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アラスカ州委員会から受験票と試験会場届く。けちかん。え、Ketchikan? ・・・やられた。聞いてないとはこのことだ。
→ このときの条件は以下の通り。
さすがにこの条件では、今でも、自分で手配するかどうか迷うと思う。自分でするけど。実際、このときも個人手配の方がおられたんですし。(あとで知った)
U.S.E.N.からやっとこさFAXが流れてきた。受験ツアー日程は出発3日、帰国11日。あさってやん。ツアー料金\198,000(プラス確か前払い五万円)を振り込む。
→ もっとも(当時は知らなかったのだが)ゴールデンウィークのようなピーク期のパックツアーでは、出発前日に旅程が決まることもままあるそうな。
→ 今から考えれば、受験ツアーに申し込んだからケチカンに回されたのだ、と信じる。受験ツアーだったから、団体申し込みだから、まとめてケチカンに振り分けられたんじゃなかろうか。当然、指導校と州の委員会でやりとりしてますから。
当時は、自分で手配できる実力も自信もなかったが、自分で手配できていれば、もっと安く済んだはずだ。GW最中とはいえ、三日発ならピークではなくショルダーのはず。
受験ツアーの詳しい日程、料金がこんな直前になるまで回ってこなかったのは、それまでエアが確保できてなかったからだと。団体だと人数が大きいから十分にありうる。
あとで聞いたところによると、ハンパじゃなく本当にヤバかったらしい。マジで行けない可能性があったと。
悪友(たびたび登場するK)などは、なんとかしてバンクーバーまでは行って、「そっからひっち(ヒッチハイク)」する覚悟を決めていた。(たしか、ヒッチハイクは違法(爆))
自分で手配すれば、自分一人だけなので、コミコミの厳しい時期でも何とかなるものだ。
友人に「どうしてもアンカレッジにして欲しい」とカバーレターを添えて願書を出し、それが効いたのかどうかは定かでないが、アンカレッジで受験できた人もいる。あっちは基本的に言った者勝ちだし、言って損をすることはない。
だってケチカン、人口一万何千人ですよ。もしかしたら、キーアリーナに全市民入れますよ(笑)。そりゃアンカレッジのほうが絶対面白そう。
(以下2002年2月加筆)
ケチカンという町は、邦人でも水産関係者は結構行っているのだそうです。商社で水産関係で働いていらっしゃった都合、長期滞在されておられた方が教えてくださいました。自然がいっぱいで、すごくいい思い出ばかりの町なのだそうです。
いよいよアラスカへ出発。関空で少し迷い(団体集合場所がわからなかった)、ツアー集合時間に少し遅れる。何と、大学に入ってはじめてできた連れで、アメリカへ行くと言って失踪中だったKに再会。まさか、同じU.S.E.N.で同じCPAの勉強をしていたなんて。三年ぶりくらいの再会。
シアトル行きのノースは喫煙席になってしまった(団体ツアーは座席が指定できない)ので、禁煙席だったタバコ吸いYと席を替わった。しかし、まったく変わらないと言っていい。最後部の席だったため、はっきり言って喫煙だろうが禁煙だろうが同じ。
→ このときはじめてノースに乗った-)は、一生ノースには乗らないと決めました。もしノースが全席禁煙だったら、あの悪いサービスも我慢できたかもしれません。それともサービスもあの便だけが格段に悪かったのかも知れない。たぶんそれはないと思うけど。いずれにせよ、最初の印象は尾を引きます。
09:05、シアトル・タコマ空港に着陸。入国審査。全員、正直にCPA受験が目的である、と答えるように意志統一。並んだ列はけっこう厳しい入国審査官とスーパーフレンドリーな入国審査官、順番でどちらかに回ることになった。
厳しそうな審査官は、みんなにかなりいろいろと聞いている。-)もパスポート、入国カードに受験票を用意した。覚悟したが、けっきょくスーパーフレンドリーな入国審査官へ。おずおずと受験票を見せると、「おまえみたいなやつがCPA?? ハハハハハ」で済んだ。そのとき-)はロン髪だった。
/^^;;\
→ とはいうものの、入国審査には気をつけたほうがいい。
参加者に直接聞いた話ですが、97年11月にサウスダコタ州へ向かった受験ツアーが、デトロイトでの入国審査で、入国目的を「観光」と答えたところ、「こんな時期に日本人がサウスダコタなんかに観光で来るはずないじゃないか!」と責められ、あわてて「CPA受験」と答えたところ、今度は「日本人がCPAを受験なんてするはずないだろう!!」と責められ、受験票を見せたところ、「なぜ最初ウソをついたんだ!!!」と責められた、と。
聞いてる分には笑い話ですが、東京の女の子がそのあまりの剣幕に泣いてしまったとか。もし入国できなかったらどうするんだろ?
