98年5月ホノルル・サンフランシスコ日記

1998年5月ハワイ州ホノルルにおけるUSCPA試験受験体験記。

4月29日(祝) 4月30日(木)
5月4日(月)  5月5日(火)  5月6日(水) 5月7日(木)  5月8日(金)  5月9日(土)
5月10日(日)  5月11日(月)  5月12日(火)


4月29日(祝) 外はいい天気

 けっきょく受験票が届かないので、午前一時くらいにCPAESに問い合わせの電話。結果、試験会場はオキナワセンターと判明。ワイキキにホテルを押さえていたが、これでは遠すぎるので、ホリディイン・エアポートを押さえることに決める。といっても、今日は祝日。旅行代理店もホリディインの予約センターも営業してない。明日か。

→ ああ、WaipahuのOkinawa Center。Ketchikan受験者が回されたような気がするのは、考え過ぎか。でもケチカン受験組がOkinawaでアンカレッジとかはみなDole(のような気がする)。ぜったい何かがおかしい。

→ 今から考えれば、ホリディイン関西空港にでも直接電話すれば、それで全世界のホリディインの予約ができたはずだ。

このページの先頭に戻る▲

4月30日(木) 外なんて見てません(泣)

 ホリディインホノルルエアポートの予約を確保したところで、ワイキキの某O-Hホテルの予約を変更。ホテルクーポンを使ってしまっていたため、もはやキャンセル料が発生する状況(この日の段階で、もはや渡航二日前になってしまうのである。日数の勘定に入れるのは営業日だけだ)で、宿泊日数を減らす形の日程変更ならギリギリまだ無料だった。よって試験終了後、ホリディインはチェックアウトし、某O-Hホテルに移ることにした。

→ そういうこともあるので、決してツアーだとか、クーポンのような、代金先払いの方法を使って旅行をしてはならないのである。まあ、旅行に限らず何にしろ先払いはなるべく避けるべきだ。(このあたりの意思決定をミスったのは、ちょうどこの頃、精神的にかなり追い込まれていたため)

→ それもさっさと予約してしまっていたわけではありません。試験会場が決まらないため(受験票が来ないので)WaikikiのO-Hを押さえるのもギリギリまで待ちました。予約を確定させ料金を払いこんだのは4月22日です。自分で手配すれば、ゴールデンウィークのこんな時期でも、(ホテルは)取れます。

このページの先頭に戻る▲

5月4日(月) 曇り一時晴れ

 とりあえずホノルル空港に着く。一人でホリディインのエアポートへ向かおうとするが、場所がわからない。U.S.E.N.の友人が、「空港の前や」などといかにも歩いていけそうなことを言っていたが、大ウソつきである。結局空港の無料電話で迎えに来てもらうように頼む。

→ アメリカでは多くの場合、空港を出たところにタクシー、エアポートシャトルなどの乗り場とレンタカー会社やホテルのお迎えマイクロバスが客を拾うための"アイランド"があります。そのアイランドで待っておいて、自分のお目当てのレンタカー会社やホテルの車が来たら手を振って止め、乗せてもらいます。

 チェックインを済ませ、ロビーでブラブラなごんでいると、AAS時代の友人、Kさんが現れ、歓喜の再会。KさんはAASからANJO、-)はAASから大阪のU.S.E.N.に移ったというお互いの経過を報告。Kさんは残りAUDだけということで、AASでも-)より先へ進んでいただけのことはある。

→ -)は最初、東京のAASに「通って」いました(月に一〜二回くらい)。確か、まだ大阪で講義を行っている指導校がなかったもので。知らなかっただけかもしれない。

 が、喜びもつかの間、ラルフローレンのサングラスをなくしたことに気づく。大学時代、○万円のゴルチェのサングラスを一週間でなくしたことを思い出し、-)はサングラスには縁がないのかもしれない、と思った。(11月にまた同じのを買った)

→ -)は学生時代、塾の講師というバイトをしていたこともあり、ちょっとお金持ってました。ある程度蓄えてあったということも、CPA受験の道を選んだ要因のひとつです。

