鈴木慶市さん


2018年8月、鈴木慶市さんは91歳で逝去されました。永い間、道長のために、漬物の材料の野菜を作っていただきました。いつも努力の人だった慶市さん、いまもぼくのお手本です。

ほんとうにありがとうございました。

1995年、道長がここ旧音羽町へ作業所を移転して以来のおつきあいです。二年目の年、道長のために減農薬の野菜づくりをしてくれる人を探したことがある(現在は農薬・化学肥料の使用はありません)。そのときに3〜4名の方が名乗り出てくださったもの。

とはいえ、それだけの生産者の野菜を一時に引き受けられるはずもなく、気づいてみるとお一人を残して他の方とのお付き合いはなくなってしまった。そのお一人というのが道長の冬の漬物のラベルによく名前のでてくる鈴木慶市さん。2016年でなんと90歳になるのだけれど、チャレンジ精神は非常に旺盛。

減農薬での野菜作り、そのためのたい肥作り(生ごみ生かそう会も結成)、そして畑の土作りを進めてくださっている。最近では、旧音羽町のとなりの旧額田町の額田中学での無農薬小麦作り講座に招かれ、たい肥作りから麦の種まきの指導までも。ぼくと音羽米研究会の鈴木晋示君も同席はしたものの、彼は立派な先生役を果たしてしまったのだった。

生ごみ生かそう会を発足したときもそうだった。三重県まで見学に行った帰途、そこで見せてもらったステンレス製の大型コンポスター(生ゴミたい肥製造機)を参考に作ってしまおう、という話も実現させてしまった。三日間、鉄工所に詰めてステンレスの加工も・・。その後、そのコンポスターは道長の作業所の近所の家庭の生ゴミの堆肥化に9年間活躍しました
彼のバイタリティーにはいつも驚かされてしまう。寄る年波で腰を痛めたり、さらに2005年、仕事中はしご段から転落し、大腿骨付け根を複雑骨折したときももうだめかと思ったけれど、手術から半年たったころにはもう野良仕事をしているという始末。

あの歳で冬には白菜、かぶ、大根、人参。春にも大根、人参。夏にはきゅうりなす。そして減農薬の音羽米生産も。農業用機械の修理もほとんど自分でしてしまう。体格なぞどちらかというときゃしゃなのに、一体どこにスーパーモーターが付いているのでしょう。

いつも不死鳥のようによみがえり、現役を続けてきた慶市さんですが、2016年をもって道長の生産を引退ということになりました。ほんとうに残念ですが、御歳90歳なのですから、これ以上無理はお願いできません。

これからは、無理のない範囲で道長に協力をしていただくことになります。
ほんとうに、永い間、ありがとうございました。


鈴木さんの後継者として、現在2名の生産者さんにお願いしています。
粕谷祐一郎さん:豊川市八幡町
小野田泰博さん:豊川市金沢町
今後の活躍にご期待ください。