入国審査ではなるべく英語はまったく分からない、海外に慣れていない様子を装うほうがいいのかもしれない(どうせパスポートのスタンプ見られてモロバレか)。
→ デトロイトの入国審査は厳しいと聞いたことがある。ビザが不必要な、いわゆる短期の語学留学生が入国拒否されたことがあるらしい。
アラスカエアラインへの乗り継ぎが何やらトラブル。付き添いのU.S.E.N.社員の英語力では交渉できず、信じられないことに、シアトル現地ガイドのおばチャンも実はたいして英語が話せるわけではなく(何のためのガイドなんだ?)、
「みなさんの中にどなたか英語がお上手な方はいらっしゃいますか?」(爆)
けっきょくIさんが航空会社のカウンター職員と交渉にあたってくださったのだが、なんちゅ〜ツアーや。
乗り継ぎは10時間半待ち。ケチカン行きじゃなぁ。結局空港の隅の待合室でずっと待つだけ。KとO君と二人で時差ボケ封じのため、寝ずに勉強しようとする。しかし、結局シアトル時間の17:00すぎから30分ほど寝てしまう。
一方、同じツアー参加者でも、自分でホテルへ行って仮眠を取ったSさん、勝手にシアトル市内観光に行ってしまったIさんなど、実力の差をまざまざと見せつけられることとなった。
→ ツアーで行くと、自分の意志で行動しようと言う気がなくなる。これが一番の問題。誰かがやってくれる、と思ってしまう。でも本番の試験では誰も助けてくれない。合格しようと思うのなら、自分で手配していくべきだと思う。
受験ツアーは、友達作りと慣れのためにはいいかもしれない。事実、このツアーで何人か知己ができました。一度受験しておくと、二度目からはものすごく余裕ができる。(余裕がありまくると、-)のように何度も受けるハメになる)
(--;)
一年計画の方は、条件が許せば本番半年前に一度、腕試し受験されることをお勧めします。
待合室でついに東京組のツアー参加者と合流。みなテキストを広げている。おおっ、やっぱ東京人はキアイが違うぜッ。
19:50、ケチカン行きアラスカ・エアラインが離陸。21:35、ケチカン着陸。またも時計を一時間戻す。大阪組のホテルはSUPER8モーテル。ホテルの真横にあったマクド(関西人はマクドと呼ぶ)ヘ行き、それから風呂に入って寝る。
02:00、05:00に二度目覚める。めちゃだるい。めちゃ明るい。さすがアラスカ。08:30から17:00まで寝てしまう。時差ボケ封じのために昨日寝なかったことが完全に裏目に出た、というところ。17:00、HさんからのTELで目覚めるが、また寝てしまう。その後,Iさん,O君とマクドへ。23:00ごろ,寝る。
ポテチをモーテルの自販機で買うが、異常に塩辛い。でも水道水がすごくおいしい(大阪と比べてはいけない)。
17:00、ロビー集合。受験ガイダンスへ。終了後,Iさん,Kさん、京都の信金の方と四人で食べに行く。エグい料理だった。中華もどき? 思わずチップにペニーを混ぜてしまう。
→ チップにペニーを混ぜるのが無礼なことだと、そのときは知りませんでした。教えてくださいよ。(T_T) もっとも、あまりにまずかったための抗議だと勘違いされていたのだろうか。(全員がそれを「試食」してます)