 そして、ちゃっかりANJOの試験直前セミナーに参加し、試験会場までの送迎バスに便乗させてくれるよう頼む。O.K.してもらう。

→ 今はたとえANJOの受講者であっても有料(それも$30とか)らしいと聞きました。

このページの先頭に戻る▲

5月5日(火) 曇り

 ホリディインワイキキエアポートの周りには何にもない。当たり前かもしれんが。そこで、お昼、U.S.E.N.の知り合いと三人で空港の中のバーガーキングに行く。もちろん、手荷物のエックス線検査を受け、金属探知機のゲートを潜って、堂々と入った。
 もっとも国際線ならこうはいかないのかな。行ったのは、ネイバーアイランド路線のターミナルだったから。

このページの先頭に戻る▲

5月6日(水) 曇り時々雨

 晩の2時だろうが朝の4時だろうが関係なく飛行機が飛んでいるうえ、ホテルのまん前をH-1ハイウェイが通っており、飛行機と車の爆音で眠れやしない。ここまで三日間合計で八時間しか眠れていない状態で試験一日目を迎えてしまう。体だけは休めておいたが。
 朝から行きのUAで汚してしまったシャツとジャケットをクリーニングに出し(自分のミスで汚したので、UAに責任を取らせるわけにいかなかった)、ロビーに集合。ANJOの送迎バス便乗で試験会場に向かう。15分くらい。ぞんがい近かった。それにしても、ANJOは太っ腹だ。-)も移籍しちゃおうか。
 睡眠不足が続いていたこともあって、LPR終了後、会場の外のコンクリート床でダウン。見苦しい姿をお見せしました。
 m(_ _)m

 ANJOの社員の方が、昼食用に手配したお弁当がひとつ余っているから食べないか、と声をかけてくださった(何でも、念のためひとつ余分に頼んでおくようにしているらしい)が、今何か口に入れたら、そのまま口から出てきそうな気がして、食べられそうになかった。もっとも、もともとチョー食が細いので、食べなくても別に困らないのだが。それにウィダーインゼリーを一科目につき一つずつ持ちこんで、試験中に摂っている。
 それにしてもANJOは太っ腹である。無関係の-)をタダでバスに乗せてくれ、その上みんな$15払って申し込んでるお弁当までくれると($15払うほうも払うほうだと思う)。それともANJOへの勧誘活動だったのか。だったらムダだぞ

→ 今ではあり得ないらしい。

 AUDは体調も回復。誰かが会場責任者に「空調が寒い」と訴えたらしく、テスト開始前に、冷房を弱めたほうがいいと思う人は手を挙げてくれ、と呼びかけがあったが、今日の天候に対応してセーターなどを着ているヤツさえいるローカルが手を挙げるはずもなく、手を挙げたのは少数の日本人だけ。チョー寒がりの-)は手を挙げたけど。(もっとも、あきらめてるので最初からサマージャケットに長袖バスクシャツを着ていってる)
 常夏のハワイだ、などと思いこんでTシャツに短パンサンダル姿で震えている受験者ども、てめーらが平気なはずなかろう。寒い、って何人も言ってたくせに。
 明らかに手を挙げている人のほうが少ないので、空調は今のままにする、と会場責任者が述べたのは当然の結末で、これが民主主義だ。

 エッセーのできから考えれば今日の二つはなんとかなっているだろう。OOAFもそう大したことなかったし、あの程度の問題で合格できなければ、AUDはもう一生合格るまい。

このページの先頭に戻る▲

5月7日(木) ずぅっと雲がち

 チェックアウト後、荷物を預けてそのままロビーに集合。6:00。安生先生、いくらなんでも集合時間早過ぎます。
 試験も適当に終わる。昨日に懲りて今日はセーターを着ていったが、もう一度会場責任者が、空調が寒いと思う人は手を挙げて欲しい、と聞いてみてくれた。昨日頼まれた方が、日本人は昨日、空調の話を聞き取れなかったようだから、もう一度だけ聞いてくれるように、とお願いしたらしい。それを聞いてアメリカ人受験生は思わず失笑。恥ずかしかった。
 でも、昨日聞き取れなかった連中が、今日は聞き取れるか? 果たして結果は同じ。これも民主主義である。(そうかぁ?)
 試験が終わったあと、同じく手を挙げておられた顔見知りの女性の方(お互い、受験歴長いんです)と、しみじみ嘆いた。
 試験会場が寒いと文句を言ってたボケども(いーっぱいいたぞ)、文句を言いたいのはこっちのほうなんだよ。
 (`´#)凸

