2021/10/25
No.625

引越貧乏 partT(前号からのつづき))

 よく、引越し貧乏という言葉を聞く。度重なる引越しを余儀なくされ、揚句、そちらにお金がかかってしまい、結局、貧乏暮しが繰り返される、というような意味。

 道長の歴史もそれが的確で、現在に至るまでに、かれこれ3回の引越しを繰り返した。一回目は岡崎の実家近くで、大家が賃貸マンションを建てるというので、作業所代わりに借りていた駐車場のガレージを、11年の経過後追出される。

 やむなく、引越し先を探し、近くの住宅街の一画の、元自動車整備所の建屋を借りることができた(1992年)。やれやれ。この建屋はそこそこの広さがあったため、当時としては作業に余裕を持つことができた。プレハブの冷蔵庫も据え付けたし、エアコンも。ただし、建屋の改築まではしなかった。しなかった理由は、何となく将来、引越すことになるのかもしれないという予感が兆したからなのかもしれない。何しろ、新作業所を構えた場所が、かつての長屋から発展した同族意識の高い住宅地であり、その一角で漬物屋なぞが営業するような立地とはいえなかったから。

 とにかく、自宅から歩いて一分ほどの近くで、願ったり叶ったりの立地ではあったのだった。だがしかし、やっぱりというかまさかというか案の定、今度は大家が自分の住屋を建てるので、立ち退いてほしいと言い出した。こんなところに長居は無用。仕方なく、今度はちゃんとしたところに引っ越そうと、いろんなところをさがしまわり、とうとう、奥三河の農家の空家までさがしにいったもの。

 方々探訪したものの、都合のよいところが見つからず困り果てる。だがしかし、引越し先は、意外に身近なところで見つかってしまった。いつも、米ぬかを分けていただいていた、宝飯郡音羽町(現豊川市)の減農薬・音羽米の生産者、Sさんが「それなら音羽へくればいい」と二つ返事で引き受けて下さったのだった(ありがたい)。
 これはまさに『渡りに舟』と、話は一気に進展。早速、ご提案いただいた空き地(地目は『山林』となっていた)を見分。かような地目にはたして建物が建つのでしょうか。心配になってSさんに聞いてみた。なんとその解答は簡潔明瞭なものだった。「そんなもん、建ててしまえばいい」?!「えっ?」。とのぼくの問に「あとで始末書を書けばいい」の一言だった。問:「で、でも、どうしたら」。答:「そんなもん、改造した(海上)コンテナを置いてしまえばいい」。

 なるほどと納得な即答に、話は一気に実現へと進む。

 その日は晴れで、建機のリース屋へ行って、ユンボ(パワーショベル)を借りてくるつもりで、現地に着いてみると…。なんと、Sさんは、すでにユンボで基礎のためのコンクリートを入れる溝を掘ってくれていたのでした(驚)。

つづく