ケチカンのレストランのシェフの名誉を守るために付け加えると、後日Iさんは、もう一度そのレストランへ行き、中国人シェフに「頼むから、日頃自分が食べているものと同じ物を作ってくれ」と注文したところ、たいへんおいしい普通の中華料理を食べられたそうです。あ、これじゃケチカン市民の名誉を傷つけることになってしまうか。
もっとも、-)は中華料理自体、そう好きではありません。
05:00に目覚め、TV(おいおい)、風呂。07:00ごろ買い出しに出る。09:00、寝てしまう。17:00、目覚める。時差ボケ、取れてない。
やることがないので(何でやねん!)NBAばっかり見てる。-)はインドアはバレー一筋で、バスケには興味がなかったが(NBAは「ハゲが空飛んでる(爆)」くらいのもんだった)、面白さに目覚める。
それにしても、ここ、東海岸と四時間時差があるんで東海岸のプライムタイムが夕方。こっちのプライムタイムが向こうのド深夜。
→ よく考えると、ハワイはもっと時差がある。
大阪時間に合わせておいた予備のスウォッチが止まってしまっている。電池切れだ。予備の時計を持っていてよかった。
07:00ホテルロビー集合。07:30には試験会場到着。何か州兵の体育館っぽい。だって、天井からレンジャー訓練みたいな登り綱が垂れ下がってるもんな。LPR。時間が足りない。
暖房などない。現地の人の感覚では暑いのだろう。半袖ポロシャツのプロクターがいた。-)は厚手のセーター。
昼休み。U.S.E.N.ツアーバスの中で用意してもらったランチを食べた。だって、到底、待合室に全員なんて入り切れんし。
12:30ごろ会場に戻るとプロクターの出頭命令。AUDは後ろに一人隔離されて受験する。15:30。終わってしまった(笑)。これ以上解くところがない(爆)。さすがに提出するわけにも行かず、ぶりょーの時を過ごすが、17:30には提出してしまう。まったくわけ分かりません、あのエッセー。後ろで一人ポツンとはぐれていたので、寒い。コート姿で受験。
昨日の出頭命令が気になってしょうがない。めちゃくちゃイライラする。ARE。電卓が壊れてた。すぐに取り替えてもらう。(この程度の英語は話せる人だけ受験しに行くこと)
11:00すぎ、全部仕上がって試験会場を出る(諦めが早いというか、解ける問題は絶対に解けるし、解けないものは解けない)。
試験会場の椅子(よくある折り畳み椅子)は座るところが金属剥き出しの古いものと、ちゃんとスポンジクッションがついているものとが、ランダムに配置されており、さながら運試し(笑)の様相だった。ホテルから座布団替わりに枕を持ち込んだ方もおられたらしい(持ち込みが許可されたのがまたまた謎である)。もっとも、椅子を換えてくれ、と頼んで換えてもらった方もおられるらしい(言った者勝ち)。
実はこのAlaskaが当時全米最後の「会計単位を要求しない」CPA試験だった、ということもあって、(勉強の進度も含めて)受けられるかどうかわからないが、いちおう申し込みだけしておこうという方がかなりおられた上に、ケチカンということもあって、かなり多くの受験生が受験を断念(欠席)したため、会場はけっこうガラガラだったのです。
提出後、退場すると、待合室で女性のプロクターがわれわれ受験ツアーが手配していたコーヒーやジュース、サンドイッチを用意してくれていて、これにはかなり感謝した。予定してたFAREの勉強はやめてお手伝いしました。(ケチカン受験者よ、その事実を知ってますか?)
