Page Update: Jan.09,2014
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- 浜駅にて (December, 2006)
- 桃浦駅から散策 (January, 2007)
- 玉造町駅 (March, 2007)
- 最後の春 (March, 2007)
- 石岡機関区 (March, 2007)
- 最終日 (March, 2007)
- かしてつ..その後 (April, 2007)
鹿島鉄道は石岡-鉾田間の27.2kmの区間に17駅を有する非電化鉄道で、元国鉄のキハ07(鹿島鉄道キハ600形)、元加越能鉄道加越線キハ120形(キハ430形)や元夕張鉄道キハ251形(キハ714形)などの車齢の高い気動車を運行していましたが、残念なことに2007年4月1日に廃止されました。
新しいデジカメを片手に鹿島鉄道「浜駅」を訪ねた。冬の夕方、しかも曇りで撮影条件は良くない。霞ヶ浦をバックにした写真は早々にあきらめ、駅の構内へ移動した。鹿島鉄道の廃止がほぼ決まり撮影に訪れている人を何人か見かけたが、その数も次第に少なくなり遂に寒空に一人残された。カメラのマニュアル片手に、暗くなるまでねばってみた。
△ 八木蒔-浜, (15:16), キハ601
浜駅を出発し、八木蒔へ向かう上り石岡行の列車。既にかなり暗く、感度をISO400に上げて撮影。
△ 浜駅 (15:32)
ホームにひっそりと建つ浜駅の待合室
△ 浜駅待合室の時刻表
△ 浜駅構内 (15:51), キハ432, 石岡行
浜駅に停車中の上り石岡行き列車。 冬枯れたセイタカアワダチソウが何とも寂しげだ。
△ 八木蒔-浜 (16:21), KR501, 下り鉾田行
動いている列車の写真を撮るのに苦労する明るさで、思い切って感度をISO1600に上げて真正面から狙っての一枚。蛍光灯に照らされた車内の様子が分かる。
△ 浜駅構内 (16:29), 浜駅に停車中のKR503, 上り石岡行
この列車を見送って、浜駅を後にした。
月並みだが、霞ヶ浦と筑波山をバックに鹿島鉄道を撮ってみたくて...出かけてきた。
桃浦-八木蒔間は線路の向きが微妙で、東側の車体側面は 9:30 頃には日陰になってしまった。次回が有れば、もう少し早い時間帯に狙ってみたいと思う。桃浦駅の保線小屋は、なかなかいい味を醸していた。
△ 桃浦駅
交換設備を持つ桃浦駅の朝の光景。 鉾田方面を望む。
△ 桃浦駅にて, キハ601
桃浦駅に停車中の下り鉾田行。
△ 桃浦-八木蒔, 線路脇の畑。 茨城ではよく見かける冬の光景。
春が来ると、大根、小松菜、白菜、そのほか名前を知らない青菜や根菜類が一斉に開花して、いろいろな「菜の花」が畑に咲き乱れる。色も形も様々で、見ていて面白い。
△ 桃浦-八木蒔
農家の向こうに小さく霞ヶ浦。冬枯れの木立のシルエットがきれいだ。線路沿いに八木蒔駅方面へ向かう。
△ 桃浦-八木蒔, 下り鉾田行, KR-501, 霞ヶ浦と筑波山をバックに
久しぶりに訪ねた撮影ポイントには、既に何人か待機していた。列車の長さの感じがつかめず苦労する。
△ 桃浦-八木蒔, 上り石岡行, キハ602
背景は霞ヶ浦の高浜入。
△ 桃浦-八木蒔, KR-502
築堤上を桃浦駅に向かう列車を、望遠レンズで後追い。 背景は桃浦の集落。
△ 桃浦-八木蒔, 下り鉾田行, キハ432
イメージしていたのは、こんな景色だったと思う。 少し高い場所に登ると、霞ヶ浦が構図に良く入るようになる。
△ 桃浦-八木蒔
桃浦駅の近くまで戻ってきた。昔ながらの「ふみきりちゅうい」の立て札。
△ 桃浦駅
桃浦駅霞ヶ浦側の道路脇にひっそりと保線小屋が建っていた。板壁の木目がよい感じだ。
△ 桃浦駅
浜駅寄りの丘の上から玉造町駅構内を見下ろすことができる。真ん中を上り本線が貫き、島式ホームの北側に下り本線があり、この2本の線路が島式ホームの両側に配置されている。さらに、上り本線の南側には貨物側線があり、貨物ホームとホーム上の上屋も健在だ。これを見た友人は、まるで鉄道模型のレイアウトのようだと言った。昔見たような、どこか懐かしい光景が広がっている。
