自然の恵みに感謝し
梅の木と心をひとつにして
いっしょに育とう

中 本 農 園
 なか  もと


梅のメッカ和歌山県南部川村の梅農家です

中本誠さんは2010年で50歳。梅農家としては2代目で、それ以前は炭焼きなどもする農家だったそうです。

農家にとって安全な農業とは、まずは農作業をする自分自身が安全でなければならない。これは多くの農業経営者が経験していることですが、農作業において、殺虫殺菌剤、除草剤などの農薬の施用は健康障害につながりかねません。また消費者に安心して食べてもらえる『健康食品』であってほしいというねがいもある。

中本さんも農薬の散布によるアレルギーの発症を機会に、その使用をやめました。彼の梅畑では、1998年から農薬は使っていません。

中本さんのことば
和歌山県に住んでいる中本誠と申します。南部川村で農薬を使わない梅作りをしています。

川田ミネラル水という岩石から抽出した液体を希釈して土壌に潅水することによって土壌を大昔の状態に戻し、草木が健康に生育する土に変えていく農法です。

土が健康になって、健康な土の養分で成長する健康な樹木。そして健康な樹木に実った実を人が食して健康な体を保っていく、作っていく、治していく。そのための農業を目指しています。

お勧めする品に梅肉エキスがあります。水あたり・疲労回復等いろいろな症状に効果があります。梅干しでは梅干しそのままでも効果はありますが、梅醤番茶は効果が大きいようです。(梅醤番茶:梅干し一個を湯飲み茶碗に入れ種を取りよく練ります。醤油大さじ一杯を加えさらに練り、沸かしたての番茶を注ぎよくかき混ぜてからいただきます。)

梅干しを漬ける時のお塩も大事な資材の一つです。色々なお塩がありますが、当方では中国福建省の天日塩を使っています。いろいろなお塩がありますが一番美味しく感じました。まろやかな風味です。

今後はもっといいお塩と出会いたい。紀南地方にも良いお塩があります、また他にも良い天然塩があるので色々試していこうと思っています。


山の上の新緑にもえる梅畑



梅の栽培
中本さんの梅畑は2町5反。昨年は10tほどの収穫がありました。梅だけの専業農家です。『放任』による無農薬という考え方とはまったくちがって、一年、各月の作業がきっちり決まっていて、それぞれがたいへんな作業です。
6月の収穫、出荷、漬け込み作業。梅ぼしの天日干し。春から晩秋までの草刈。9月の接木作業。霜の降りる時期から開花までの間にする剪定作業。ミネラル水の土壌散布。自家製の唐辛子・ニンニクエキス、天恵緑汁や希釈梅酢の葉面散布。

機械を使ってできる作業もありますが、いずれもたいへんな作業ばかり。写真にあるような足場のよい梅畑ばかりというわけにもゆきません。傾斜のきつい斜面での作業はことのほかたいへんです。
梅ぼし作り
梅ぼしをつくるための梅は、まさに完熟したものだけを使います。梅の木の下にネットを張っておいて、熟して落ちてすぐのものを漬け込みます。だからその甘味を充分に含んだうまみたっぷりのおいしい梅ぼしができます。

道長でも梅干用には完熟梅を使いますが、中本さんのような手際というわけにはいきません。道長では梅畑が身近にあるわけではないため、仕方のないことかもしれません。

梅農家としてのメリットを十分に生かした、おいしい梅ぼしです。

塩の割合は15%(梅との重量比)。


中本農園 2004年の作柄
今年の作柄はまったくよくありませんでした。収穫量では例年の半分ほど。

その理由について中本さんに聞きました。
初夏に台風がふたつも来たため、多くの梅の実が落下してしまった。台風の間に雨も降らなかった。
去年が冷夏だったため、花芽の準備がうまくできなかった。
昨年から『黒点病』が出始めた(黒斑病よりも小さな斑点が付く)。ひどい場合は商品にならない。

初めての経験:

台風のすぐあとには梅の収穫はできないんです。目にはわからないのですが、枝にこすれた梅の実にはキズがついていて、出荷してお客様に到着したころ、そのキズが現れるのだそうです。おかげでお客様に迷惑をかけてしまったそうです。

キズが癒えるのに数日かかるため、その間は収穫はできません。

台風がこんなに早い時期に来るなんて、気象がおかしいのかもしれません。

やっぱり収穫はたのしい、と奥様初美さん
来年の作柄は...
幸い今年の夏が暑いため、来年の冬には花芽がたくさん付きそうです。豊作だといいですね。


おいしい天日塩で漬け込んだ梅は、おどろくほど早く梅酢が上がります。

ちょっと見ると、フルーティな完熟梅の砂糖漬けの様。

梅漬をする部屋は、甘くておいしい香りでいっぱいです。

手塩にかけた中本農園の梅ぼしをよろしく。


こんなにおいしい梅ぼしです。
奥様です




一口メモ
南部川村はまさに梅の里
そこを訪れる人は、だれもがそれを実感するでしょう

『南高梅』という品種は、梅ぼしにするには最高の梅といわれています。そしてこの南高梅のふるさとがまさにここ、南部川村なのです。

そして南部川村の梅の歴史は、なんと江戸時代17世紀にもさかのぼります。

この地域はもともと米作りには適さなかった。そこで梅を栽培して振興をはかろうということになったのがその起源ということになっています。

梅ぼしが庶民の味となって以来、大きく、果肉の厚い、種の小さい品種を作ろうという試みが繰り返されるようになります。

梅ぼしの起源は平安時代とされています。8世紀の『懐風藻』には梅の文字を見つけることができ、10世紀平安時代には『梅ぼし』がつくられていたようです。

鎌倉・戦国時代には兵糧として重宝され、江戸時代には庶民の保存食となりました。

そして、現在の梅のトップブランド『南高梅』が生まれるにあたっては、南部(みなべ)の梅のために尽くした三人の人物の名前を挙げなければなりません。明治時代の高田貞楠(さだぐす)と、昭和時代の小山貞一、そして小山に惜しみない協力をした南部高校の教員、竹中勝太郎。

高田氏は南部村村長の息子で南部の風土に適し、すばらしい結実の優良母樹『高田梅』を確立しました。
小山氏は昭和初期、高田家門外不出ともいうべき『高田梅』から穂木(接木のための)を譲り受け、『高田梅』の継承に努力しました。戦後、彼は『梅優良母樹調査選定委員会』を設立。同郷の竹中氏もそれに参加し、南部高校園芸課の生徒とともに数多い優良品種からもっとも優れた梅を選抜するための調査研究に努力をしました。

そして最後にもっとも優れたものとして選抜されたのが、なんと『高田梅』だったのです。そしてみなの努力にちなんで、南部高校の『南』と高田の『高』を一字づつ取り、『南高梅』と命名されました。昭和40年のことです。

南部の梅のために尽くした人は実は他にもまだまだいるのです。たとえば明治時代に生きた内中源蔵は、南部を梅の里にするため、荒山を4ha開墾し、大梅林を作りました。

このように数多くのひとびとが、ふるさとの農業のために努力しました。それがあって今の南部川村がある。

私たちも後世に残すべきすばらしい環境と、それを培うことのできる安全な農業を振興してゆくため、がんばってゆきたいと思います。


お問い合わせ:
中本農園
〒645−0201
和歌山県日高郡みなべ町清川976番地
 中本 誠
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Eメール:nakamoto@mb.aikis.or.jp