休憩時間、香港から受験に来ていたイギリス人も我ら受験ツアーの用意したコーヒーを飲んでいた。
FAREも時間余りまくり、30分前に提出し出た。外に出ると、小雨混じりの強風だった。プロクターが、外へ-)を追いかけてきて、中に入れ、と言ってくれ、待合室の灯りをつけ、暖房を入れてくれた。やさしい気遣いに感謝。
確かFAREだったと記憶しているのだが、問題に訂正が発生。訂正部分を記した黄色い紙が各受験生に配布された。そこには問題冊子の番号が何の人は何番のこれこれの数値をこう変える、何の人は訂正無し、という感じで確か10パターンの説明が載せられていたような気がする。これが何を意味するかというと、問題冊子は10種類あったということだ。
余談になるが、その黄色い紙を持ったまま-)は試験会場を退出してしまい(AUDもAREもFAREも提出者第一号だったような気がする)、あとでプロクターが慌ててやってきて、回収されてしまった(もちろん、悪気はなかったが、試験会場ではいかなるマテリアルの持ち込みも持ち出しも許されていない)。たぶん、-)が提出第一号だったので、回収しないといけないのを忘れていたのだろう。こっちも慣れてないし。受験ツアーじゃなかったら、試験会場にとどまらずに速攻帰ってるはず(よってプロクターは回収できない)。う〜む、ほんとにいろんなことを体験してるなあ。
→ FAREで時間が余った理由。
ホテルに帰り、寝た。H.I.S.のツアー担当Kさんの電話で起こされた。受験お疲れ様パーティがあるからだ。
パーティはLPR担当講師、K(H.I.S.のKさんと同じ名字)吊るし上げの場と化した。同じテーブルだったKさんは、心中穏やかではなかったかもしれない。
Iさんはたしか参加費を払っていないのに、ちゃっかりパーティに潜り込んでいた。やっぱりさすがだ。
→ ただ、K先生(もういません)の名誉のために付け加えますが、合格者にはK先生の講義は評判がよかったです。-)も講義の「内容」は悪かったと思いません。KはLPRが苦手で、一科目残しました。-)はAREが残ってしまった。
LPRが一番簡単なのに、と思ってしまうが、他人からすればなんでAREが残るの、ということらしい。
04:00過ぎくらいに目覚めてしまい、風呂に入る(大迷惑)。07:00に寝てしまう。11:00に目覚め、何やってるんだか。時差ボケ、最後まで治らず。
皆さんは、ケチカン観光を楽しまれた様子。水上飛行機に乗って空から観光したとか。情けないよ、時差ボケが。
チェックアウト後、ケチカン空港へ。空港の待合室のセルフサービスの食堂でTeriyaki Rice Bowl(Ballだった鴨)なる、ちょっと不気味な名前のメニューを発見してしまう。中華料理の一件もあって挑戦はせづ。
で、またまたチェックインでトラブル。アメリカにはじめて行った人は誰でもやってしまう(と思いたい)これなのだが、アメリカで飛行機に乗るときには、荷物を機内預けにする際に必ず係員に「この荷物は誰か他の人から預かったり、または目を離したりしましたか?」と質問される。英語のできないイエスマンの日本人は何でもYesYesだが、-)も「YES」と答えてしまいました。トラブります。係員の人はうんざりした顔で、質問が書かれた各国語の用紙を見せながら、もう一度質問してくれました。(顛末を不安げに見守っていた他のツアー参加者には、質問と、絶対にNOと答えろと教えてあげた)
ケチカン空港離陸、一路シアトルへ。夜シアトル・タコマ空港着。
京都の信金男さんが、スーツケースと一緒にひきずる湯沸し器とお米が情けない。なんか剣道の防具のように見える。湯沸し器で米を炊くらしい。みそ汁、お茶も飲むらしい。あとサトウのごはんより農協のお米の方がおいしいらしい(本人の記述によります)。