この駅では1日10回の列車交換が行われ(2007年3月)、13時頃には旧型気動車同士の交換を見ることができる。
旧玉造町:2005年9月2日に行方市に新設合併された旧玉造町の合併前の人口は13,793人(2003年)、面積は51.25km2で、旧玉造町には桃浦、八木蒔、浜、玉造町、榎本の5つの鹿島鉄道の駅があった。
△ 玉造町駅を発車する「14列車、キハ602」石岡行。
後方は、「キハ602」と玉造町駅で交換し、先に出発した「13列車、KR-505」鉾田行。
△ 玉造町駅に進入するキハ432、鉾田行
午後1時頃には、旧型気動車同士が交換する。先に進入する下り21列車「キハ432」鉾田行。(13:00)
△ 玉造町駅の交換風景「キハ432」鉾田行と「キハ601」石岡行
上り22列車「キハ601」が到着すると、下り21列車「キハ432」鉾田行が先に発車した。スプリングポイントを渡り本線に合流する頃、上り列車も出発し2両の単行気動車はゆっくりと駅を離れた。(13:02)
△ 玉造町駅を発車するキハ601、石岡行
交換を終え、浜駅に向かう上り22列車」、石岡行。(13:03)
△ 浜-玉造町 キハ601 石岡行
玉造町駅下り場内信号機の横を通過する上り列車。ここから切り通しに向かい、緩やかな上り勾配が続く。
3月いっぱいで終焉を迎える鹿島鉄道の沿線にも春が訪れ、梅、水仙、菜の花などが咲き始めた。沿線の桜は、廃止に間に合うだろうか。春とはいえ、まだ少し寒い北風の中、車両を追ってみた。
△ 浜-玉造町 キハ602 鉾田行
この日は北風が強く湖面には白波が立っていた。湖畔のヤナギは心なしか緑色に変わり始めたようだった。
△ 浜-玉造町
日だまりを行く「KR-501」石岡行。
△ 八木蒔-浜 KR502 鉾田行
里山を背景に浜駅に下る気動車。
△ 八木蒔-浜 キハ431 鉾田行
築堤を浜駅に向かうキハ431、鉾田行。
△ 小川高校下-桃浦 KR-502 石岡行
午後から雲が出て時折風景に影を落とす。霞ヶ浦の高浜入を背景に、小川高校下へ向かう気動車。畑には、菜の花が咲いていた。
△ 小川高校下-桃浦 キハ601 鉾田行
筑波山と霞ヶ浦を背景に、ネギ畑の横を通過するキハ601。
△ 浜-玉造町 KR-505 鉾田行
切り通しを超え、続く築堤を玉造町に下るKR-505。
△ 浜-玉造町 キハ601 鉾田行
築堤上を玉造駅に向かう気動車。畑では菜の花が見頃を迎えていた。
KR-501車体側面のシールが「がんばれ!かしてつ」から「ありがとう かしてつ」に変わり、各車両にお別れのヘッドマークが付いた。ヘッドマークは何種類かあるようだが、遠目のデザインは共通している。機関区を遠望しても、すでにディーゼル機関車の姿は無い。
「ありがとうございました 83年間 2007.3.31 鹿島鉄道」
「みなさま さようなら 83年間 2007.3.31 鹿島鉄道」
△ 午後の石岡機関区に集う鹿島鉄道の気動車1 (跨線橋より)。 キハ431+キハ432(左)、キハ601(右)
△ 午後の石岡機関区に集う鹿島鉄道の気動車2。 キハ601(左)、キハ714(右)
△ 午後の石岡機関区に集う鹿島鉄道の気動車3。 キハ601(左)、キハ714(右)
車庫の中にキハ602が小さく見えている。その左側は有蓋車だろうか。このあたりには、以前、ディーゼル機関車が止まっていた。4番線側の線路は、既に撤去されている。
△ 夕暮れの石岡駅構内 (跨線橋より)
KR-500形(5番線に停車中)、キハ431+キハ432(左)、キハ601(中)、キハ602+キハ714(右)
キハ430形 (キハ431、キハ432)
1957(昭和32)年11月に東急車輌製造で新製。1973(昭和48)年3月に加越能鉄道から譲受し、当初は関東鉄道常総線に留置された。同年4月には、キハ432が、翌5月にキハ431がともに当線に回送されてきた。入線に際して、前照灯のシールドビーム化、さらに左右の尾灯間にあった警笛穴を埋め込んだほか、1986(昭和61)には、運賃箱などを設置しワンマン対応車となった。
