。あの「振り付け」にも、テキトーながら覚えやすいように「意味」がある(手を大きく回して「山手線」、腰のあたりにチョキを作って「切符を切る」とか程度だが)。面白いのは、皆で同じ振りを踊るのも、フォークダンスのように集団で踊る一体感を楽しんでいるわけではなく、あくまでも「一人で」「自分が目立つ快感」だということだ。同じ振りだからこそ「あいつより私の方がうまい」と実感できる。自分だけのダンスを踊るのがオリジナリティという考え方からするとだいぶ方向が違う。「習い事」が好きな日本人にとって、オリジナリティとは、確固として立つものではなく、比較によって実感するものなのか。プロの世界までそうでは困るが。
隔月刊誌『バレエ』(音楽之友社)連載中の記事より抜粋 へ
第12回 テーマ:「ニッポンの身体(前編)」
(2001年1月号 2000年11月25日発売)
【「日本舞踊」を通して「日本人にとっての身体とは・動きとは何か」という
遠大なテーマを軽い感じで探っていく】
(おすすめダンスはオペラ・ドゥ・サーカス002『太陽の第九』)
これを「西洋と日本の身体性の違い」と図式化してみると、さらに明瞭になる。
肉体賛美のギリシャ・ローマ美術を源流に持つ西洋では、多くの裸体芸術が作られた。バレエを育んだイタリアやフランスの男達はぴっちりとしたタイツをはいて、美脚や美尻を競ったのである。淑女は足首さえ見せるべきではなかった「厳格な」時代でさえ、ドレスは「胸と尻を大きく見せる」ことで、その下にある「肉体」を絶えずアピールし続けるものだった。
しかるに日本人はといえば、伝統的に「裸体/身体そのもの」にはさほど興味がないようなのだ。
江戸期の銭湯が混浴でも平気であったり、浮世絵(春画)などを見てみても、そこにあるのは銀箔まで駆使した絢爛たるキモノ(こうしたものは印刷物では見えにくいので、ぜひ実物に触れてほしい)。閨房事でさえ圧倒的に着衣のままだ。そして「局部」への執拗なこだわり。江戸時代、原版の彫り師は「毛彫り」にこそ命を懸けたそうだが、乳房などは半円にポツンと点を打って終わりである。手足にいたっては節くれ立ち、脱臼しているかと思われる方向へねじ曲げられている。
四肢の動きで見せていくバレエが、やがて「動きそのもの」へと純化され、衣装を捨ててレオタードのみとなり、バランシンやカニンガムによる抽象化への道を歩んだのは、いわば当然の流れだった。
【おすすめダンス】
オペラ・ドゥ・サーカス002『太陽の第九』10/24 - 26 世田谷パブリックシアター他
隔月刊誌『バレエ』(音楽之友社)連載中の記事より抜粋 へ
第11回 テーマ:「自由な身体」幻想
(2000年11月号 9月下旬発売)
【ダンス史に時おり現れる「自由な身体」幻想】
(おすすめダンスはフィリップ・デュクフレ&カンパニーDCA「トリトン」)
モダンからコンテンポラリー・ダンスにいたる約100年の流れの中にときどき出てくるのが、「バレエは、動きを型にはめ、ダンスの可能性の幅を狭めてしまうものだ」として、「自由な身体(もしくは人間)本来の動き」を標榜するダンスである。
こうした「『自由な身体』幻想」が流行るのは、大きな社会構造の変化、価値基準の転換があったときが多い。
60年代は長引くベトナム戦争のため、戦地で覚えてきたドラッグが、アメリカ中の若者に一気に蔓延した時代である。反戦・学生運動とも相まって世界的にヒッピー文化が席巻し、フリーセックスとドラッグ・カルチャーが喧伝された。身体と、精神への意識が変わってくる。無意識層は「新しい知覚の扉を開くために」と形を変え、若者はマリファナを吸ったり、踊ったり、吸ったり吸ったり吸ったりしていた。なにせラリってるもんだから、奇抜な思いつき一発芸は山ほどあったものの、今日に残るようなものは多くない。 隔月刊誌『バレエ』(音楽之友社)連載中の記事より抜粋 へ
第10回 テーマ:コンテンポラリー・ダンス
(2000年9月号 7月下旬発売)
【コンテンポラリー・ダンスの定義のいいかげんさと歴史について】
(おすすめダンスはワールド・ダンス・トゥデイ《振付の現在》)
コンテンポラリー・ダンスに興味を持ち始めた人が一番はじめにつまずくのが、「そもそもコンテンポラリー・ダンスって、何なの?」ということだ。調べてみても、なかなかスッキリ説明してくれるものはない。それはなぜか?