チェックイン後、Iさん、信金の男、女の人二人と合わせて五人でダウンタウンへ。アメリカで理系の大学院を出た後、イギリスでMBAを取られたIさんに加え、ニュージーランドで日本語を教えておられた女性の方まで加わり、大船に乗った気分である。
バスが拾えず、タクシーでダウンタウンへ遊びに行った。機嫌ががよかったタクシーの運転手は、NBAのラジオ実況でチャールズ・バークレーが逆転のシュートを放ったのを聞くと、無口になる。
キーアリーナの前で降ろされた。さっきソニックスがロケッツに負けたとこやん、やめい。
キーアリーナの周りは、ちょっとした遊園地のよう。東京ドームみたいなもんか。
よく考えると、今回の受験、ツアー参加者がみんなでロビーに集まって話していたことといえば、「ブルズ負けた」といったことだけだったような気がする。何しにアラスカまで行ってるんだか。
同じU.S.E.N.ツアーでも、東京組はみんな部屋に閉じこもって勉強に励んでいた(大阪組とホテルが違ってた)、と聞いている。東西の気質の違いなのでしょうか。ちなみにこのツアー、何かにつけて大阪組は迫害されていたと言われるが、真実はいかに。
→ この年のカンファレンスセミファイナルはシカゴVSアトランタ、ニックスVSマイアミ、シアトルVSヒューストン、ユタVSレイカーズ。Gムーキー・ブレイロックの活躍で、ホークスがブルズに一矢を報いた。ホークスが勝てそうなゲームは他に二試合はあったのだが。何でこんなに詳しいんだろう。
(^^;;
市内をほっつき歩くが開いている店が見つからない。ビジネス街のほうに入ってしまったようだ。23:00ごろ、やっと落ち着いてメシ。でも23:30には閉店だと。
00:00、何とかタクシーを拾う(夜の23:00なんて人影もないんですよ)。ベリーラッキーにも運ちゃんは、もう仕事を終えて家へ帰ろうとしていたところで、しかも自宅がわれわれの泊まっているモーテルのすぐそばだった。お互いにこんな都合のいい話はそうそうない(何しろ、タクシーの運転手に道を教えてやっと帰ってこれた人がいる。よくモーテルの場所や名前を覚えていたもんだ。なおかつ、運転手と意思疎通できる英語力をよく持っていたものだ。これまたベリーラッキー)。
ラッキー運ちゃんいわく、シアトルは市の人口としては百万人に達していない、と教えてくれた。こんなところに、ボーイングとマイクロソフトという、世界一の会社の本社が二つもあります。
で、そろそろみんな帰ってきたツアー組が、ホテルの入口の前で集まって雑談。非常に近所迷惑な話である。団体行動ツアーの日本人があちこちで揶揄されるのは当然か。YくんがT/Cをなくした、と騒ぎに。(けっきょく、親切な人がフロントに届けてくれていたらしい)
近所のBPの売店でジュースを買って(お酒飲めないんで)、さらに02:30ごろまで雑談は続く。03:00ごろ寝た。
07:00に目覚める。09:45ロビー集合時間。エレベーターが故障がちと聞いたので、非常階段を使って荷物を運んだ。団体行動である。もし-)がエレベーターに乗っている間にでも、故障してエレベーターから出られなかったら、みんなに迷惑がかかります。
空港へ。団体チェックインで荷物を預けると、全員のラゲッジタグがYの名前になっている。みんなYくんがT/Cをなくしたことを知っているだけに、不安がよぎる。
12:50離陸。オレンジジュースを頼んでグリーンティーが出てきたのか、その逆だったか、今ではもう思い出せないが、とにかくノースは許さん。
(`´)/
途中、無理やりに寝る。やっと着陸。Yくん名のタグのせいか、荷物がなかなか出てこない。みんながY氏を責めはじめる。(たぶん団体の荷物は後回しにされてるだけ。この世界は士農工商団体ツアーです)
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