鉄道の聖地 碓氷峠



 明治26年(1893年)に、横川-軽井沢間の鉄道がアプト式により開通した碓氷峠には、めがね橋や丸山変電所に代表される数々の鉄道遺構や鉄道記念物が文化財として残っており、鉄道ファンの間では「鉄道の聖地」と呼ばれています。
 1963年に開通し、1997年に廃線になった補助機関車EF63による粘着運転の碓氷新線も廃線から20年以上が経ち、峠のシェルパは伝説になりました。今日では、碓氷新線の遺構も当時を偲ぶ貴重な近代化遺産(文化財)になりつつあります。
 県道56号線(県道川浦-坂本線、通称:霧積街道)横の線路は、EF63の勇姿が見られた66.7パーミルの勾配線です。碓氷峠で、トンネルと橋梁以外で山岳鉄道の線路が見られる貴重なエリアです。残念ながら廃線後20年の歳月を経て山に還って草木に埋もれてしまいました。私たちは、このエリアの鉄道文化財としての価値を認識し、鉄道の聖地になり得るような当時の景観を取り戻したく、安中市の許可を得て線路の草刈り(発掘)にトライすることにしました。

県道霧積線と並走する線路1
県道霧積線と並走する信越本線の線路。左側上段が下り線、右側下段が上り線。右側に見える道路が県道川浦・坂本線(通称霧積線) EF63が登場する碓氷新線は、1963年に単線で開通、1966年に複線が開通しました。アプト式の旧線は、はねいし山の南側のルートですが、粘着運転の新線は北側のルートを通ってます。
県道霧積線と並走する線路2
県道霧積線と並走する線路。下り線の1号トンネルから2号トンネル手前まで、および、上り線の1号トンネル出口から県道霧積線横の線路は、勾配標が示すように碓氷峠の特徴である66.7パーミルの傾斜を有する線路でした。
上り線1号トンネルあさま
左側の道路は、県道霧積線、左側の線路は上り線で、1号トンネルを出てきて横川駅に向かう特急あさま。右側の線路は下り線。軽井沢駅に向かう普通列車。
霧積線横の線路左側は下り線を軽井沢へ向かう特急あさま。右側の線路は上り線。右側の道路は県道霧積線。
上り線やすらぎ
上り線1号トンネルを出てきた、EF63、EF62の3重連、客車はお座敷列車やすらぎ。
上り線S字カーブ
下り線1号トンネルを出て軽井沢に向かう特急あさま。
下り線普通列車上り線S字カーブ軽井沢に向かう下り普通列車。右側下段の線路は上り線。S字カーブになっている撮影ポイント。右側の道路は、県道霧積線。 上り線S字カーブ
左側のトンネルは、下り線1号トンネル。右側の線路は、上り線でS字カーブになっている。右側の道路は県道霧積線。
県道霧積線付近の地図
碓氷峠のトンネル手前の線路と県道霧積線が並行して走る辺りの地図です。66.7パーミルの勾配標がある線路は、この辺りです。現在は、草木に埋もれているため、また、管理者の安中市が許可していないため一般の人は、線路に立ち入ることは出来ません。
(注)県道川浦・坂本線=通称;県道霧積線  上記地図は、松井田町が発行した地図を加工。




EF634重連+EF62
1997年9月6日 Hinobashiさん撮影


 碓氷新線のトンネル手前の景観は、66.7パーミルのの勾配を持つ線路が段違いで並走し、線路の法面は、現場打ちのコンクリート格子で強化された特徴のある山岳路線です。上の写真のように、EF63の4重連プラスEF62という5重連の電気機関車が走れる頑強な線路なのです。5重連の機関車の総重量は、528トンにもなります。
 このような重量級車両用に、しかも複線で設計された山岳路線は碓氷峠以外にはありません。このエリアの線路は鉄道の歴史において文化財的にも価値あるものだと考えられます。
草木の生えるに任せておかないで、整備して往時の景観を取り戻すことを提唱します。トンネル手前のこのエリア全体を整備して『碓氷新線記念公園』のような鉄道公園にして保存するべきだと考えます。
                       碓氷峠鉄路再生研究会



  引用文献;下記資料から画像の一部を引用させていただいてます。
  ・書籍 さよなら碓氷線 あかぎ出版 1997年刊 
  ・ビデオ 碓氷峠の鉄路 粘着運転編 企画制作/松井田町役場
  ・ビデオ EF63 最後の雄姿  TOMY
  ・雑誌 鉄道ファン 1996年12月号 
  ・写真集 信越本線・碓氷峠越え 向郷輝一
  ・写真集 信越本線碓氷峠 最後のの四季 馬場典明
  ・地図 平成6年 碓氷郡松井田町が発行した地図