→ もっとも、-)もはじめはそうでした。最初の受験では、やらかしてしまってます。

 FAREはスケジュール、エッセーとも書きやすい問題だった。MCは最初からあきらめている(全問を解こうとは思っていない)。今回はエッセーを読む以外に勉強をしておらず、よってエッセーのないAREは適当である。
 夜、ホリディインに泊まっていた七人でO-Hホテルに移る。このホテルについてはいくらでも悪口を言おう。

→ O-Hではなく、ホリディインに泊まるよう助言してくれたMさん、同じく、別のホテルに替えろと言うYさん、大変感謝しています。あんなところなんかに泊まったのでは、絶対に合格していなかったはずです。もともと投げやりで受験に行ったわけだし。
 前払いしなければいけないホテルクーポンの場合、急な予定変更などがあると、ギリギリのところで思わぬムダな出費をしなければいけない状況に陥ることがある。ましてや、団体パックツアーなどではまったく融通が利かない。やはり、受験に限らず、旅行は自分で手配すべきである。

試験会場情報 オキナワ・センター Okinawa Center

オキナワ・センター。なんかNBAのホームコートの名前みたいでかっこいいですな。場所的にはホノルル国際空港からワイキキへ向かうちょうど逆方向に同じくらいの場所にあります。Waipahuです。空港のそばのホテルが近くていいなどと言われますが、距離的には半減するだけなので、はっきり言って無意味だと思います。ワイキキに宿泊しておろうが空港エリアだろうが、どうせ車でないと行けないのは同じ。とすれば、生活に便利でロケーションの選択の幅が広いワイキキに宿をとることをお勧めします。言っておきますが、空港の周りはろくに店もありません。観光エリアワイキキのほうがはるかに便利です。

このページの先頭に戻る▲

5月8日(金) 曇り午後から晴れ

 昨日O-Hホテルに移ってきた七人で車を借りてどこかへ行こうという話になり、近所のレンタカー屋に都合よく七人乗りのミニバンがあったのでそれを借りる。
 で、適当に走りつつ、カイルアへ。午後からは晴れてきたし、カイルアビーチは非常にいいところだった。ここを知ってしまうと、ワイキキビーチには戻れない。
 CPAの参考書を物色しに、ワードのボーダーズへ行く。そこでわれわれに声をかけてきた東京のU.S.E.N.の女性を拾って、総勢八人でワイキキ郊外の某ベトナム料理店(ちょー有名な店です)。イマイチ。
 みんなはおいしいと言っていた(地元でもおいしいと知られているらしい)ので、けっきょく-)の好みの問題。タイに旅行したときも、タイ料理をそうおいしいとは思わなかったし、中華も好きじゃない。どうやらアジア料理は合わないようだ。
 あちこち回って疲れたせいか、夜、ついに眠くなってくれたので寝る。

このページの先頭に戻る▲

5月9日(土) なんとはじめて快晴

 もう部屋の中にいるだけでも苦痛なので、起きてからすぐにロビーへ。一人でロビーなんかにいるものだからちょくちょく話しかけられ、ヒスパニックの女の子の荷物を見てあげたり、ミシガンステートの学生だ、という男などとおしゃべりしたり。うまく聞き取れないのがほんとに悔しい。
 サンフランシスコに向かう搭乗前、待合室でロコっぽいかわいい女の子に話しかけられたが、これも聞き取れなかった。そりゃ、日本人が21:35の便でホノルルからサンフランシスコに飛ぶなんて、向こうも思わないだろう。手加減無しに話しかけてきた。
 ああ、悔しい。あれが逆ナンだったらどうすんだよ。(どうにもできんが)