理由はカンタン。「コンテンポラリー・ダンスの明確な定義」というもの自体が存在しないからである。
カタギの衆には意外かもしれないが、専門家といわれる先生方でも、要は「バレエじゃなく、モダンダンスでもなく、なんとなく新しい、あのへんのダンス」といったところで書いているのである。UFOの定義(「よくわからないけど空を飛んでいる物体」)というのと大差ない。
「エライ先生方が誉めている話題のカンパニーを見て、面白くも何ともないんだけどそれは自分の理解力が足らないせいなのだろうから、どういう意味だったんだろうかと一生懸命考えて、次第にメンド臭くなってダンス自体を見なくなる」というのが一番良くない。断言するが、そういうのは嫌っていいのだ。「世間ではどうか知らないけど、私には合わない?というのが正しいスタンスである。
もっとも振付家の中にも「意味を問わないと不安な観客」を揶揄する連中は多い。 まあ自分はもっと高尚で形而上学的な世界を創っているんだとでもいいたいんだろうけど、それは逆だよ。もしも振付家が圧倒的なパワーの舞台を創っていたら、客は「なんだかよくわからないけどスゴイ」と魂をふるわせ、もはや問いかける言葉すら持たないだろう(実際のところ、専門家の舞台評を読む意味があるのはこういうときだけだ)。しかし舞台がショボいからこそ、観客はせめて頭で理解しようとして「意味」を求めるのである。
隔月刊誌『バレエ』(音楽之友社)連載中の記事より抜粋 へ
第9回 テーマ:アメリカン・馬鹿ダンス
(2000年7月号 5月下旬発売)
【登場するカンパニー:ピロボラス・ダンス・シアター、MOMIX(モミックス)、ISO(アイソ。I'm So Optimisticの略)、パーソンズ・ダンス・カンパニー、ムーバース、スーザン・マーシャル&カンパニー、マイケル・モシェン】
(おすすめダンスは「ニューヨーク・シティ・バレエ」)
ショウビジネス以外のダンスにおけるアメリカは、けっこうコワモテである。イザドラ・ダンカンらモダンダンスの元祖といわれる人々を生み、さらには情念おばさんのマーサ・グレアムやコンセプト親父のマース・カニングハムという二大巨頭。それ以降の世代でも、虐げられたマイノリティ人種や女性の歴史を訴えたり、エイズで死んだ恋人への追悼のダンスを踊るような流れがある。そもそもアメリカは最も開放的な部分と最も保守的な部分を併せ持つ社会だ。彼らの主張をクサすつもりはないし、問題の重要性もわかるけど、僕のようにヤサぐれた魂を持つ者は「誰も反論できないくらい正しいこと」を直球で見せられると、「うわっ、ダサッ」と思ってしまうのだ。
というわけで、アメリカン・ダンスはエンタテイメント系に限る。で、実力のある者が馬鹿をやってくれるくらい贅沢なことはない、という敬意を込めて、それらを「アメリカン・馬鹿ダンス」と名付ける(注2)。それはゲイジュツのしすぎで頭でっかちになったアメリカン・ダンスへのアンチ・テーゼとして出てきた。「わかりやすいこと」を恐れない。僕の「ヤサぐれ舞踊批評」と通底する姿勢である。
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第8回 テーマ:イデビアン・クルー
(2000年5月号 3月下旬発売)
(おすすめダンスは「ネザーランド・ダンス・シアター 2」)
かつてこういうことを描かせたらピカイチだったのがピナ・バウシュだ。日常的な振りを使い、やはり「(ディス)コミュニケーション」を描く。だがそれは「女が男に抱きついては落とされて、を繰り返す」というように、コミュニケーションを渇望して満たされない、とても切実なものだったはずだ。
しかし井手の場合「渇望」まではいかない。コミュニケーションが閉ざされたとき、そこにあるのは「絶望」か? いや。ただただ「気まずさ」があるばかりなのである。 だがこれこそ、現代社会のコミュニケーションの本質ではないだろうか?実際の生活におけるコミュニケーションでは、本当に伝えたいことほど伝わらない。だから携帯電話やインターネットなど「メディア越しのコミュニケーション」が発達する。これらは直のコミュニケーションが持つ「気まずさ」や「しんどさ」を軽減してくれるからだ。それどころか「面と向かうと言いづらいことでも、電話だったら言える」というように、リアリティはよりバーチャルな方へ移行している。