キハ600形 (キハ601、キハ602)
キハ601、602の2両が在籍しており、キハ601は1936(昭和11)年10月、国鉄キハ42000形として川崎車輌で新製された当線の在籍車両で最も歴史のある車両。602も翌年3月に大宮工場で新製され、両車ともに1957(昭和32)年にはキハ07形として称号を改正された後、キハ601は1965(昭和40)年3月、キハ602は1966(昭和42)年10月に国鉄から譲受された。以後、当線ではキハ42500形としてロングシート化、さらには1972(昭和47)年12月に正面を流線形から切妻、貫通扉付きへと大改造し、乗務員扉を増設し現形式へ改番した。
キハ714形 (キハ714)
1976(昭和51)年1月に夕張鉄道から譲受した車両。同車は1953(昭和28)年8月新潟鉄工所で新製された、北海道内初の液体式内燃動車。製造当初はセミクロスシートだったが、1958(昭和33)年2月にクロスシート部を転換式に改造し、入線に際し大型の尾灯と警笛位置を変更した。1977(昭和52)年5月の車体更新時にロングシート化され、1980(昭和55)年10月には屋根以外の外板はすべて張り替えるとともに、乗務員室扉を増設した。とりわけ正面の湘南形マスクは当時の流行を今に止め、当社唯一の非ワンマン車として鉄道ファンの高い人気を集めている。
KR-500型 (KR-501、KR-502、KR-503、KR-505)
1989(平成1)年に新潟鉄工所へ自社発注した車両で、501・502の2両を導入した。1991(平成3)年には503を、1992(平成4)年505をそれぞれ増備し、当線の主力となっている。ボディカラーは、石岡南台の新興住宅街のイメージカラーを採用したアイボリーベースにパープルラインのカラーリングで座席はワインカラーを基調とする。
3月31日の夕方、桃浦駅へ向かい、最終日の列車の姿をカメラにおさめた。その後、雨の中を石岡駅から玉里駅までキハ431、KR-503で1往復。最終列車の時刻が近づき、ますます混雑する石岡駅を後にした。
△ 桃浦駅を出発して石岡へ向かう列車 KR-500形2両編成
桜の花は、廃止に間に合わなかった。
△ 桃浦駅で交換を待つ33列車 鉾田行(キハ431+キハ432)
△ 桃浦駅に到着した34列車 石岡行き (キハ714+キハ600形)
今にも雨が降り出しそうな夕方、日が暮れるのは早い。10分以上遅れて入線した鉾田行き33列車(キハ431+432)からは、多くの乗客がホームに降りてきた。盛んにフラッシュがたかれる。この列車は、玉造町駅で上り34列車と交換するはずだ。しかし、いつまでたっても発車する気配がない。混雑により下り列車が遅れたため、桃浦駅交換に変更したのだ。
やがて上り34列車が近づいてきた。つかの間、先頭のキハ714の前照灯に照らされ、出発信号機が暗闇に赤く浮かび上がった。目前に展開する34列車の到着、そして33列車の出発。最後になって想いもよらないシーンをプレゼントしてもらった。
△ 鹿島鉄道最終日の石岡駅5番線は、別れを惜しむ人たちで夜遅くまで混雑していた。
廃止の喧噪から1週間が過ぎた4月7日、廃止には間に合わなかった桜を見たくてまた出かけた。沿線はどのように変わっただろうか。
△ 玉造町駅の近くでは、踏切の撤去が始まっていた。
△ 玉造町駅。廃止を待たずに撤去された貨物側線。
△ 玉造町駅貨物側線横の上屋。撤収に使うのだろうか。
△ 玉造町駅構内に積み上げられた踏切警報機
△ 浜駅
浜駅では、ちょうど桜が満開だった。「もう少し早く咲いてくれたら」と思ったのは、私だけではないだろう。しかし、暖冬のせいか、花つきはいまひとつ良くないように思う。
△ 桃浦駅改札口とスミレ
廃止からわずか1週間、レールの踏面はご覧の通り。
△ 今にも列車がきそうなたたずまいを見せる、桃浦駅のプラットホーム。 保線小屋は相変わらず静かに建っていた。