このページの先頭に戻る▲

5月10日(日) 晴れ

 ワイキキエアポートのホリディインに泊まったとき、会員になってしまったので、惰性でユニオンスクエアのホリディインに部屋が空いているかどうか空港から電話をして聞き、ノンスモーキングでキングサイズベッドの部屋が$129で、ということで一泊することに。
 サンフランシスコは全米でニューヨークの次にホテル代が高い街である。ホリディインクラスが$129ならとんでもないディスカウントだ(JTBでも「それはものすごく安いですね」、と感心された)。最初から二泊で交渉すればよかった、と思いつつエアポートシャトルでホリディインへ。
 ディスカウントの理由が新たにひとつわかる。改装工事中だったのだ。もっともロビーなどの改装で、客室には関係ない。
 部屋に入ると、O-Hの○倍くらいの大きさ。角部屋だったが、七階だったので眺望は期待できない。が、ちゃんとデスクとテーブルと机があって、ソファとチェアがあって、リビングルームとベッドの間にいちおう、ちゃんとしきりがあった。そういう程度の部屋です。
 避難用の地図を見たらフロアでいちばん大きい部屋だった。フィットネスルームより広い。この部屋に入った瞬間、品質は割に合う、ということを実感した。それなりのものはそれなりなのだ。
 O-Hを体験しただけなら、また安物買いの銭失いの失敗を繰り返したかもしれない。もっともO-Hには\9,300払っている。これじゃ高物買いだ。

→ いいホテルと安物ホテル、何が違うのか?
   答 ベッドのスプリング。ただ、それ以上に狭い部屋がダメ。誰かと同室、が耐えられないのもそれで。

 夜行便だったし、ここまで疲れもたまっていたので体もきつく、こんなにいい天気なのに、と思いながらも部屋でなごみ、昼から出かける。

→ ディスカウントの理由は、まずとりあえずは空いていたというのがひとつ。ホテルにとって部屋というのは魚屋の鮮魚のようなもので、どれだけ安く売っても、売れ残るよりはいい。
 もうひとつは日曜だったということ。N.Y.やS.F.のようなビジネス都市は、週末のホテル代は安くなります。逆にべガスのような街だと平日が安く、土曜日のチェックインはできなかったりします。
 ホリディインにもう一泊できないか交渉を試みますが、だめでした。コンプリートリーにソールドアウトしていると言われました。当然ウソでしょう。まだまだ修行が足りない。

このページの先頭に戻る▲

5月11日(月) 雨時々曇り一時大雨

 サンフランシスコはいま乾季のはずじゃないのか、という冷たい天気、なんと寒さで目覚めてしまう。部屋が大きいので空調が追いつかないのだ。チェックアウトし、荷物を預けてから、市内のJTBで今晩のホテルを相談して押さえてもらう。
 そのあと、懐かしの学校へ行ってみる。さすがに生徒は多くが入れ替わっている。先生に聞くと、今年のサンフランシスコは異常気象らしい。五月にこんなに雨は降らないと。
 で、あのとき一緒だった連れと、-)が帰国した後やってきた広島の人、タイ娘と四人で、-)がまだ行っていなかったゴールデンゲートパークへ行ってみた。とことん広い。
 今晩のホテルはHotel Milano。1996年にできたばかりという、新しいおしゃれな雰囲気のホテルで、-)が泊まった部屋は黒白モノトーン統一だった。洗面所に、蛍光灯と、写真を焼くときのあの赤いランプの両方がついていたので、やはりアーティスティックなホテルだ。だいぶディスカウントで泊まったが、けっこう女性にお勧めです。場所もパウエル駅のすぐそば(坂を登るのでなく、サンフランシスコショッピングセンターの裏手のほうです)。

このページの先頭に戻る▲

5月12日(火) 朝から土砂降り

 空港へ向かうエアポートシャトルで、白人の女性が「ナイスウェザー」と発言。車内が苦笑に包まれる。けっきょくハワイとサンフランシスコ九日間で二日間しか晴れてないぞ。すごく損した気分。誰だ、雨男は。って、オレと同じ行動をとったヤツはたぶん他にはいないのか。(_ _;)/
 出発一時間前を切って空港着。もうちょっと余裕もとう。あせった。

San Francisco観光案内

このページの先頭に戻る▲


  CPA受験日記

   -) | サイトマップ |