だいたい、僕らは「魂のふれあい」などを本気で求めているだろうか。ないならないで、なんとかなっているのではないか。インターネットやメル友、はてはテレクラなど仮想のコミュニケーションは花盛りだし、オタクのように好きなことをやってればシアワセになれるだけのモノも豊富に溢れている。いざとなればストーカーのように、「一方的なコミュニケーション」という道だってあるだろう。他人から見てどうかはともかく。
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第7回 テーマ:H・アール・カオス
(2000年3月号 1月下旬発売)
(おすすめダンスは「ヴァンサン・デュノワイエ」)
たとえば『秘密クラブ…浮遊する天使たち』の再演(93年。注2)。オープニングから、宇佐美道子ら恵まれた肢体の女性たちが黒のボンデージ姿で神秘的な静けさをたたえて宙に浮いている。カオスの特徴のひとつであるワイヤー・プレイだ。同趣の作品はそれまでにも観ていたが(注3)、椅子の上につま先立ち、宙に腰掛けてみせる浮遊感は、この世ならぬ美的陶酔をもたらす。しかし次の瞬間、女性たちはまるで解体された肉塊のごとく、無惨な逆さ吊りにされてしまうのだ。
このわずか数分間に、エロティシズムの根幹である生と死を濃縮してみせる、ゾッとするほどの切れ味。「いいダンスを見た」というよりも「なにかとんでもないものを見てしまった」という共犯者のような気がしたものだ。
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第6回 テーマ:オーバー・ドライブ系
(2000年1月号 11月下旬発売)
【登場するカンパニー:ラ・ラ・ラ・ヒューマン・ステップスとウルティマ・ヴェス】 (おすすめダンスは「ラ・ラ・ラ・ヒューマン・ステップス」)
たとえば美しいバレエを観ても「ああもう完璧さまでございます」とワケもなくふてくされてみたり、コンテンポラリー・ダンスを観ても横で脱構築がどーとかデリダがどーとか得意げにヌカしている小僧にヘキエキし、たまらん気持ちでゴミ箱けっとばして小指をくじく、そんな人間的に上等でも上品でもない連中…… 私だったりするのだが、そういうヤサぐれた魂すら一撃でカッと灰にするのが「オーバー・ドライブ系」である。
それはなにか。
私がダンスを見るときの基準は、まず「動きによる衝撃」である。そこには「オリジナリティ」「テクニック」、さらに「前代未聞さ」「お笑い度」「とんでもなさ」など様々な要素が入ってくる。だからパフォーマンスくさいのをみると「動けねーからって装置やらコケ脅しで誤魔化してるんじゃねーよ」とまで思ってしまう。ヤサぐれているからね。しかしかなり例外的に、振付というか舞台そのものの衝撃が、テクニック的な部分を凌駕して胸に迫ってくるときがあるのだ。それが「オーバー・ドライブ系」である、というか、私が勝手に命名した。
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第5回 テーマ:フランス・ヌーベル・ダンス
(1999年11月号 9月下旬発売)
【登場するカンパニー:マギー・マラン、ダニエル・ラリュー、アンジェラン・プレルジョカージュ】
(おすすめダンスは「維新派」)
『ウォーター・プルーフ』(86年)という作品だ。これは水の中で踊るもので、ビデオ作品にもなっている。ロングコートを着た男がプール中央でゆっくりと立ったまま浮いていたりして、なんともおかしい。実力のある人間が全力でバカなことをやってくれるくらい楽しいことはないな。
しかしビデオ版には「水底から水面に向かってライトを当て(鏡面のようになる)、そこへゆっくりとダンサーたちが浮いていく」というシーンがあり、これを上下反転させると、まるで人々が水銀の海にゆっくりと墜ちていくような、息をのむほど美しいシーンになる。さすが、ただのバカ者ではなかったのかと感心していると、水底に沈めたライトは防水装置のない普通のライトを密閉したもので、ラリューは感電しないかドキドキだったという。やっぱバカ者なのかもしれない。
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第4回 テーマ:ウィリアム・フォーサイス
(1999年9月号 7月下旬発売)
しかしそれは「ダンサーの去勢」ではないのか? 三角形(舞台)に適合するよう浮動点を整数化されてしまっているのでは?
