生竹園芸


愛知県豊橋市細谷町という太平洋の潮風のあたる温暖なところ。アロエの栽培にはまさに適地です

愛知県豊橋市

奥様の利江さんと
生竹さんはもともと園芸農家。東洋ランや盆栽をつくるのがもともとの本業でした。

生竹さんがアロエベラを食用として栽培するようになって、もう20年経ちました(2017年現在)。アロエベラは食用ですが、その栽培は他の農作物とはちょっと勝手がちがいます。もともと観賞用の園芸作物でもあるアロエですから、アロエベラの栽培には抵抗なく進むことができたそうです。

生竹さんのアロエ畑はすべてハウスの中です。現在の作付けは約3反。収穫は一年中。
アロエベラはサボテンに似ていますが、ユリ科アロエ属の多肉植物です。黄色い美しい花が咲くため、観賞用と民間療法用に重宝がられます。一般にキダチアロエのほうがよく栽培されています。寒さに強いのと、栽培に余り場所をとらないからでしょう。

食用に供されるのはアロエベラ。栽培には場所をとるのと、本州以北の屋外では育てにくいため、余り一般的とはいえません。でもみごとに育ったアロエベラは、食べてよし、ながめてよし。

『アロエ美人』の紹介はこちら


親株から仔株が出ます。これを植え替えると1年ほどで収穫できるようになります。
アロエベラはそのまま保存しても長持ちしますが、やはり新鮮なもののほうがおすすめです。

道長では注文をいただいてから、新鮮なうちに加工、出荷しています。

アロエベラは成長して出荷できるようになるまでに約3年はかかる。花は赤色で美しいのですが、子孫の増やし方は種ではありません。親株から仔株が出てくるので、それを株分けして植え替えてやります。

原産はアフリカといわれ、太古からたいへん重宝な薬草として用いられてきました。紀元前4世紀、アレキサンダーは戦場での医療用にアロエを持ち歩いたという記録が残っているそうです。
日本には鎌倉時代に中国を経由して伝えられたようです。記録として残っているのは貝原益軒の『大和本草』で江戸時代。やはり薬草として扱われているそうです。
貝原益軒(1630〜1714):
江戸前期の儒者、本草学者、教育者。福岡藩の家臣。名は篤信。初号、損軒。松永尺五(せきご)、山崎闇斎、木下順庵に朱子学を学ぶ。民生日用の学を重んじて、庶民を啓蒙。晩年、古学派的傾向を示した。著「益軒十訓」「黒田家譜」「大和本草」「慎思録」「大疑録」など。
国語大辞典(小学館)

お問い合わせ:
生竹園芸 生竹 勇
〒441−3112
愛知県豊橋市東細谷町西島103番地
TEL/FAX:0532−21−2791
生竹勇さんとの出会いは、2004年、愛知県農業改良普及課と農協経済連の紹介からでした。ちょっとミスマッチな感じがするかもしれませんが、実はそれぞれの機関が本来の業務とは一体なんだったのかということを再確認させてくれるよい機会でもあります。

慣行農業を振興しようとしてきた公の機関農改普及課と、今まで農産物の出荷、資材の販売、金融などがメインの仕事だった経済連。これからの農業が地域に根ざして、『地産地消』『身土不二』の考え方を基盤にし、食育による日本の食文化の復活を目指すのならば、消費者、生協、生産農家が手を取り合うだけではなく、そして地域でそれを育成する立場としての農業改良普及課、農協経済連の役割をあらためて考え直す必要もあるのではないでしょうか。