これは今は何とも言えない。現時点でフォーサイスの理論は、ダンサーから奪うよりも与えることの方が圧倒的に多いのはたしかだろう。クラシック・バレエでは考えられなかったほどの可動域をもたらしているからだ。その意味では「ダンスの虚数化」という方が正しいかもしれない。両者は驚くほど高次で機能しあっているのだ。
しかしいずれフォーサイスの理論/振付を破壊/乗り越えるほどのダンサー/振付家が現れてくることも、進化の必然だろう。早く見積もっても半世紀はかかりそうだが。
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第3回 テーマ:ピナ・バウシュ
(1999年7月号)
カニンガムたちは「ダンスに意味は必要ない。ダンスはダンスそのものによって語るべきだ」というテーゼを掲げて容赦なくダンスから意味を剥ぎ取り、徹底的に解体していった。いわば「純粋舞踊」とも言うべきもので、世界中からアメリカへダンスを学びにくるという状況を生んでいた。国費留学生だったピナに要求されたのも、それだったかもしれない。
だがピナは、むしろ古いとされていた心理描写を重視するアントニー・チューダーに師事している。新しい時代の熱を肌で感じながらも、そちらへは行かなかった。ここが肝要で、最先端は、鋭いぶん、せまいのだ。ピナには、カニンガムらが切り拓いたダンスの極北を「ふむふむ」と眺めた上で、「やっぱりつまんないや」とヨーロッパ伝統の意味性・物語性の世界へ半分だけ戻ってきた印象がある。
そう、一番豊かな「真ん中」へ。
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第2回 テーマ:勅使川原三郎
(1999年5月号)
無礼を承知で言わせてもらうが、勅使川原は頭が大きく手足も短く背も高くはない。つまり体型的に「バレエの王子様役」には向いていないのだ(ああ本当に失礼だ)。しかし逆に、その体型でしか踊れないオリジナルのダンスを創り上げたのである……と口でいうのは簡単だが、そんなものが鑑賞に堪えるレベルになる確率は数万分の一だ。まして世界のトップレベルの高みにまで昇華されるなど、奇跡としか言いようがない。まさに天才の所業なのである。
しかし実際の舞台では、勅使川原があまりにも緊密に空間を支配するため、他人は「異物」になってしまう。そのためかソロ作品が多かった。……(略)何人出てきても、僕にはすべて勅使川原という実体に映った朧(おぼろ)に見えた。
存在感がないとかではなく、遠い天体で踊る幽体たちのような、すべてが完全に融けあった「孤独な親しみ」を感じるのだ。勅使川原の振付に、リフトはもちろん他人と肌の関わりがほとんど見られないのもそのためかもしれない。
隔月刊誌『バレエ』(音楽之友社)連載中の記事より抜粋 へ
第1回 テーマ:暗黒舞踏
(1999年3月号)
80年代といえば、漫才ブームにバブルの到来である。「なにかやりたい、それもお手軽に」が同時代の気分だ。結果、舞踏の形だけ真似するタワケ者が続出した。僕もさんざん見せられては、「どうしてオレはこんな暗くて暑くて狭いところで、白塗りされた男の肛門が床を転がっていくのを見ていなければならないのだらう」と切ない気持ちになったものである。
だが、それだけだろうか。当時僕は、土方の高弟だったという人のワークショップに行ったことがある。驚いたことに、先生から「自由に動け」という指示が出ると、お弟子さん達は、いっせいに内股で背中を丸めて白目を剥いた「あの格好」になったのである。先生は満足そうにこう言った。
「そう。こうなって初めて舞踏が誕生したわけですね」
なんだ、型にはまってたのはシロウトだけじゃなかったのか。なんで「自由に動け」で白目まで剥いてんだよ。
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